（アドア）メルマガ無料購読s|sアドアを友達に教えようs|s|sアドアへ※アドアへのプレスリリースはコチラ6月｜月別渋谷の路上で無料悩み相談『お話、聞きます』20040616毎週末、ハチ公前広場の路上で「お話ききます」の看板を掲げ、無料で人々の話に耳を傾ける"路上の話し相手"・枚方(ひらかた)バンダム氏の初エッセイ『お話、聞きます』(枚方バンダム著　1,260円税込　徳間書店)が発売された。s芸人を目指して上京したが、お笑いをやりながらふと思った。世の中には、人の話を聞くより、自分の話を聞いてほしい人がいっぱいいるのではないかと。試しにやってみようかと、「お話ききます　無料」と書いたスケッチブックを立てかけ、2001年9月から路上で話を聞き始めたバンダム氏。平日は家庭教師をして生活費を稼ぎ、週末になると渋谷・原宿・新橋の3カ所を拠点に、コギャルからサラリーマンまで1万2,000人を超える人々の話に耳を傾けてきた。こうした体験を踏まえて書かれた本書を読めば、彼が聞き続けてきた現代人の苦悩、彼自身が学んだこと、そして吉本のお笑い芸人から転身した彼自身の人生などを通して、「悩んでいるのは、キミだけじゃないから大丈夫！」･･･そんな声が聞こえてくるはず。徳間書店枚方バンダム公式サイト6月16日のニュース20040616貴重な映像満載！　の最新アルバムを完全化　　恋心を直撃する『ラブ・アクチュアリー』発売　　渋谷の路上で無料悩み相談『お話、聞きます』　アドア　トクトク情報ページのいちばん上へメルマガ無料購読s|sアドアを友達に教えようs|s|sアドアへ()s2004s,sよだかの星　　宮沢賢治よだかの星宮沢賢治s　よだかは、実にみにくい鳥です。s　顔は、ところどころ、味噌（みそ）をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。s　足は、まるでよぼよぼで、一間（いっけん）とも歩けません。s　ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合（ぐあい）でした。s　たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方（ぽ）へ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。s「ヘン。又（また）出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」s「ね、まあ、あのくちのおおきいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」s　こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こんな生（なま）はんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。ところが夜だかは、ほんとうは鷹（たか）の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂（はち）すずめの兄さんでした。蜂すずめは花の蜜（みつ）をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。それによだかには、するどい爪（つめ）もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがる筈（はず）はなかったのです。s　それなら、たかという名のついたことは不思議なようですが、これは、一つはよだかのはねが無暗（むやみ）に強くて、風を切って翔（か）けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、も一つはなきごえがするどくて、やはりどこか鷹に似ていた為（ため）です。もちろん、鷹は、これをひじょうに気にかけて、いやがっていました。それですから、よだかの顔さえ見ると、肩（かた）をいからせて、早く名前をあらためろ、名前をあらためろと、いうのでした。s　ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。s「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥（はじ）知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまえは、曇（くも）ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」s「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」s「いいや。おれの名なら、神さまから貰（もら）ったのだと云（い）ってもよかろうが、お前のは、云わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」s「鷹さん。それは無理です。」s「無理じゃない。おれがいい名を教えてやろう。市蔵（いちぞう）というんだ。市蔵とな。いい名だろう。そこで、名前を変えるには、改名の披露（ひろう）というものをしないといけない。いいか。それはな、首へ市蔵と書いたふだをぶらさげて、私は以来市蔵と申しますと、口上（こうじょう）を云って、みんなの所をおじぎしてまわるのだ。」s「そんなことはとても出来ません。」s「いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまうから、そう思え。おれはあさっての朝早く、鳥のうちを一軒（けん）ずつまわって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。一軒でも来なかったという家があったら、もう貴様もその時がおしまいだぞ。」s「だってそれはあんまり無理じゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。」s「まあ、よく、あとで考えてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名じゃないよ。」鷹は大きなはねを一杯（いっぱい）にひろげて、自分の巣（す）の方へ飛んで帰って行きました。s　よだかは、じっと目をつぶって考えました。s（一たい僕（ぼく）は、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂（さ）けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊（ぼう）のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。）s　あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。s　それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹（いくひき）も幾匹もその咽喉（のど）にはいりました。s　からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色（ねずみいろ）になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。s　夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋（ぴき）の甲虫（かぶとむし）が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑（の）みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。s　雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐（おそ）ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。s　また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。s（ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓（う）えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。）s　山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。s　よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。s「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」s「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸（ちょっと）お前に遭（あ）いに来たよ。」s「兄さん。行っちゃいけませんよ。蜂雀（はちすずめ）もあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」s「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないで呉（く）れ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。ね、さよなら。」s「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」s「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」s　よだかは泣きながら自分のお家（うち）へ帰って参りました。みじかい夏の夜はもうあけかかっていました。s　羊歯（しだ）の葉は、よあけの霧（きり）を吸って、青くつめたくゆれました。よだかは高くきしきしきしと鳴きました。そして巣の中をきちんとかたづけ、きれいにからだ中のはねや毛をそろえて、また巣から飛び出しました。s　霧がはれて、お日さまが丁度東からのぼりました。夜だかはぐらぐらするほどまぶしいのをこらえて、矢のように、そっちへ飛んで行きました。s「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼（や）けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」s　行っても行っても、お日さまは近くなりませんでした。かえってだんだん小さく遠くなりながらお日さまが云いました。s「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」s　夜だかはおじぎを一つしたと思いましたが、急にぐらぐらしてとうとう野原の草の上に落ちてしまいました。そしてまるで夢（ゆめ）を見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。s　つめたいものがにわかに顔に落ちました。よだかは眼（め）をひらきました。一本の若いすすきの葉から露（つゆ）がしたたったのでした。もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていました。よだかはそらへ飛びあがりました。今夜も山やけの火はまっかです。よだかはその火のかすかな照りと、つめたいほしあかりの中をとびめぐりました。それからもう一ぺん飛びめぐりました。そして思い切って西のそらのあの美しいオリオンの星の方に、まっすぐに飛びながら叫（さけ）びました。s「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。」s　オリオンは勇ましい歌をつづけながらよだかなどはてんで相手にしませんでした。よだかは泣きそうになって、よろよろと落ちて、それからやっとふみとまって、もう一ぺんとびめぐりました。それから、南の大犬座の方へまっすぐに飛びながら叫びました。s「お星さん。南の青いお星さん。どうか私をあなたの所へつれてって下さい。やけて死んでもかまいません。」s　大犬は青や紫（むらさき）や黄やうつくしくせわしくまたたきながら云いました。s「馬鹿を云うな。おまえなんか一体どんなものだい。たかが鳥じゃないか。おまえのはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ。」そしてまた別の方を向きました。s　よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又二へん飛びめぐりました。それから又思い切って北の大熊星（おおぐまぼし）の方へまっすぐに飛びながら叫びました。s「北の青いお星さま、あなたの所へどうか私を連れてって下さい。」s　大熊星はしずかに云いました。s「余計なことを考えるものではない。少し頭をひやして来なさい。そう云うときは、氷山の浮（う）いている海の中へ飛び込（こ）むか、近くに海がなかったら、氷をうかべたコップの水の中へ飛び込むのが一等だ。」s　よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へんそらをめぐりました。そしてもう一度、東から今のぼった天（あま）の川（がわ）の向う岸の鷲（わし）の星に叫びました。s「東の白いお星さま、どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。」s　鷲は大風（おおふう）に云いました。s「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」s　よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄（にわ）かにのろしのようにそらへとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲（おそ）うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。s　それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。s　夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻（すいがら）のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。s　寒さにいきはむねに白く凍（こお）りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。s　それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜（しも）がまるで剣のようによだかを刺（さ）しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居（お）りました。s　それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐（りん）の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。s　すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。s　そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。s　今でもまだ燃えています。s底本：「新編　銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社s　　　1989（平成元）年6月15日第1刷発行s　　　1991（平成3）年3月10日4刷s底本の親本：「新修　宮沢賢治全集」筑摩書房s入力：佐々木美香s校正：野口英司sファイル作成：野口英司s1998年8月20日公開s1999年7月23日修正s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む吉野作造s　所謂文壇に復活したる蘇峰先生は『時務一家言』に引続いて『世界の変局』及び『大正政局史論』を出し、更に去年の夏より筆硯を新たにして『大正の青年と帝国の前途』なる一篇を公にした。始め新聞に掲載されて居つた節には、どれ丈け世間の耳目を惹いたか知らないが、十一月の初め一部の纏まつた著書として公にさるゝや、非常の評判を以て全国の読書界に迎へられ、瞬く間に数十万部を売り尽したと『国民新聞』は云つて居る。蘇峰先生の盛名と『国民新聞』の広告とを以て、驚くべき多数の読者を得たといふ事は固より怪しむに足らぬけれども、而かも旬日ならずして売行万を数ふるといふのは、兎にも角にも近来稀なるレコードである。是れ丈け沢山の人に読まれたといふ事、其事自身が既に吾人をして之を問題たらしめる値打がある。況んや蘇峰先生の名は反動思想の些（いささ）か頭を擡（もた）げんとしつゝある今日に於て又少からず社会の注目を惹くべきに於てをや。s　斯くの如くして予も亦直ちに一本を求めて、閑を偸（ぬす）んで之を熟読せんとした。恰もよし『中央公論』社に於ても亦本事件を以て最近の思想界に於ける重大問題となし、本書を詳評せんとするの挙あるを聞き、乃ち敢て自ら其任に当るべきを求めたのであつた。然し此約束をした時にはまだ緒言を読んだ位で内容の調査にはかゝつてゐなかつた。而して緒言に於て述ぶる所の堂々たる宣言は、著者自ら本書を以て一生の大傑作否な大正年間に於ける不朽の名著と自認するの抱負ありありと見ゆるが故に、予も亦就いて学ぶべきもの頗る多かるべきを期待してをつた。而していよ／＼閑を得て内容を読み進むに従つて、予は自ら予期の如き共鳴を感ぜず、予期の如き興味をすら感ぜざるに驚いた。固より必ずしも学ぶ所少しといふのではない。著者一流の名文には何時もながら敬服する許りである。内容にそれ程に興味を感ぜざる我輩をして、兎も角も一気読了、半ばにして巻を措かしめなかつたのは、第一には著者の文章の力である。議論の筋にも大体に於て同感である。殊に其今日の青年の遠大の志望なく、意気の振はざるを慨するの誠意に向つては、全然同感の意を表せざるを得ない。けれども全体を読んでどれ丈けの共鳴を感じたかを省る時に、予は不幸にして『国民新聞』の広告が期待して居るが如き感動を与へられない事を自白せざるを得ない。本書を読んで得たる予の感情を卒直に云ふ事を許すならば、面白いには面白いが、反対する程の事もなし、賛成する程の事もなし、殆ど我々の現在の思想には関係のない、丸で違つた社会の産物に接するが如き感がある。よかれあしかれ、折角批評しようとしても興が湧かないので、自ら読者に背いて当初の約束を撤回するの外はない。s　尤も此書を明治の初年より大正の初めに至る青年の思想の変遷史として見れば非常に面白い。第二章以下第八章に至る約四百頁、即ち本書の三分の二は、此史的記述に捧げられたものであつて、中に固より著者の考も多く説かれてあるけれども、大体に於て事実の記述である。第九章の英・独・米・露の説明も亦有益なる記述である。第一章と第十章とは相照応するもので、大正時代の記述であるが、著者の大正の青年に関する観察も大正時代に関する観察も大体に於て我々に教ゆる所少くない。斯う云つて見れば全部悉く我々の読んで益を得るもの多い訳であるが、然し著者の期するが如き、今日の青年を啓導して新日本の真個忠良なる臣民たらしむるの経典たるを得るや否やは大に疑なきを得ない。何故かの説明は予輩にも十分に分らない。唯何となく斯く感ずる。何故かく感ずるかを実はいろいろ自分で考へて見た。十分なる答案はまだ得てゐないが、事によつたら老年の人に多く見る、所謂現代の社会並びに現代の青年に関する適当なる理解の欠如といふ事が其主なる原因をなして居るのではあるまいか。s　蘇峰先生に限つた事ではない、明治以前の教育に育つた多くの尊敬すべき我々の先輩は、動（やや）もすれば今日の青年に忠君愛国の念が薄らぎつゝあると云ふ。又国家について遠大なる志望が欠けて居ると云ふ。又は国家の強盛に直接の関係ある問題――例へば軍備問題の如き――に興味を感ずる事極めて薄いと云ふ。之は如何にも其通りで、此等の批難は今日の多数の青年に当嵌る。故に我々は今日の青年に忠君愛国の念を鼓吹し、其志望を遠大ならしむべきを勧め、殊に軍備上の義務の如きは之を光栄ある義務として尊重し、且つ進んで之に当らしめんとする先輩の苦衷を諒とする。此等の点を盛んに鼓吹し主張し論明するのは、今日の青年を啓導する一つの手段には相違ない。然しながら問題は然う云ふ事を説いて果して啓導の目的が達せらるゝか否かといふにある。少くとも弥次馬が運動会でチヤンピオンを後援するが如く、無責任にヤレ／＼と騒ぐといふ事が適当な方法かどうか。少くとも最良の方法かどうかと云ふ事は問題である。今日の時代は明治初年の時代ではない。況んや明治以前の時代では断じてない。遠大の志望を持ての、国家的理想を体認して志を立てろのと抽象的の議論を吹かけてそれで青年が振ひ起つた時代もあれば、そんな事を聞いて之を鼻であしらう時代もある。斯う云ふ重大な問題を鼻であしらふのが即ち今日の青年の堕落であるといへばそれ迄であるけれども、兎に角時代の相違は之を認めなければならない。此時代の相違を認識することなくして、昔流の嗾（け）しかけ方針では今日の青年は恐らく断じて動くまい。s　今日の警察の規則では道路に放尿すべからずと戒めて居る。而して此広い東京の市中に便所らしい辻便所は殆んどないといつてもよい。而かも日進月歩の教育は、吾人に教ゆるに極端に我慢をすると膀胱が破裂する危険があることを以てする。而して先輩は偶々此警察禁令を犯すものあるを見て、今日の青年には忍耐力がない、我々の若い時は三日も四日も小便を堪へたやうな事を云ふ。彼等の青年時代には路傍の放尿は法の禁ずる所ではなかつた。今日衛生上の考から之を以て法禁とする以上、彼等先輩は先づ沢山の辻便所を作る事に骨を折らねばならない。時代の変遷に応ずる各般の施設を怠つて昔通りの激励鞭撻を加ふるのみでは、更に最新の教育によつて自我の意識の段々に発達して居る今日の青年は承知しない。先輩諸君の常に敬服して居る独逸などでは二三丁置きに、中で弁当を開いて喰べてもよい程の立派の辻便所を拵（こしら）へ、而かも尚特に夜間に限り、車道に向つて放尿するものは之を大目に見るといふ習慣がある。之れ丈けの念の入つた手続を尽した上で、初めて放尿の禁を説くべきである。斯くても其禁を犯すものあれば、其自制力の乏しきを罵るべきである。我国に果して之れ丈けの設備があるか。設備なくして法の励行の苛察に亘るの甚だしきは、夜場末の暗がりで止むを得ず放尿しても厳しく法に問はるゝもの少からざるを見ても分る。s　遠大の志望を抱けとか、国家的奉公の念を熾（さか）んにせよとかいふ議論の一面は、兎も角も国民に向つて多大の犠牲を要求するの声である。今日の教育は殊に実用的科学を重んじて、先輩初め宗教道徳を蔑視する。今日の教育は、当さに其子弟をして個人的ならしめざるを得ざるが故に、先輩の要求と彼等青年に与ふる教育とは確かに其効果に於て一致しない。教育の結果東の方に奔（はし）らしめて置きながら、西の方に行かないのが悪いと力瘤を入れて説いても、それがどれ丈けの薬になるか、且又社会の制度の立て方によつては、人々をして甘んじて犠牲を払はしめ得る場合と、容易に犠牲を払はしめ得ざる場合とある。此二つの場合の分るゝ最も主要なるものは国民銘々の生活の保障の有無であらう。例へば明治以前の封建時代に於ては、家に定れる封禄あり、自分一身を犠牲に供する事は概して妻子眷族の生活の道を絶つ所以にあらざるのみならず、場合によつては家門の誉、子孫繁栄の基となることもある。固より此考を意識して国家の為めに命を捨てるといふのではない。時代の背景が自ら当時の役者をして、一死を鴻毛の軽きに比せしめ得たのである。斯う云ふ時代には遠大の志望を持ての、国家の為めに奉公しろのと云へば、国民が直ぐ其声に感応して何等之を妨ぐる個人的社会的の煩累を感じない。我国の忠君愛国の念の強かつたのは単に之のみによるのではないけれども、確かに数〔百〕年来封建的太平の時代を経過したといふ事が時勢の一変した今日まで其余徳を流して、我々に犠牲奉公の念を伝へて居るのである。然しながら今日は時代が全く一変して居る。見よ我々に何の生活上の保障があるか。今日の時代は貧富の懸隔を甚しからしめて、中等階級の立脚地を段々に撹乱して居る。大多数の人は一定の家産をすら持つて居ない。妻子眷族の生活は繋つて家長一人の生命にある。それも昔のやうに数十百年来住み馴れた故郷に定住して居るのなら親族故旧の厄介になるといふ見込もあるけれども、北海道のものが九州のものを娶（めと）つて満洲で奉職をして居るといふやうな今日の時代では、親族といふも名ばかりで何等精神的の親みがないから、亭主が死んだからとて、妻君が其子供を引連れて亭主の親族故旧に頼りやうがない。斯う云ふ時代には如何に犠牲奉公の徳を高唱しても、顧みて妻子眷族の窮を思ふ時に、果して其決心が鈍る所なきを得やうか。否な今日の世の中は妻子眷族は扨て置き、自分一人の生活にすら追はれて居るものが多い。斯くて今日の青年が生命も惜しい、金も欲しいと云ふのを、無理と見る事が出来やうか。勿論時勢が時勢だから放任して可いと云ふのではない。一方に於て犠牲奉公の精神の我々の国家的生活の発展に欠くべからざる所以を力説すると共に、他方時代の変に応ずる独特の施設を講ずるの必要があらう。之れ西洋の先進国に社会政策的施設の最も盛んなる所以である。而して我国の先輩は或は国家的設備の形式的整頓完成に誇るものはあらう。然しながら社会政策的施設によつて国民の生活を幸福にならしめた点に誇り得るものは果して幾人あるか。滔々たる政治家皆之れ便所を造らずして西洋の真似をして放尿すべからずと云ふ衛生警察の規則を拵へたもの許りではないか。さればと言つて予輩は憂国の先輩が、今日の青年の志気の頽廃を慨嘆するのを不快に思ふといふのではない。只今日の青年は之れでは動かない。中には或点まで事実の真相を徹底的に見て居る者もあるから、もつと立入つた説明でなければ満足しないものもある。故に従来の先輩の慷慨論は同じ時代の教育を受けた老人達や、又は新らしい教育の風に触るゝことの少き地方農家の若い衆には、多少の同感を得るかも知れないけれども、国家の最も有力なる多少の見識を有する青年には何等の反応を見ないのである。地方の青年でも此頃は段々に開けて居つて、よし彼等に独立の批評眼がないにしても彼等の境遇――時代の圧迫に苦んで居る――は自ら彼等をして物を正視するの傾向を持たしめねば已まない。一応先輩の説に感憤しても後から誰かが行つて事物の真に徹する説明をすれば、彼等の頭は直ぐ変化するに極つて居る。之れ我々が時々地方に遊説して著しく感ずるところの現象である。s　先輩の所説が只現代青年の警告鞭韃に止つて居る間はまだいゝ。然しながら彼等は原因を究めずして青年の思想を変転するに焦るの余り、彼等の思想の宣伝に不便なる総てのものを排斥せんとするに至つては、却つて青年の反抗を挑発して意外の結果を生ずるに至るやうである。例へば今日の青年の志気の振はざるは、西洋思想若くは西洋文学の結果なりとして、はては西洋の文物に眼を蔽はんことを要求するが如き態度に出づる。西洋の文学の中には余りに個人的な、余りに非国家的な分子もあらう。然し適当に之れを理解して居るものから見れば、此等は恐らく大して青年を誤る種にはならぬだらう。若し斯くの如き文学の流行するが故に青年の志気頽廃するといふならば、火元の西洋では夙（と）うの昔に亡国となつて居なければならぬ筈だ。青年の志気頽廃の原因は必ずや外にある。其本当の源を正さゞるが故に、此等の文学が特に青年を累するのであらう。若し源をさへ正せば思想の上に多少危険なものでも尚又文学として之を鑑賞するに何んの妨を見ないのである。然るに肝腎の源を抛擲して罪を文学に帰するが故に、文学の士などは却つて余計に反抗して益々非国家的態度に出づるの現象を呈する。又も一つ押し詰めて云へば、今日の青年は成程先輩の眼から見れば犠牲的奉公の念が薄らいで居るかも知れない。少くとも彼等と同じやうな意味、同じやうな形式に於て忠君愛国を唱へないかも知れない。然しながら真に国家社会の文通の進歩の為めに尽して居る努力其物の総量は、果して先輩諸公の青年たりし時に比して遜色あるか何うか。先輩諸公の青年たりし時が独り志気旺盛にして、今日の青年が全然言ふに足らざる頽廃の淵に沈んで居るものであるなら、日本が今の如き地位を維持して居らるゝ筈がない。我々は固より現状に満足するものではない。西洋諸国の進歩発展の莫大なるに比較し、我国の前途は尚容易に楽観すべからざるものあるを思ふけれども、又明治年間の発達の跡を見て、少くとも抽象的に現代の青年に失望悲観しない。時代の変に応じて各種の改良施設を社会背景に加へ、其上に現代の青年を活動せしむるならば、必ずや先輩諸公の憂ふるところは大いに減ずるだらうと思ふ。現代の青年を鞭韃警告するは固より必要である。けれどもそれよりも必要なるは現代青年の活動を妨ぐる総ての社会的原因を除くことである。而して之れ実に先輩諸公の責任である。而して先輩は常に青年を責むるに酷にして、自家の保守的思想の満足の為めに社会的改革の断行を欲しない。少くとも之れを第二次に置くが故に、折角の親切な先輩の忠告にも、青年は動もすれば反感を感ずる。例へば学制問題に見よ。猫も杓子も帝国大学の門に集つて高等遊民が出て困ると言ふ。然しながら社会の制度並びに慣行は帝大出身者に多大の特権を与へ、私学を圧迫して殆んど之れに帝大と同等の機会を与へず、帝大出身者にあらざれば青年の志を満足する地位にありつけないやうにして居るではないか。更に之を軍制に見よ。兵隊の義務は国民として苟も光栄ある義務なりと称へながら、上流社会は公然兵役を免れ（上流社会が兵役を免れ得るやうに制度が出来て居る）偶々止むを得ずして兵役につけらるれば為めに著しく学業が妨げられ、甚しければ職ある者も之を失ふといふことになつて居る。此等は先輩が二三決心をすれば一挙にして除去し得る事柄である。之を除去し各般の社会的制度慣行が、青年の活動を少くとも之に伴ふやうにすれば、初めて以て青年に犠牲奉公を説くことが出来るのである。今日の青年は今や正に時代の変と社会の欠陥を意識し、之を先輩に訴へ、或は自ら之が為めに努力し以て青年全体の活動を滑かならしめんと志しつゝある。斯くせざれば国家の前途亦甚だ危いと憂ひて居る。徒らに青年の志気の頽廃を説くの説に対しては、時代を解せざる老翁の繰言の如く、其誠意を諒として密かに其老を笑ふといふやうな風になつて居る。現代の青年は蘇峰先生の警告に接し或は此風の説明に多少の不足を感ずるのではあるまいか。s底本：「日本の名随筆　別巻96・大正」作品社s　　　1999（平成11）年2月25日発行s底本の親本：「吉野作造選集３」岩波書店s　　　1995（平成7）年7月s入力：加藤恭子s校正：染川隆俊sファイル作成：野口英司s2001年2月28日公開s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。●表記についてs本文中の／＼は、二倍の踊り字（「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号）。渡辺温：絵姿　s絵姿　s渡辺温s　1s　倫敦（ロンドン）の社交界に隠れもない伊達者ヘンリイ・ウォットン卿はたまたま、数年前にかの興奮から突然姿をくらまして色々と噂の高かった画家ベエシル・ハルワアドを訪れた。そしてその東邦の数奇を凝らした画室の中央に立てかけられて、完成しかけている一青年の肖像画の、比ぶべきものもなく思われて美しい面影に驚嘆した。s『象牙と薔薇の葉とでつくられたアドニス……』とヘンリイ卿は云った。『美は真実の美しさは、知識の萠しと共に亡びるものだ。知的であることはそれ自身ひどく大袈裟で、そして如何なる容貌の調和をも破壊してしまう。ところが、この絵に描かれた君の不思議な若い友達と来ては滅法素敵だ。彼は全く無心だ。彼はまるで何か無知な美しい生物のようにも思えるではないか。……ドリアン・グレイと云うのだね？――紹介してくれ給え。』s『ドリアン・グレイは僕の最も親しい友だ。』と画家は憂わしげに云うのであった。『それにこの上もなく純粋で優雅な気質を持っている。彼の素直な生まれつきを、君の不逞な影響で害ねないでくれ、世間は広いのだから、沢山の素晴しい人々がいるに違いない。どうぞ、僕の芸術がもつ程の総ての魅力を与えてくれる唯一の存在、云い代えれば僕の芸術家としての全生命が只管（ひたすら）懸けられているところの彼を僕から奪い去らないでくれ給え。解るだろうね、ハアリイ、僕は君を信ずる。』s　2s　ドリアン・グレイはモデル台に上って、若い希臘（ギリシャ）の殉教者のような姿勢をしたまま、ヘンリイ卿の雄弁に耳をかたむけた。ヘンリイ卿の声には妙に人を惹きつける響があった。ヘンリイ卿はこの若者の世にもめでたき美貌を惜しく思った。そして、人生と幸福とについて新らしい見方を教えた。それは計らずも、ドリアンの心の奥なる、曾て触れられたこともなかった秘密の琴線に鳴りひびいたのである。s『――誘惑に打ち勝つ唯一の方法は、それに従うことだ。何故と云って、禁制のものを願う慾望は徒（いたずら）に人間の魂を虐げるばかりだから。……魂を癒すものは感覚に他ならないし、感覚を癒すものは魂に他ならない。これは人生の大きな秘密だ。……ああ、君のおどろくべき美しさ！　君の燦しい青春こそは、日光の如く、春の日の如く、月の如く、全世界を魅惑することが出来るであろう。……併し、青春は再び帰らない。やがて、我々の肉体は衰え、感覚は枯れる。そして過ぎた日に素晴しい誘惑に従う勇気を持たなかったことを後悔しはじめるであろう。ああ、青春！　青春！　現世には青春以外の何ものもない。』ヘンリイ卿の言葉は、まことに狡猾極まる魔法にも等しかった。如何に明快に活々と、しかも残酷にドリアンの童心は鞭打たれたであろうか。ドリアンは俄かに人生が彼に向って火の如く燃え上がるのを感じた。s　3s『さあ、すっかり出来上った。』とベエシル・ハルワアドは絵筆を措いて云った。s『ドリアン、今日は珍しくじっとしていてくれたものだね。有難う。』s　画家は、ドリアンとヘンリイ卿との間にどんな会話が取り交されたものか、少しも気がつかなかった程、為事（しごと）に心を奪われていたのである。s『それは僕のお蔭さ。ねえ、グレイ君。』とヘンリイ卿が云った。s　ドリアンは黙って絵の前に立った。見事に刻まれた唇、青空の如く深く晴れやかな瞳、豊かな金色の捲毛、ドリアンは自分の美しさに初めて堪能した。が併し、その絵姿が美しければ美しい程、云いようのない愁（かな）しみの影が心の底に頭を擡げて来るのをドリアンは気がついた。s『僕は永遠に亡びることのない美が妬ましい。僕は僕の肖像画が妬ましい。何故それは、僕が失わなければならないものを何時迄も保っていることが出来るのであろうか。若しも、その絵が変って、そして僕自身は永久に今の儘でいることを許されるのだったならば！　その絵はやがて、僕を嘲うに違いない――何と云う恐しいことだろう。』s　ドリアン・グレイは泪を流して、恰も祈りでもするかのように椅子の中に身を沈めた。s『これはみんな君のした事だ。』と画家は痛々しげに云った。s　へンリイ卿は肩をゆすった。s『これが本当のドリアン・グレイなんだ。』s　4s　ドリアンは、今や人生のすべてを知り尽したい慾望にかられた。s　ドリアンは公園の中を漫（そぞ）ろ歩くにしても、ピカデリイを散歩するにしても、行き交う人々の顔をいちいち、彼等が一体どんな生活を営んでいるものかと怪しみながら、狂いじみた好奇心でながめた。それらの或る人々は彼を惹きつけたし、また或る者は彼を恐怖せしめた。空気は微妙なる毒に漲っているように感じられた。彼は何かしら異状な出来事を待ち憧れた。s　そして、或る夕ベの事、ドリアンはふと思い立って醜悪な犯罪人と華麗な罪悪とにみち溢れた灰色の怪物倫敦の下層区を探険するべく出かけた。危険はドリアンにとってはむしろ快楽であった。ドリアンは当もなく東の方向を択んで進む中に、忽ち陰気な薄暗い街の中へ迷い込んで、やがて小さな立ちくされた芝居小屋の前に出た。そしてゆらめく瓦斯の光とベカベカな狂言ビラとにドリアンは足を止めた。そこの入口のところには奇妙な胴衣を着た卑しげな猶太（ユダヤ）人が粗悪な葉巻を燻らして立っていたが、ドリアンを見ると、『閣下どうぞお入り下さいませ。』と云って、うやうやしくドリアンの帽子をとって中へ招じ入れたのである。s　出し物は、『ロメオとジュリエット』である。s　南京豆ばかりを食い散らしている下等な見物人と、おそろしいオーケストラとは、遉（さすが）のドリアンも堪え難かった。が、さて幕が開いてうら若いジュリエットが姿を舞台に現わすに及んでドリアンは思わず歓声を洩した。s　5s　やっと十七八らしいその可憐な花の如き女優は、ドリアン・グレイがこれ迄に見た如何なるものに優って愛らしかった。暗褐色の髪を振り分けに編んだ小さなギリシャ型の頭や、情熱の泉のような菫色をした瞳、それに薔薇の葩（はなびら）の如き唇、ドリアンは泪のために娘の顔が見分け難くなる程感動した。そしてまたその声は、やわらかな笛の音のように、或るいは夜明け前の鴬の唄声のように、やさしく澄んでいるのだった。s　ドリアンは、生れてはじめて身も世もない恋慕の思いに胸をかきみだされた。彼女の名前をシビル・ヴェンと云った。s　ドリアンはシビル・ヴェンを忘れかねて、それから毎晩、その怪しげな芝居小屋へ通った。s　三日目の晩にドリアンは、恰度ロザリンドに扮した彼女へ花を投げた。そしてその幕が済んだ後で、彼は猶太人に導かれて楽屋へ通った。s　シビル・ヴェンは未だ初々しい内気な娘であった。彼女はドリアンが彼女の芸を称讃するのをばただ不思議そうに眼を瞠って聞いていた。彼女のその様子には自分の力量を意識しているようなところが少しも見えなかった。彼女はおずおずとドリアンに云った。s『あなたは王子さまのようでいらっしゃいますのね。これからプリンス・チャーミングと呼ばせて頂きますわ。』s　彼女もまたそんな職業や生活ではあったが、人生については全く無智な子供に過ぎなかった。s　6s　シビルはメルボルーンへ向けて航海しようとしている弟のジェームスと共に明るい日ざしの中をユーストン通りの方へ歩いていた。s『その人は、プリンス・チャーミングって云うの。ねえ、随分すてきな名前じゃなくって？　お前だって一目その人を見たなら屹度その人が世界中で一番立派な人だと思えるに違いないわよ。誰でも、みんなその人を好きだし、それにあたし……あたしその人を愛しているの。ねえ、ジム、恋をしながらジュリエットの役をするなんて、なんて幸せなことなんだろう。』s『男には、とりわけ紳士と云う奴には気をつけなくちゃいけないよ。』とジェームスは云った。s『ジム、もうあきあきしたわ、そんな事。おっつけお前が誰かと恋に落ちた時に、はじめて解ることだわ。』その時だった。彼女は思いがけもなく二人の貴婦人と共に馬車を駆って過ぎるドリアン・グレイの金髪と笑いかけた唇とを見つけた。s『ああ、あすこにプリンス・チャーミングが！』s　と彼女はとび上った。s『何処に？』とジムはびっくりした。『どれ、どの人だ。見覚えて置かなければならない。』併し、馬車は早くも雑踏の中に疾り去った。『残念なことをした。――僕はそいつが姉さんに悪いことでもしようものなら必ず生かしちゃ置かないつもりなのだから。僕はどんなにしてもそいつを探し出して犬のように刺し殺してやるぞ！』ジムはそう云いながら幾度も短剣をつき刺すような恰好をしてみせた。s　7s　ヘンリイ卿とハルワアドは、ドリアン・グレイからシビル・ヴェンとの恋を打ち明けられて少からずおどろいた。s　それで二人は一夜、ドリアンに案内されてその裏町の見窶しい劇場へ見物に出かけた。その晩はどうしたものか満員で、暑さのために上衣も胴衣も脱いだ見物人たちが劇場を縦横に呼び交し合っていた。また酒場（バア）の方からはさかんにコルクを抜く音が聞こえて来た。s『女神もいいが、これはまあ、とんだ所ではないか！』とヘンリイ卿は云った。『併し彼女が舞台に現われさえすれば、あなたはすべてを忘れてしまいます。』とドリアンは云った。『どんな不作法な見物人達も悉く鳴りを静めておとなしく彼女に見とれるのです。そして彼女は、自分の思うままに、見物人を泣かせもし、笑わせもするのです。』十五分の後に遂にシビル・ヴェンはわれるばかりの喝采と共に舞台にその姿を現わした。s　如何にも彼女は今迄見たどんな女よりも美しい――とヘンリイ卿は思った。――が、それにしても、何と云う拙い芸なのであろう。こんな冷淡なジュリエットがまことあるであろうか。彼女はロメオを見ても少しも悦ばし気ではなかった。彼女の声は良いには違いなかったが、全く調子を外していた。ドリアンの顔色は真蒼になった。s　ああ、このおどろくべき失態は一体どうしたと云うのだろう。彼女は病気なのかも知れない。見物人は総立ちとなって、床を踏み、口笛を吹き鳴した。s　ヘンリイ卿とハルワアドとは堪えかねて、ドリアンを残したまま、先に帰って行った。s　8s　ドリアンの心臓は無残に引き裂かれた。彼は最後の幕が降りるや否や楽屋へ走り込んだ。s　娘は彼を待っていた。『ねえ、今晩は随分あたし拙かったでしょう。ドリアン。』『おそろしく！　おそろしく拙い。まるでなってやしない。あなたは病気ではなかったのか。あなたはそんな平気な顔をして。僕がどんなに苦しい思いをしたか……』『ねえ、ドリアン、解って下さるでしょう。』と娘は微笑んで云うのであった。『あたし、これからも、決して上手な芝居はしないのよ。何故って、あたし、あなたにお会いする迄は芝居だけがあたしの本当の生活だったのよ。そして、ベアトリチェの喜びはあたし自身の喜びであり、コルデリアの悲しみはとりも直さずあたしの悲しみだったの。絵具を塗った画割があたしの住む世界でした。ところが、そこへあなたが美しいあなたが現われて、あたしにはじめて影ではない真実の物の姿を見せて下さいました。』s　ドリアンは顔をそむけて嘆息した。s『あなたは僕の恋を殺してしまった。僕があなたを愛したのは、あなたが僕の幻想を呼びさましてくれたからだ。大詩人の夢を再現し、その芸術の影に形と実質とを与えてくれたからだ。それをあなたは、見事に打ち壊してしまった。何と云う浅墓な愚かな娘であろう。僕はもう再びあなたも、あなたの名前さえも思い出すことはあるまい。』s　ドリアンは、そう云い捨てると泣き沈んでいるシビルを残して立ち去った。s　9s　――真実であろうか。肖像画が変化を生ずるなんて、そんな事実がこの世に有り得るであろうか。それともそれは単なるたあいもない幻想がその朗かであるべき容貌をひょっとして忌しいものに見せたに過ぎないのだろうか。……だが、それはあまりにまざまざとしていた。最初は覚束ない薄明りの中で、次には輝しい曙の光の中で、ドリアンはれいのハルワアドの画いた肖像画の歪んだ唇の辺に漂う冷酷な蔭を見たのであった。彼は恐しかったが、併し、それをもう一度確めなければならないと考えた。そこで彼はひそかに部屋にこもって、その肖像画の前に立った。そして恐る／＼絢爛たるスペイン革の覆いを除けて、彼自身の姿と向き合った。果して、それは幻ではなかった。肖像画は明らかに変っていた！　彼は慄然として長椅子に身を落としながら、その画像を云い知れぬ恐怖を以て瞶めた。彼はシビル・ヴェンに対して如何に無慈悲で残酷であったかを思い出して慚愧の念に心を噛まれた。彼はあらためてシビルと結婚したいと思った。それで程なく訪ねて来たヘンリイ卿の顔を見ると、直ぐにその決心を打ち明けた。するとヘンリイは額を曇らして云った。s『君の妻だって?!s　ドリアン！　では君は僕の手紙を未だ見なかったのだね？』s『手紙？　そうそう、ごめんなさい。未だ見ずにいました。』s『シビルは死んだ。』とヘンリイ卿は云った。s『昨夜十二時半頃あやまって毒を、青酸か何かを飲んだらしいと今朝の新聞に出ていた。』s　10s　ベエシル・ハルワアドもまたシビルの死を知ったのでドリアンを訪れた。そして、ドリアンの口から彼女の死が自殺であることを聞かされて、彼のあまりにも冷酷な振舞いをいたく心外に思った。『だが、ドリアン。』と彼は悲しげな微笑を浮かべて云った。『もうこれっきり、この恐ろしい事件について語るのを止そう。僕はただ君の名が、それに拘り合いにならなければいいと思うのだが。『大丈夫。』とドリアンは答えた。『ただ洗礼名だけだが、それだってシビルは誰にも話さなかったに違いない。彼女は僕の事を何時もプリンス・チャーミングと呼んだ。却々可愛いではないの。……そこでベエシル、彼女の僅かばかりの接吻と口説との思い出に、一つ彼女の姿を画いてはくれまいか。』『お望みとあらば、画いてもいい。但し、それには矢張り君自身がモデルになってくれなければいけない。』『それは困る！』画家は吃驚（びっくり）した。『君は僕の画いた絵を好まないとでも云うのか？　あの絵はどうした？　どうして、君は、その様な覆いをかけて置くのだ？　見せ給え。』s　ドリアンは恐しい叫びを上げて画家の前に立ち塞がった。『いけない！　断じて！　強いて見ようと云うならば僕達の間はもうこれ迄だ！』s『ドリアン！』s『黙り給え！』ドリアンは頑強に拒んだ。s　そして彼はその日の中に、その肖像画を階上の廃れた勉強部屋にこっそりと移してしまった。s　11s　幾許かの歳月が流れた。併しドリアン・グレイの容色の煌（かがやか）しさはさらに衰えを見せなかった。そして倫敦中の社交界や倶楽部なぞに於て、彼の身の上に関する最も不名誉な怪しむべき噂を耳にした人々でも、一度彼を見てはその誹謗を信ずることをやめた。彼こそは常にこの世の如何なる汚れにも染まらずにいるように思われたからである。彼の姿は人々の心の中に曾ては自分たちも持っていたところの純情を思い出させた。ドリアンは屡々姿を晦（くら）ました。さまざまな憶測は概ねそんなことに生まれた。そして長い不在から帰って来ると、ドリアンは必ず秘密の部屋へ通ずる階段を上って行った。部屋の鍵は何時も肌身を離さなかった。ドリアンは其処で、ベエシル・ハルワアドの画いた己れの絵姿と向き合って、更に鏡の中に本当の自分の姿を映して見比べているのであった。まことに驚くべきその対照は彼の感覚を無上に楽しませた。彼は自分の美貌に見惚れれば、更に一層深く自分の魂の堕落に興味を覚えたわけである。彼は丹念にあらためながら、時にはひからびた額に刻まれた険悪な皺や、陰欝な口の辺に生々しく這う線に不気味な凄惨な悦びを味い、また時にはそれらに表われた罪悪の徴と歳月の痕と、果して何れがより恐しいかと訝しむこともあった。s　善美を尽した宴と、香わしい夜の部屋と、変装の冒険と、波止場の怪しげな旅籠の一室とにドリアン・グレイの不思議な生活は続いた。s　12s　それは九月九日、ドリアンの第三十八回目の誕生日の夜の事であった。s　ドリアンはヘンリイ卿の晩餐に招かれてその帰りがけに、霧深い町角でゆくりなくもベエシル・ハルワアドと出逢った。画家は今迄ドリアンの邸で彼の帰りを待っていたのだった。画家は、製作のために夜中の汽車で巴里（パリ）へ立ったのだが、その前に是非とも彼に話さなければならないことがあるのだと云った。そこでドリアンは止なく画家を伴って帰った。既に晩かったので召使等は寝ていたが、ドリアンは自分で※（かきがね）を外して入った。s『話と云うのは君自身に関することだ。』とベエシルは云った。『今やロンドン中に於ける君の評判は君自らも勿論知っているに違いないと信ずる……』ドリアンは溜息を吐いた。s『知り度いとは思わない。他人のことならいざ知らず、自分の醜聞を愛する奴はたんとは、あるまいよ。』s『すべて罪悪と云うものは必ずそれ自身を当事者の面に表現せずにはいない。断じて隠し了せるものではない。それだのに君は、実に浄（きよ）らかな燦かな玲瓏たる紅顔を何時迄も保っている。どうして君に対する忌しい取沙汰なぞを信用出来ようか。だが併し、それでは例えばバアイック公爵を初めとしてその他の多くの名流の紳士達が君と同席することを嫌うばかりでなく交わり迄を断とうとするのはどうしたことであろう？……それにまた僕は実際君と一時親交のあった多くの青年紳士や貴婦人達が何れも同じように世にも不幸な破滅を遂げたことを知っている……』s　13s『……僕には君の真実が解らない。僕が君の魂を見たい。』と画家は云った。『僕の魂を見る?!』とドリアンは呻いた。『そうだ。併し、それは神様でなければ出来ないことだ。』と画家は愁しげに云った。鋭い侮りの笑い声がドリアンの唇から洩れた。『君は今晩そいつを見ることが出来るよ。僕は君に自分の魂を見せてやろう。』『ドリアン、君は何と云う恐しいことを云い出すのだ！』と画家はひどく驚かされた。『いいから僕について二階へ来給え。僕の今迄の一切を記した日記がしまってあるのだ。』二人はそこで足音をひそめて真暗な二階へ上って行った。仄暗いランプの光は壁や階段に奇怪な影を浮かせた。窓は夜風に鳴っていた。『さあ、うしろの扉を閉め給え。』とドリアンは古い部屋の冷たい夜気に肩をふるわせながら云った。s　画家は訝しげに部屋の中を瞶めた。埃にまみれた椅子や机や空になった本函や色褪せたフランダース風の壁掛なぞの間に混って、かけられた一枚の絵が彼の目を惹いた。『神様だけが見ることの出来る僕の魂とはそれだ。ベエシル、カーテンを除け給え！』ドリアンにそう命ぜらるるままその帷を開いた画家は思わず恐怖の叫びを上げた。それは正に彼が描いたドリアンの姿に相違なかった。ああ、併し、何と云う激しい変り方であろう！　画家は醜いドリアンの顔に戦慄すべき無残な悪魔の面影を見とめた。だが、ドリアンの魂の秘密を知った画家は、次の瞬間背後から窺い寄ったドリアンの鋭い刃を首筋に受けて其場に昏倒した。s　14s　翌朝、陽はうらうらと晴れ、九月の青空は明るかった。ドリアンは朝の珈琲を飲んだ後に手紙を二通したためた。そして一通をポケットに収め一通は召使を呼んで渡した。『これをハートフォド街百五十二番地のキャンベル氏へ届けてくれ。』ドリアンはそれから時計を幾度となく眺めながら部屋中を歩き廻った。彼の胸は堪え難い不安と焦慮のためにかきむしられた。到頭青年科学者アラン・キャンベル氏がやって来た。『アラン！　親切なアラン！　よく来てくれた。』と待ち兼ねたドリアンが云った。『僕は再び君の家の閾をまたぐまいと固く決心したのだったが……』とアランは答えた。s『僕の生死の問題だ。そんなことを云わずとこの願いを聞き届けてくれ……』そこでドリアンは、昨夜自分が殺人を行って、その死体は二階の秘密の部屋に隠してある旨を打ち明け、そしてそれをば化学の力で巧みに処理して欲しいと頼んだのである。『いやだ！　御免を蒙ろう。』アランは顔色を変えて叫んだ。『どうしても不承知と云うのか？』『絶対に！』『よし……』ドリアンは憫笑を浮かべながら黙って紙片に何事かを書いて、それをアランに渡した。アランは紙片を読んで狼狽した。『あく迄嫌と云うならばお気の毒だ、もう一通の手紙は此処に書いて持っている……承知してくれるね。二階には瓦斯の火もあれば石綿もある。また必要な薬品なぞは一切使いをやって買わせればいい。二人の間の永遠の秘密だ……』s　15s　その夜ドリアンはナルポウロ家の夜会に出席したが遉に心は鉛の如く重たく沈んで少しも浮き立たなかった。遂に居堪まらなくなって、ヘンリイ卿やその他の人々の引き止めるのを振り払うようにして席を外した。そしてボンド街で二輪馬車を拾うと、夜更けの街を一散に疾駆させた。月は低く懸って恰も黄色い頭蓋骨のように見えた。時々大きな黒雲がむくむくと長い腕を伸してそれを包んだ。やがて街燈の数も乏しくなり街は次第に狭く荒廃し陰惨になって行った。『魂は感覚に依って慰められ、感覚は魂に依って慰められる――』波止場の辺でドリアンは馬車を乗り捨てた。そして廃れた工場の間に挾まれた小いさな汚れた家へ入った。そこは阿片窟である。阿片の強烈な匂によろめきながら暗い小部屋へ入ろうとしたドリアンは、ランプの上に屈んでパイプへ火をつけようとしている一人の友と会った。ドリアンは誰も自分を知った者のいないところでたった一人になりたかったので直ぐに其の場から逃げ出そうとした。すると酒場（バア）のところに居合せた窶れ果た女がドリアンに呼びかけた。『プリンス・チャーミング！』この声を聞いて今迄部屋の隅のテーブルに突伏していた一人の水夫が突然その顔を擡げた。そうして憤怒に燃えた眼射で四辺を眺め廻したが、扉が閉まる音を耳にすると、矢庭に跳び上がって恰も追跡するかのように戸外へ飛び出した。s　16s　ドリアン・グレイは波止場に沿って、ビショビショと降り出した雨の中を急いだ。彼は阿片窟で会った若い友の悲惨極まる運命もまたベエシルの云った如く自分に関りがあるのだろうかと思い返した。彼は唇を鳴した。彼の眼はほんの少しの間悲し気に曇った。だが、結局それだからと云って如何なるものでもないではないが……彼は一層足を早めて、そして近道をするために薄暗い拱路（アーチウエイ）へ入った。するとこの時何者かが矢庭に背後から彼を引っつかむと、彼が抗う暇（いとま）もなく兇暴なる腕は、彼の首をしめつけたまま忽ち壁に向って押し戻した。彼は必死になって※いて漸くその恐しい指を払い除けることが出来たが、今度はピストルの金具の鳴る音を聞き、そして彼の頭を真直ぐに狙っているギラギラ磨かれた銃口とずんぐりとした汚れた男の顔と向き合った。s『何をするんだ？』とドリアンは喘いだ。『静かにしろ！』と男は云った。『貴様はシヴィル・ヴェンを殺した。俺は彼女の弟だ。俺は復讐を誓って十八年もの間お前を探し求めていた。』『十八年？』ドリアンの蒼ざめた顔に勝利の色が浮んだ。『十八年！　僕を明るい灯の下でしらべて見給え。』そこで水夫はドリアンを拱道から出して、風に揺ぐ街燈の下でその顔をあらためた。ところが彼が見とめ得たのは二十才にも満たない紅顔の美少年だった。水夫は愕然とした。『旦那、どうぞ許しておくんなさい。私はとんでもない間違をするところでしたよ……』s　17s『ピストルを蔵って家へ帰り給え。さもない時には君の為にならないぜ。』ドリアンはそう云うと、踵を返して静かにその場を遠ざかって行った。ジェームス・ヴェンは恐しさのあまり甃石の上に立ちつくした。彼は爪先から頭の天辺迄慄えていた、しばらくすると其処の濡れた壁にへばり着いていたような黒い影が明るみの中に現われて、こっそりと彼に近寄って来た。それは阿片窟の酒場にいた女の一人であった。『何故彼奴を殺さなかったんだい？』と彼女は声をひそめて云った。『妾はお前が彼奴をつけているのを知っていたんだよ。何と云う馬鹿だろうね、お前さんは。殺せばいいのにさ、彼奴は何しろしこたまお金を持っている上に、またひどい悪なんだからね。』『人違いだ』と彼は答えた。『俺は金なんぞは欲しくねえ。俺の欲しいのは男の命だ。そいつはどうしたってもう四十近い年輩の筈だ。あんな小僧っ子じゃねえ。だが、血を流さなかったのは全く神様のお蔭よ。』女はけたたましい声で笑った。『小僧っ子だって？　冗談じゃないよ。プリンス・チャーミングが妾をこんな目に遭せてからざっと、もう十八年からになるんだからね。』『嘘を吐け！』とジェームスは叫んだ。『神様かけて！』『誓うのか？』『誓うともさ。』彼は凄じい唸声と共に街角へ走った。併し夙にドリアンの姿は暗にまぎれて消えていた。そして後を振り返った時には女の姿もまた消え失せていた。s　18s　それから一週間程して、ドリアンはセルビイ・ロイヤルの植物室で、そこの硝子窓に白い手巾（ハンカチ）の如くに貼りついて彼を瞶めているジェームス・ヴェンの顔を見出して気を失って倒れた。それ以来ドリアンはことごとに怯かされた。彼は終日部屋に身をひそめていた。風の動く壁掛の影にも戦（おのの）いた。眼を閉じさえすれば、霧に曇った硝子窓から覗き込む水夫の顔を見た。云い知れぬ恐怖が彼の心臓をつかんだ。その上また彼が犯した血塗れの罪悪は暗い部屋の隅から絶えず彼に呼びかけ、彼を嘲笑い、そして氷のような指で彼の眠りを揺り起した。彼は蒼ざめ、果は狂気の如くに泣いた。併し彼は強いて覚束なくなりかけた心と争った。彼は取るにも足らない良心の脅迫を軽蔑したかった。朗らかに晴れて松の香の漲った冬の或る朝、彼は久し振りで馬を駆って狩猟の仲間に加った。空気は香り高く、森は赤と鳶色の光に輝き、勢子（せこ）のどよめき、鋭い銃声は新鮮な自由の歓びに充ち溢れていた。ドリアンは気も軽々とモンマウス公爵夫人の弟のジョフレイと並んで進んだ。s　突然彼等の前方二十碼（ヤード）程のところの草むらが揺れたかと思うと、一匹の黒い耳の兎が飛び出した。ジョフレイは素早く銃を肩に当てがってそれを覗った。『待ち給え！』と我ともなくドリアンは叫んだ。だが既に遅かった。二つの叫び声が聞えた。兎のそれと、凄じい人間の悲鳴とであった。s　19s　ジョフレイ氏に依って撃ち殺されたのは他ならぬジェームス・ヴェンであった。ドリアンはそれと知って身を慄わした。ドリアンは倫敦を去って静かな田舎にかくれた。そこの小さな宿屋の一室に籠って、新しい生涯の第一歩を踏み出し度かった。ドリアンは美しい村娘のヘテイと恋に落ちた。彼女はまるでシビル・ヴェンの如くに優しく愛らしかった。ドリアンは真実ヘテイを愛した。到頭二人は或る日林檎の畑の中で明日の夜明けに手をとりあって村から逃げ出す約束までした。併し、ドリアンは娘の身の幸せを考えて娘を置きざりにしたままひそかに倫敦へ帰った。『……僕は彼女を矢張り何時までも花の如き娘として残して置き度かったのだ。』とドリアンはその話をヘンリイ卿に打ち明けた。s『物語風の動機が君に悦びを与えただけの話だね。』とヘンリイ卿は笑った。『君の生活改善なるものも甚だ怪しい次第さ。彼女は君の善き忠告に依って無残に胸を引き裂かれたことだろう。』『そんな莫迦な！　勿論彼女は泣いた。併し彼女は汚れてはいない。彼女はペルデイタの如くに彼女の花園で薄荷と金仙花の間で生活することが出来る……』s『ふっ、何と云う君は子供だろう。その娘はやがて馬車曳きか百姓と結婚して、そして君から教えられた通りに彼女の夫を欺き、立派な生涯を送ることに違いあるまい。……それはそうと、ベエシルの失踪とそれからあのキャンベル君自殺事件を知っているかね？』s　20s　過去ったことはどうなるものでもない。自分自身と未来について考えなければならぬ。ジェームス・ヴェンはセルビイの墓地に名も知られずに葬られたし、アラン・キャンベルは自分の研究室でピストル自殺を遂げたし、ベエシル・ハルワアドの失踪も永遠の秘密としてやがて人々から忘れ去られるだろう。新しき生活！　ドリアンの希うのはひたすらそればかりだった。そして、ドリアンは既にその一歩を踏み出していたのだった。彼は村の娘ヘテイに対する心づくしを考えた時、ひょっとしてあの肖像画に、新しい変化が生じていないものでもないと思った。少くともこれ迄よりも兇悪なものではなくなっている筈だ。おそらく悪魔の面影だけは消え去っていることであろう。ドリアンは周章ただしくランプをとって階段を上って行った。そして素早く中へ這入ると何時もの如くに後に扉を閉して、さて絵姿に掛けられた紫の覆を引いた。その途端に彼は苦痛と憤怒の叫びを発した。絵姿は少しも変っていないばかりでなく、その眼は新に狡猾な色を湛え唇は偽善の皺に刻まれて一層醜く歪んでいたではないか！　ドリアン・グレイは絶望のあまり曾てベエシル・ハルワアドを刺した同じ短剣でその絵姿を刺し貫いた。すると、それと同時にドリアンは恐しい叫喚とともに打ち倒れた。物音を聞きつけた人々がその部屋に入って来た時、人々は美貌の少年の絵姿の前に、夜会服の胸を刺し貫いて倒れている醜い陰惨な人相をした男の死体を発見したのであった。s底本：「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社s　　　1970（昭和45）年9月1日初版発行s初出：「新青年」1928年11月（二回分載）s入力：森下祐行s校正：もりみつじゅんじsファイル作成：もりみつじゅんじs2001年10月8日公開s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。●表記についてs本文中の※は、底本では次のような漢字（外字）が使われている。sドリアンは自分で※（かきがね）を外して入った。s第4水準2-91-37s彼は必死になって※いてs第3水準1-92-36s寺田寅彦s映画芸術映画芸術寺田寅彦s　　　　　緒言s　映画はその制作使用の目的によっていろいろに分類される。教育映画、宣伝映画、ニュース映画などの名称があり、またこれらのおのおのの中でもいろいろな細かな分類ができる。しかしこれらの特殊な目的で作られた映画でも、それが広義における芸術的価値のないものであれば、それは決してその目的を達することができない。そういう意味においてすべての種類の映画の制作はやはり広義における映画芸術の領域に属するものと思われるから、ここではそういう便宜上の種別を無視して概括的に考えることにする。s　映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児である。それで映画を論ずる場合に映画の技術に関する科学的の基礎と、その主要なテクニークについて一通りの解説をするのが順序であるが、この一編の限られた紙数の中にこれを述べている余地がないから、ここではいっさいこれらを省略する。しかし大多数の読者がこの点について一通りの予備知識を備えているものと仮定してもおそらくたいした不都合はあるまいと思う。s　ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越をあえてするに至った因縁について一言しておきたいと思う。元来映画の芸術はまだ生まれてまもないものであってその可能性については、従来相当に多数な文献があるにもかかわらず、まだ無限に多くのものが隠され拾い残されているであろうと思われる。従って、かえってそういう文献などに精通しない門外漢の幼稚な考察の中からいくらかでも役に立つような若干の暗示が生まれうるプロバビリティーがあるかもしれないと思われる。また一方で自分は、従来自分の目にふれたわが国での映画芸術論には往々日本人ばなれのしたものが多いようであって、日本の歴史と国民性を通して見た映画の理論的考察が割合に少ないように思われるのを遺憾としていた。それで、もし多少でもそういう方面からの研究の端緒ともなるべきものに触れることができればしあわせだと思ったのである。s　もう一つ断わっておく必要のあるのは、発声映画の問題である。始めから発声映画を取って考えるのと、無声映画時代というものを経て来た後に現われた発声映画を考えるのとでは、考え方によほどな隔たりがある。しかしここでは実際の歴史に従ってまず無声映画を考えた後に、改めて別に発声映画の問題に立ち入りたいと思う。s　なお映画に関しては経済学上からまた社会学上から見たいろいろな問題がある。しかもそれらの問題は必ずしも映画芸術上の問題と切り離して考えることができないものである。しかしこれらの重要な点にもここでは立ち入るべき余裕もなく、またそれはおそらく自分の任でもないから、全然省略して触れないことにする。これは遺憾ながらやむを得ない次第である。これについてはベーロ・ボラージュの「映画の精神」（s:s,s1930）を読むことをすすめたい。自分はこの書とプドーフキンの有名な「フィルムテクニーク」との二つから最も多くを教えられたものである。s　　　　　映画芸術の特異性s　芸術としての映画が他のいろいろの芸術に対していかなる特異性をもっているかを考えてみよう。s　大概の芸術は人類の黎明時代にその原型をもっている。文学は文字の発明以前から語りものとして伝わり、絵画彫刻は洞壁や発掘物の表面に跡をとどめている。音楽舞踊はいかなる野蛮民族の間にも現存する。建築や演劇でも、いずれもかなりな灰色の昔にまでその発達の径路をさかのぼる事ができるであろう。マグダレニアンの壁画とシャバンヌの壁画の間の距離はいかに大きくとも、それはただ一筋の道を長くたどって来た旅路の果ての必然の到達点であるとも言われなくはない。ダホメーの音楽とベートーヴェンの第九シンフォニーとの比較でもそうである。s　映画についてはどうであるか。たとえば昔からわが国でも座興として行なわれる影人形や、もっと進んでハワイの影絵芝居のようなものも、それが光と影との遊戯であるというだけでは共通な点がなくはない。またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点では似た要素をもっていないとは言われない。それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが、しかしこれらのものと現在の映画――無声映画だけ考えても――との間の差別は単なる進化段階の差だけでなくてかなり本質的な差であると考えられる。少なくもラジオやテレヴィジョンが昔は無かったというのと同じ意味で映画というものは昔は決して無かった新しいものであるということができよう。なんとなれば現代の精密科学は本質的に昔の自然哲学とちがった要素をもっているからである。そういう全く新しい科学的機械的の技術が在来の芸術といつのまにか自由結婚をしてその結果生まれた私生児がすなわち今日の映画芸術である。それが私生児であるがために始めのうちは、父親の芸術の世界でこれを自分の子供として認知する、しないの問題も起こったのである。しかし今ではこれを立派な嫡子として認めない人はおそらくないであろう。s　オペラが総合芸術だと言われた時代があった。しかし今日において最も総合的な芸術は映画の芸術である。絵画彫刻建築は空間的であるが時間的でなく、音楽は時間的であるが空間的でない。舞踊演劇楽劇は空間的で同時に時間的であるという点では映画と同様である。しからばこれらの在来の時空四次元的芸術と映画といかなる点でいかに相違するかという問題が起こって来る。s　まず最も分明な差別はこれらの視覚的対象と観客との相対位置に関する空間的関係の差別である。舞踊や劇は一定容積の舞台の上で演ぜられ、観客は自分の席に縛り付けられて見物している。従ってその視野と視角は固定してしまっている。しかし映画では第一その舞台が室内にでも戸外にでも海上にでも砂漠にでも自由に選ばれる。そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上に任意な視野の広さの制限を加えて対象を観察しこれを再現する。従って観客はもはや傍観者ではなくてみずからその場面の中に侵入し没入して演技者の一人になってしまうのである。それで、おもしろいことには、劇や舞踊の現象自身は三次元空間的であるにかかわらず、観客の位置が固定しているためにその視像は実に二次元的な投射像に過ぎない。これに反して映画のほうでは、スクリーンの上の光像はまさしく二次元の平面であるにかかわらず、カメラの目が三次元的に移動しているために、観客の目はカメラの目を獲得することによってかえってほんとうに三次元的な空間の現象を観察することができる、という逆説的な結果を生じるのである。s　このように映像が二次元的であることから生じるいろいろな可能性のうちにはいわゆるトリック撮影のいろいろな技巧がある。これによって実際の舞台演技では到底見せることのできないものを見せることが容易である。s　このようにして映画は自由自在に空間を制御することができる上に、また同様に時間を勝手に統御することができるのである。単にフィルムの断片をはり合わせるだけで、一度現われたと寸分違わぬ光景を任意にいつでもカットバックしフラッシュバックすることもできる。東京の町とロンドンの町とを一瞬間に取り換えることもできる。また撮影速度の加減によって速いものをおそくも、おそいものを速くもすることができるし、必要ならば時を逆行させて宇宙のエントロピーを減少させることさえできるのである。s　これらの「映画の世界像」の分析については、かつて「思想」誌上で詳説したから、ここには再び繰り返しては述べない。しかし以上略説したところからでも、映画なるものがいかに自由に時間空間を駆使し統御しうるかを想像することはできるであろう。そういう意味で、映画芸術はほんとうに時と空間をひとまとめにしたいわゆる四次元空間に殿堂を築き上げる建築の芸術であるということが了解されるであろう。そうして舞台芸術は一見これと同様であるように思われるにかかわらず、実は次元数においても、また各次元の範囲においてもはなはだしく制限されたものであるということが了解されるであろう。同時に何ゆえに映画が最も広い総合芸術の容器となりうるかという理由もおのずから理解されるであろうと思われる。s　映画芸術が四次元空間における建築の芸術である以上、それをただ一人の芸術家の手で完成することははなはだ困難である。建築が設計者製図者を始めとしてあらゆる種類の工人の手を借りてできあがるように、一つの映画ができあがるまでには実に門外漢の想像に余るような、たくさんの人々の分業的な労働を要するのである。そうしてそれが雑然たる群衆ではなくて、ほとんど数学的「鋼鉄的」に有機的な設計書の精細な図表に従って、厳重に遂行されなければならない性質のものである。しかもそれはこれに併行する経済的の帳簿の示す数字によって制約されつつ進行するのである。細かく言えば高価なフィルムの代価やセットの値段はもちろん、ロケーションの汽車賃弁当代から荷車の代までも予算されなければならないのである。これを、詩人が一本の万年筆と一束の紙片から傑作を作りあげ、画家が絵の具とカンバスで神品を生み出すのと比べるとかなりな相違があるのを見のがすことはできない。映画芸術の経済的社会的諸問題はここから出発するのである。s　　　　　映画の成立s　以上のようなわけであるから、映画とは何かという問題を考えるには、抽象的な議論をする前にまず映画がどうして作られるかという実際上の過程を考えてみることが必要であると思う。s　一つの映画が作り上げられるまでの過程は時代により国により、また製作者により、必ずしも同じではないようであるが、だいたいにおいて次のような段階を経るべきはずのものである。s　第一にその一編の主題となるべきものからいわゆるストーリーあるいはシュジェーが定められる。これはたとえば数行のものであってもよいがともかくも内容のだいたいの筋書きができるのである。それをもう少し具体的な脚本すなわちシナリオに発展させる。しかしそれではまだすぐに撮影はできない。シナリオに従って精細な撮影台本が作られなければならない。それには撮影さるべき対象選定はもちろんそれがいかなる条件においていかに撮影さるべきかが具体的に精細に設計規定されなければならない。それができて後に関係部員のそれぞれの部署が決定されなければならない。一方では精密な予算も組まれなければならない。s　これまでの過程はすべて「分析」の過程である。出発点における主題に含まれているものを順次にその構成要素に解きほごして行ってその各部の具体的設計を完成する過程である。s　このようにしてできた設計が完成すれば次には、これらの各部分が工人の手によって実物に作り上げられなければならない。すなわち一つ一つの場面の一つ一つのショットの断片が撮影される。同じものが何度も何度も、監督の気に入るまでとり直される。この場合には脚本中における各ショットの位置や順序にはかまわず、背景やセットの同じものを便宜上一度にとってしまうという事も必要になって来る。建築の場合に鋳物は鋳物、ガラスはガラスというふうに別々にまとめて作らるると同様である。s　こういうふうにしてできあがった部分品を今度は組み立てて行く「総合」「取り付け」の仕事がこれからようやく始まる。すなわち芸術家としての映画監督の主要な仕事としてのいわゆるモンタージュの芸術が行なわれるのである。s　シナリオを書くまでは必ずしも映画の技術に精通しない素人でも多少「映画的表現」すなわち「映画の言葉」を心得た人ならばある程度まではできないことはない。なんとなればそれは文学から映画への途中の一段階であって、まだ片足だけしか映画の領域に踏み込んでいないからである。それゆえにたとえば「貧しい部屋の中で」とか「歓喜に満ちて」とか、そんな漠然とした言葉を使ってもいいかもしれない。しかしいよいよ撮影を実行する前にはこれでは全く役に立たない。「貧しさ」を「映画の言葉」すなわち、これに相当する視覚的な影像に翻訳しなければならない。たとえば極貧を現わすために水道の止まった流しに猫の眠っている画面を出すとか、放免された囚人の歓喜を現わすのに春の雪解けの川面を出すとか、よしやそれほどの技巧は用いないまでも、とにかく文学的の言葉をいわゆるフォトジェニックなフィルミッシな表現に翻訳しなければならない。s　しかしそれだけではまだ映画の撮影台本にはなり得ない。一つ一つの画面断片の含むフィルムのコマ数、あるいはメートルであらわしたその長さ、あるいは秒で数えたその映写時間を決定しなければならない。そうしてそれらの断片が何個集まって一つの系列あるいはエピソードを成すかを決定してその全長を計算し、そういう系列の何個が全編を成すかを定めなければならない。s　実際には、監督の人によっては、かなりにルースな方法による人はあるであろうが、原則としてはともかくも上記のごとき有機的に制定された道筋を通らなければ一編の有機的な映画はできるはずはないのである。いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって撮影を進行させ、出たとこ勝負のショットをたくさんに集積した上で、その中から截断したカッティングをモンタージュにかけて立派なものを作ることも可能であろうが、経済的の考慮から、そういう気楽な方法はいつでもどこでも許されるはずのものではない。s　以上述べて来ただけのことから考えても映画の制作には、かなり緻密な解析的な頭脳と複雑な構成的才能とを要することは明白であろう。道楽のあげくに手を着けるような仕事では決してないのである。s「分析」から「総合」に移る前に行なわるる過程は「選択」の過程である。s　すべての芸術は結局選択の芸術であるとも言われる。芸術家の素材となりその表現の資料となるものはわれわれの日常の眼前にころがっている。その中から何を発見してつまみ上げるかが第一歩の問題であり、第二は表現法の選み方である。映画芸術家の場合でも全く同様であって、一つの映画の価値を決定するものは全く、フィルミッシな素材とそれのフィルミッシな表現法の選択であると言ってよい。「貧しさ」「うれしさ」の視覚的代表者をどこから拾って来るか、それをいかなる距離、いかなる角度、いかなる照明で、フィルムの何メートルに撮影し、それを全編のどの部分にどう入れるか、溶明溶暗によるかそれとも絞りを使うか、あるいは重写を用いるか。これらの選び方によって効果には雲泥の差が生じるのである。s　いかなる材料のいかなる撮影が効果的であるかを判断するためには映画家は「カメラの目」をもつことが必要である。プドーフキンは爆発の光景を現わすのに本物のダイナマイトの爆発を撮ってみたがいっこうにすごみも何もないので、試みにひどく黒煙を出す炬火やら、マグネシウムの閃光やを取り交ぜ、おまけに爆発とはなんの縁もない、有り合わせの河流の映像を插入してみたら、意外にすばらしい効果を生じて、本物の爆発よりははるかに爆発らしい爆発ができたそうである。また、エイゼンシュテインは港の埠頭における虐殺の残酷さを見せるために、階段をころがり落ちる乳母車を写した。s「彫刻家が大理石とブロンズで考えるように、映画家はカメラとフィルムで考えそうして選択することが第一義である。」s　役者の選択についても同様である。舞台の名優は必ずしもフィルムの名優ではない。ロシア映画ではただのどん百姓が一流の名優として現われる。アメリカふうのスター映画でさえも、画面に時々しか顔を出さないエキストラのタイプの選択いかんによって画面の効果は高調されあるいは減殺される。s　背景となるべき一つの森や沼の選択に時には多くの日子と旅費を要するであろうし、一足の古靴の選定にはじじむさい乞食の群れを気長く物色することも必要になるであろう。s　このようにして選択された分析的要素の撮影ができた上で、さらに第二段の選択過程が行なわれる。それはこれらの要素を編集して一つの全体を作るいわゆるモンタージュの立場における選択過程である。s　だいたいのプロットに従って撮影されたたくさんのフィルムの巻物の中にはたくさんのむだなものが含まれている。とりそこね、とり直しがあり、あるいは撮影の際に得られたその場でのヒントによる余分の獲物もあるであろう。それで、使用されたフィルムの陰画の点検によって実際陽画に焼き付けられ映写さるべき部分を選び出すという大きな仕事がここから始まるのである。ティモシェンコのあげた例では千八百メートルの陽画映写フィルムを作るために六千メートルの陰画が消費されている。使ったもののやっと三割だけが役に立つ勘定である。これは非常なきびしい選択であると言わなければならない。しかしできあがった最後の作品の価値を決定するものは実にこの最後の選択の厳重さに係わるであろうと思われる。s　要するに映画は截断の芸術である。たとえばスターンバーグの「青い天使」の台本と、いよいよできあがった作品とを比べてみても、いかに多くのものが切り捨てられたかがわかる（わが国での検閲の切断は別として）。チャプリンがその「街の灯」の一場面を撮るためにいかに多くのフィルムをむだにしているかは、エゴン・エルウィン・ウィッシュの訪問記を一見しても想像されるであろう。s　このようにして行なわれる選択的截断は言うまでもなく次に来るところの編集のための截断であり、構成のための加工である。一瓶の花を生けるために剪刀を使うのと全く同様な截断の芸術である。s　映画成立の最後の決定的過程として編集術については以下に項を改めて述べる事とする。s　　　　　映画の編集過程s　たくさんな陰画の堆積の中から有効なものを選び出してそれをいかにつなぎ合わせるかがいわゆるモンタージュの仕事である。s　モンタージュという言葉を抽出し、その意義を自覚的に強調したのはプドーフキン一派の人に始まるかもしれないのであるが、要するにモンタージュは平凡な「編集」という言葉をもって代用してもたいしてさしつかえないという事はプドーフキンの著書の英訳にエディチングという英語を当ててあることからも想像されるであろう。またこの著者がそのモンタージュを論じた一章の表題に「素材の取り扱い方」という平凡な文字を使い、そうしてその題下に「構成モンタージュ」「場面（景）のモンタージュ」「插話（エピソード）のモンタージュ」等の小区分を設けているのである。s　映画素材から映画を作り上げる編集方法としてのモンタージュはそもそも映画始まって以来行なわれて来たものに相違ないのであるが、しかし初期の映画において、単に海岸に打ち寄せる波の遊びを見せたり、あるいは舞台演芸をそっくりそのまま写してみたりしたような場合にはあまり問題にならない事であった。しかし映画が単なる複製の技術としてのただの活動写真というだけの境界から脱却して、それ自身の独自な領域を自覚するようになり、創作の新しいミリューとして発見されると同時に行なわれはじめた映画制作の方法がすなわちこのモンタージュである。言わば映画の芸術的編集法とでも言ってよいものだと思われる。この言葉のもてはやされる以前に米のグリフィスや仏のガンスなどの実行したいろいろの独創的な効果的手法は畢竟モンタージュの先駆的実例を提供するものである。s　しかしこの言葉の内容が細かに分析されるようになり、「併行モンタージュ」「比喩モンタージュ」等種々の型式が区別されるようになってからはこれらモンタージュの理論的の討議がいろいろと行なわれるようになって来た。たとえばエイゼンシュテインはその「映画の弁証法」において、プドーフキンらのモンタージュ論の基礎的概念を批評し、これに代わるべき弁証法的モンタージュ論を提出し、のみならずこれに基づいた作品をこしらえようとした。しかし彼のこれらの試みはまた一派の人からは形式主義象徴主義に堕したものとして非難もされている。しかしこういう議論は映画理論家にとって、また特にソビエトの国是の上から重要かもしれないが、一般映画観賞者の立場からは、たいした意義をもたない事である。われわれにとってはその映画がおもしろいことが第一義である。八巻なり十巻なりの映写を退屈することなしに見ていられることが肝要であり、見たあとで全体としても細部としても深い感銘を印象されることが大切である。それにはイデオロギーの教養に無関係に世界の人間の心を捕えるものがなければならない。そうしてそれはロシア人にもフランス人にも日本人にも共通に通用するものでなければならない。そうだとすれば、それはまた必ずしも映画以来はじめて発明されたものではなくして、少なくも原理としてはすでにあらゆる他の芸術に存在していると同じような指導原理に支配されるものであろうという事は想像してもさしつかえがないであろう。実際プドーフキンでもエイゼンシュテインでも、ボラージュでもそれらの人々のモンタージュに関する論述を読むに当たって、その記述の表面に現われた具象的なものを適当にムタティス・ムタンディスに置き換えさえすればそれはほとんど完全に他の芸術の分野に適用されうることを見いだすであろう。これはむしろ当然なことである。主題の分析、選択、編成という過程にはすべての芸術に共通なものがなければならないからである。s　まず手近なところでたとえば生け花の芸術を考えてみる。この場合は簡単に口で言われるような「主題」はないかもしれないが、花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテーマがあってこそ一瓶の花が生け上げられるのである。そのテーマを表現すべき「言葉」として花と瓶とが選ばれる。花は剪刀でカットされた後に空間的モンタージュを受ける。この際にたとえば青竹送り筒にささげと女郎花と桔梗を生けるとして、これらの材料の空間的モンタージュによって、これらの材料の一つ一つが単独に表現する心像とは別に、これらのものを対合させることによってそこに全く別なものが生じて来る。エイゼンシュテインはこれを二つのものの単なる組み合わせあるいは堆積すなわち彼のいわゆる叙事的な原理と見る代わりに、二つのものの衝突の中に観念を生み出し爆発させる力学的原理を認めようとしたようである。しかしわれわれのような観賞者の立場からすれば配合調和相生というのも、対立衝突相剋というのも、作者の主観以外には現象としての本質的な差を認めなくても結果においてたいした差はないようである。要は結局エイゼンシュテインが視覚的陪音と呼び、あるいはむしろ視覚的結合音と呼ばるべきものを生み出すにあるのである。この結合によって生じるものはもはや決して「花」ではない全然別の次元の世界に属するものであり、そうして、それはただその二つあるいは三つの花のモンタージュによってのみ現わされうるものである。それでこそある人のある日に生けたささげと女郎花と桔梗と青竹筒は一つの芸術的創造のモンタージュ的視像となりうるのである。s　生け花に限らず、造園でも同様である。砂を敷いた平庭に数個の石を並べるだけでもその空間的モンタージュのリズムによって、そこに石の言葉でつづられた、しかも石によってのみつづられうる偉大なる詩が生じるのである。また一枚の浮世絵からでもわれわれはいろいろなモンタージュの手法を発見するであろう。エイゼンシュテインは特に写楽のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的モンタージュを論じているが、われわれは広重でも北斎でも歌麿でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽の中から富士を見せたり、大木の向こうに小さな富士を見せたりするシリーズは言わば富士をライトモチーヴとしたモンタージュの系列である。s　こういう意味において映画というものの一つのプロトタイプとでも言わるべきものは絵巻物の類である。これは空間的であるのみならず、またいくぶん時間的である点においていっそう映画に接近するのである。たとえば道成寺縁起という一つのテーマがあり、それの内容となるべきひとくさりのグロテスクでエロチックでまた宗教的なストーリーがある。絵巻物の画家は、そのストーリーから一つのシナリオを作らなければならない。まずいかにしてヒーローとヒロインを「紹介」すべきか、全編をいくつの場面に分割すべきか、一つ一つの場面にいかなる造型的視覚的素材を用ゆべきかを考えなければならない。すなわち物語を「モンタージュ画像」の言葉に翻訳しなければならない。この際における創作的過程は映画監督のそれとかなりまで類似した点をもつであろう。道成寺の場合にはまた、初期の映画で常套的に行なわれた「追っ駆け」を基調とする構成の趣があると言われよう。s　映画の場合に甲の場面から次の乙景に移る際にいわゆる溶暗溶明を用いることがある。絵巻物ではそのかわりに雲や水や森や山の模糊たる雰囲気が用いられる。ある場合には紙面の上下に二つの場面の終わりと始めとが雲煙を隔ててオーバーラップの形で現われることもあるであろう。今手近に適切な実例をあげることはできないが、おそらくこれらの絵巻物の中から「対照」「譬喩」「平行」「同時」等いろいろのモンタージュ手法に類するものを拾い出すことも可能であろうと思われる。s　映画における字幕サブタイトルに相当するものすら、ある絵巻物には書き込まれてあるのも興味あることである。s　絵巻物の一画面は言わば静的である。その静的な一画面から次の画面への推移のリズムによって始めてそこに動的な効果を生じる。しかし映画の場合でもたとえばドブジェンコの「大地」などはほとんど静的な画面のモンタージュが多い。有名な「ポチョムキン」の市街砲撃の場面で、石のライオンが立ち上がって哮吼するのでも、実は三か所で撮った三つの石のライオンの組み合わせに過ぎないということである。s　このように静的なものの律動的配合によってさえ非常に動的な陪音を生じうるのであるから、動的なものの結合からさらに高次元的に動的な効果が生まれうるのは当然である。たとえば「アジアの嵐」の最後の巻に現われる、嵐の描写のごときがそれである。s　これに反して拙劣なるモンタージュは、動的な画像の単調無味なる堆積によってかえって観客のあくびを促すような静的なものを作り出すことも可能である。下手な剣劇の立ち回りがそれであろう。s　エイゼンシュテインは、日本の文化のあらゆる諸要素がモンタージュ的であると論じ、日本の文字でさえも（？）、口と犬とを合わせて吠えるというようにできあがっていると言い、また歌舞伎についても分解的演技の原理という言葉を使って、役者の頭や四肢の別々な演技がモンタージュ的に結合されるというふうに解釈した。この方法を応用したのが近ごろ封切りされた「人生案内」のコリカの母の死の場合だと言われている。s　彼はまた短歌や俳諧を論じて「フレーセオロジーに置き換えられた象形文字」であると言い、二三の俳句の作例を引いてその構成がモンタージュ構成であると言っている。s　私はかつて「思想」や「渋柿」誌上で俳諧連句の構成が映画のモンタージュ的構成と非常に類似したものであるということを指摘したことがある。その後エイゼンシュテインの所論を読んだときに共鳴の愉快を感ずると同時に、彼が連句について何事も触れていないのを遺憾に思った。おそらく彼はほんとうの連句については何事も知らないからであろう。s　　　　　映画と連句s　あらゆる芸術のうちでその動的な構成法において最も映画に接近するものは俳諧連句であろうと思われる。s　いわゆる発句はそれ自身の中にすでに若干の心像のモンタージュ的構成を備えているものである。しかしたとえば歌仙式連句の中の付け句の一つ一つはそれぞれが一つのモンタージュビルドであり、その「細胞」である。もちろんその一つ一つはそれぞれ一つの絵である。しかし単にそれらの絵が並んでいるというだけでは連句の運動感は生じない。芭蕉が「たとえば哥仙は三十六歩なり、一歩もあとに帰る心なく、行くにしたがい、心の改まるはただ先へ行く心なればなり。」と言っている、その力学的な「歩み」は一句から次の句への移動の過程にのみ存する。s　その移動のモンタージュ的手法はすなわち付け句の付け方であっていわゆる、においとか響きとか位とかおもかげとかいう東洋的な暗示的な言葉で現わされているのであるが、これらは畢竟いずれも二つの連接句のおのおのに付属した二つの潜在的心像がいかなる形において連鎖を作るかというその様式の分類にほかならないのである。たとえば「くれ縁に銀土器を打ちくだき」に付けて「身ほそき太刀のそるかたを見よ」とする。この付け方を「打てば響くごとし」と評してあるが、試みに映画の一場面にこの二つのショットを継起せしめたと想像すれば、その観客に与える印象はおそらく打てば響くがごとくであるに相違ない。これをたとえば「爆発。ゆらぐ石門」「石のライオンが目をさまし吼えておどり上がる」という連鎖と比べてどこに本質的の差違があるか。「思い切ったる死に狂い見よ」「青天に有明月の朝ぼらけ」と付けたモンタージュと、放免状を突きつけられた囚人の画像の次に「春の雪解け川」を出した付け合わせと、情は別でも、手法においてどれだけの差別があるか。s　映画でしばしば用いられる推移の手段としての接枝的連接法とも呼ばれる常套的手法がある。たとえば蓄音機円盤が出勤簿レジスターの円盤にオーバーラップするとか、あるいはしわくちゃのハンケチを持った手を絞り消して絞り明けると白いばらの花束を整える手に変わる。あるいは室内のトランクが汽車の網棚のトランクに移り変わるような種類である。ところが、連句ではこれに似たことがしばしば行なわれる。たとえば「僧やや寒く寺に帰るか」「猿引きの猿と世を経る秋の月」では僧の姿が猿引きの猿にオーバーラップ的に推移するのである。s　映画で、まず群集を現わし、次にカメラを近づけてその中のヒーローを抽出し、クローズアップに映出して「紹介」する。連句でもたとえば、「入りごみに諏訪の涌湯の夕まぐれ」「中にもせいの高い山ぶし」は全くこの手法によったものである。s　映画で同時に別々の場所で起こっている事がらの並行的なモンタージュによって特殊の効果を収める。「餅作るならの広葉を打ち合わせ」という付け句を「親と碁をうつ昼のつれづれ」という前句に付けている。座敷の父とむすこに対して台所の母と嫁を出した並行であり、碁石打つ手と柏の葉を並べる手がオーバーラップするのである。この二つの場面のモンタージュによってわれわれは一つの全体としての家庭の雰囲気を実感させられるのである。s　映画の光学的映像より成る一つ一つのショットに代わるものが、連句では実感的心像で構成された長句あるいは短句である。そうしてこれらの構成要素はそのモンタージュのリズムによってあるいは急にあるいはゆるやかなる波動を描いて行く、すなわち音楽的進行を生ずるのである。s　映画の一つのショットは音楽の一つの楽音に比べるよりもむしろ一つの旋律にたとえらるべきものである。それがモンタージュによって互いに対立させられる関係は一種の対位法的関係である。前のショットの中の各要素と次のショットの各要素との対位的結合によってそこに複雑な合成効果を生ずるのである。連句の場合でもまさにそのとおりで前句と付け句とは心像の連鎖のコントラプンクトとしてのみその存在価値を有するものである。s　このようにして連句の運動が進行するありさまはある度までたとえばソナタのごとき楽曲の構造に類する。この比較についてはかつて雑誌「渋柿」誌上で細論したからここには略するが、それと全く同じことが映画の律動的編成についても言われるのである。そうして序破急と言いあるいは起承転結と称する東洋的モンタージュ手法がことごとく映画編集の律動的原理の中にその同型を見いだすのである。s　要するにこれらのモンタージュの要訣は、二つの心像の識閾の下に隠れた潜在意識的な領域の触接作用によってそこに二つのものの「化合物」にも比較さるべき新しいものを生ずるということである。s　識閾の上層だけでつながったものは、つまり一つの静的な像である。いわゆる付き過ぎた連句は、結局一句を二つに分けただけで「歩み」はない。同様に映画においても、たとえば単調なる「チャンバラ」の場面はいくら続いても、それは結局ただ一つのショットとしての効果しかない。これに反してたとえ識閾の上では単調な画面を繰り返していても、その底を流れる情緒の加速運動があれば観客は知らず知らずつり込まれ引きずられて行く。たとえば「パリの屋根の下」で町の歌い手が手風琴をひいて歌っている。その歌い手と聴衆が繰り返し繰り返し映写される。しかしその巧妙な律動的なモンタージュによって観衆の心の中の奥底には一つの葛藤がだんだん発展し高調されて行くのである。また同じ映画でダンス場における踊る主人公とこれをねらう悪漢との交互的律動的モンタージュもこれと全く同様である。これは二つの画面の接触作用によって観客の心に生ずる反応作用をその自然のリズムに従って誘導して行くのである。それでこのモンタージュのリズムが観客の期待のリズムに共鳴するときにはじめて最大の効果を収めうるので、これは音楽の場合と全く同様である。s　このように、映画の画面の連結と連句の句間の連結とは意識の水準面の下で行なわれるときにはじめて力学的な意味をもつのである。たとえば水面に浮かんでいる睡蓮の花が一見ぱらぱらに散らばっているようでも水の底では一つの根につながっているようなものである。s　一つ一つの意識的な具象からは識閾の下に無数の根を引いており、その根の一つ一つはまた他のたくさんの具象の根と連結されている。かようにして天地間の万象は複雑きわまる網目によって無限多義的に連関している。甲から乙に移る連絡道路だけでも無限に多数に存する。それらの通路の中には国道もあり間道もあり、また人々によって通い慣れた道と、そうでないのとがある。それで今甲の影像の次に乙の影像を示された観客はその瞬間においてその観客の通い慣れた甲乙間の通路の心像を電光に照らされるごとく認識するのであろう。s　それで映画や連句のモンタージュが普遍的な効果を収めうるためには、作者が示そうとする「通路」が国道であり県道であることが必要である。そうでないときは作者の一人合点に陥って一般鑑賞者の理解を得ることは困難である。s　　　　　映画と夢s　以上のごとく考えて来るとわれわれは自然に映画と夢との比較を暗示される。s　夢の中に現われる雑多な心像は一見はなはだ突飛なものでなんの連絡もない断片の無機的系列に過ぎないようであるが、精神分析学者の説くところによると、それらの断片をそれの象徴する潜在的内容に翻訳すれば、そういう夢はちゃんとした有機的な文章になり、そうして恐るべきわが内部生活の秘密を赤裸々に暴露するものである。ただ夢の場合にはこれらの「夢内容」を表わす象徴としての顕在像が普遍的のものでなく人々の個人的な歴史によってのみ規定されたものであるから読み取ることが困難だというのである。s　映画や連句の場合においても、一つ一つの顕在的な映像の底にかくれた潜在的内容が多量に存在している。モンタージュの秘密は、この潜在的内容の言葉で文章をつづって行く方法にあるとも言われる。s　夢の心理と連句の心理の比較についてはかつて雑誌「渋柿」誌上で詳論したからここでは略する。そうしてそこで論じたことはほとんどそのままにまた映画のモンタージュに適用してもさしつかえないと思うのである。それはとにかく自分がこの論を出した後に「クローズ・アップ」第七巻第二号を見ていたらヒューズ（s）という人が映画と夢との比較を論じているのを見て興味を引かれた。夢に色彩のないこと、羊の群れが見る間に兵隊の群れに変わったりすることなどが述べてある。それから、夢が阻止された願望の実現となるように、映画の観客は映画を見ることにより、実際には到底なれない百万長者になり、できない恋をしたり、不可能事をしとげるというようなことも言っている。これもおもしろい見方である。映画の大衆的であるゆえんは最も密接にこの点につながっているという事は疑いもないことである。s　映画と連句とが個々の二つの断片の連結のモンタージュにおいてほとんど全く同一であるにかかわらず、全体としての形態において著しい相違のあるのは、いわゆる筋が通っているのと通っていないのとの区別である。多くの映画は一通りは論理的につながったストーリーの筋道をもっているのに、連句歌仙の三十六句はなんらそうした筋をもたないのである。しかも映画でもたとえば「ベルリン」のごときは全体としてなんらの物語を示さない。マン・レイの「海翻車」もなんらの事件を示さず、ただこの海産動物につながる連想の活動を刺激することによって「憧憬のかすみの中に浮揺する風景や、痛ましく取り止めのつかない、いろいろのエロチックな幻影や、片影しか認められないさまざまの形態の珍しい万華鏡の戯れやが、不合理な必然性に従って各自の中から生長する」（ボラージュ「映画の精神」一一五ページ）。s　しかしこれらの絶対映画では、ともかくも「ベルリン」とか「ひとで」とかいう主題によって全体が総括されている。しかしそれほど簡単でないものもある。「アンダルーシアの犬」と称する非現実映画（往来社版、映画脚本集第二巻）になるともはやそういう明白な主題はない。そのモンタージュは純然たる夢の編成法であり、しかもかなりによく夢の特性をつかんでいる。たとえば月を断ち切る雲が、女の目を切る剃刀を呼び出したり、男の手のひらの傷口から出て来る蟻の群れが、女の腋毛にオーバーラップしたりする。そういう非現実的な幻影の連続の間に、人間というものの潜在的心理現象のおそるべき真実を描写する。この点でこの種の映画の構成原理は最も多く連句のそれに接近するものと言わなければならない。この比較は、現在あるものよりもさらにより多く連句的なる非現実映画の可能性を暗示する。通例はそう思われていないドブジェンコの「大地」などはまさしくその方向への第一歩であるに相違ない。s　　　　　前衛映画s　映画を演劇や文学から解放して映画的な映画の天地を開拓しようとして起こされたいろいろの運動の試みがいわゆる前衛映画である。「アヴァンギァルドとは金にならぬ映画を作る人たちの仲間を言う」と揶揄した人がある。従来のこれらの試みは、すべてただ実験室的の意義しかないが、そういう意義においては尊重すべきものであるというふうに解釈されている。しかしそうばかりは言われないであろうと思われる。アメリカ人やドイツ人には到底理解されないものが東洋日本の大衆には理解され享楽されている例はいくらでもある。将来もしもここで言うような連句的な前衛映画が培養され発育しうる土地があるとすれば、それはおそらくわが日本のほかにはないであろうと思われる。そうしてそれはおそらくフランス人とロシア人にはいくぶんかは理解されるであろうと思われる。それにかかわらず現在においてこの方面を開拓しようとする運動の萌芽すらわが国のどこにも認められないのは残念なことである。s　　　　　抽象映画s　スウェーデンの一画家がはじめた抽象映画は、幾何学的形象の運動の連鎖であって「動く装飾」と言われている。これは聴覚に関する音楽から類推して視覚的音楽を作ろうという意図から起こったものであろうが、これはおそらく誤った類推による失敗であろうと思われる。耳は音自身を聞き、しかもこれを無意識に分析しうる特殊の能力をもっている。しかし目はその映像の中に総合された実体とその内容とを見るものであって、特別な訓練なしにはその中から線や面を分析し抽出するようにできていない。これだけの根本的な感官的性能の差違を考えただけでも抽象映画なるものの価値は理解されるであろう。それで絵画におけるキュービズムやフュチュリズムの運命が、おそらくはこの種の映画の行く末を見せてくれるであろう。s　　　　　発声映画s　無声映画がようやく発達して、演技や見世物の代弁の地位を脱却し、固有の領域を設定しかけたときに、突然発声映画の器械が市場に現われた。それがためにようやく「雄弁」になりかけた無声映画は突然「おし」にされてしまったのであった。s　映画が物を言うというノヴェルティに対する好奇心はほんのわずかの間に消え去ってしまうとともにあらゆる困難が続出して来て、映画芸術は高い山から谷底へ顛落した。そうしてその第一歩からもう一ぺん新しく踏み出さなければならないことになってしまった。s　まず第一に技術上の困難が起こる。たとえば雑音を防止するために従来のステュジオが役に立たなくなるとか、実際の雑音はまるで別物に変わるから適当な擬音を捜すとか、動き回る役者の声をどうして録音するかというようないろいろの問題が、単なる技術上だけの問題でなくて、映すべき素材の上に制限を及ぼすことになる。しかしそういう困難はすべて解決されたとして、あとに残る純粋な芸術上の問題が起こって来るのである。s　すぐにわかったことは、役者のダイアローグを聞かせようと思うと視覚的画面が静的になってしまって死んでしまう。それを避けるために隣室で立ち聞く人を映したりして単調を防ぐ必要が起こって来る。s　それよりも困ったことには国語の相違ということが有声映画の国際的普遍性を妨げる。無声映画を「聞」いていた観客は、有声になったために聾になってしまった。s　この困難を避けるにはできるだけ言語を節約するという方針が生まれる、そうして字幕との妥協が講究される。s　言葉の節約によって始めて発見されたおもしろい事実は、発声映画によって始めて完全に「沈黙」が表現されうるということであった。無声映画ではただわずかに視覚的に暗示されるに過ぎなかった沈黙と静寂とが発声映画によってはじめて力強い実感として表現されるようになったのである。s　それと同時にまた一歩進んで適当な雑音の插入がいっそうこの沈黙の強度を強めることもわかって来た。一鳥の鳴き声で山がさらに幽静になるという昔の東洋詩人の発見した事が映画家によって新たにもう一度発見され応用されるようになった。舗道をあるくルンペンの靴音によって深更のパリの裏町のさびしさが描かれたり、林間の沼のみぎわに鳴く蛙や虫の声が悲劇のあとのしじまを記載するような例がそれである。s　このような音のモンタージュは俳諧には普通である。有名な「古池やかわず飛び込む水の音」はもちろんであるが「灰汁桶のしずくやみけりきりぎりす」「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな」「鉄砲の遠音に曇る卯月かな」等枚挙すれば限りはない。s　すべての雑音はその発音体を暗示すると同時にまたその音の広がる空間を暗示する。不幸にして現在の録音機と発声マイクロフォンとはその機巧のいまだ不完全なために、あらゆる雑音の忠実な再現に成功していない。それで、盲者が、話し声の反響で室の広さを判断しうるような微妙な音色の差別を再現することはまだできないのであるが、それにもかかわらず適当な雑音の適当な插入が画面の空間の特性を強調する事は驚くべきものである。通り過ぎる汽車の音の強まり弱まり消え去ることによって平面的なスクリーンはたちまち第三次元の空間を獲得して数平方メートルの舞台は数キロメートルの広さに拡張される。遠くから聞こえて来る太鼓の音に聞き耳をたてるヒロインの姿から、一隊の兵士の行進している長い市街のヴィスタが呼び出され描き出される。霧の甲板にひびく汽笛の音とその反響によってある港の夜の空間が忽然として観客の頭の中に広がるのである。s　音が空間を描き出すのは、音の伝播が空間的であって光のごとく直線的でないためである。それがためにまたわれわれは音の来る角度を制限することができない。広い視野のうちから一定のわくによって限られた部分だけを切り取って映出するという光学的技法は音響の場合にもはや当てはめることができない。従って画面には写っていない人間や発音体の音が容赦なく侵入してくる。しかしこの音響伝播の特性を利用することによって発声映画は異常な能力を発揮することができるのである。たとえば探偵が容疑犯罪者と話しているおりから隣室から土人の女の歌が聞こえて来るのに気がついて耳をそばだてる。歌がやんで後にその女が現われるとすれば、そこに特殊なモンタージュ効果を生ずる。あるいは突然銃声が聞こえて窓ガラスに穴をあける、そこでカメラが回転して行って茂みに隠れた悪漢に到着するといったような、いわゆる非同時的な音響配偶によっていろいろの効果が収め得らるるのである。「西部戦線」の最後の幕で、塹壕のそばの焦土の上に羽を休めた一羽の蝶を捕えようとする可憐なパウルの右手の大写しが現われる。たちまち、ピシンと鞭ではたくような銃声が響く。パウルの手は瞬時に痙攣する、そうして静かに静かに力が抜けて行くのである。s　音と光との二つの世界のいろいろの差違がいろいろの形で発声映画に利用される、そのもう一つの顕著な目標はリズムの問題に係わっている。律動は本来時間的のものであって時間的に週期的な現象がわれわれ人間に生理的および心理的に内在する律動感に共鳴する現象である。空間的のリズムは、これから導出された第二次的のものであって、目が空間を探り歩く運動によってはじめて時間的なリズムに翻訳されるのである。従って律動感の最も本質的なものは時間的に一元的な音響的音楽的律動である。律動的な音は子供でも野蛮人でも自然に踊り出させるのであるが、無声無伴楽映画のかなり律動的な場面を見ても、訓練されない観客はなかなか足拍子手拍子をとるような気分にはならないのである。それで、発声映画において視覚のリズムと照応した物音の律動的駆使によって著しい効果を収めうるのは当然のことである。たとえば、ルービッチの「モンテカルロ」で突進する機関車のエンジンの運動と汽笛の音と伴奏音楽との合成的律動や、「自由をわれらに」における工場の鎚の音、「人生案内」の線路工事の鉄挺の音の使用などのようなのがそれである。これらの雑音だけで、音楽を抜きにしてもおそらくある程度までは同様な律動感を呼び起こされるであろうと想像される。s　画面と音響との対位法的な律動的構成の試みが「世界のメロディー」の中に用いられていた。ピアノの鍵盤とピアノの音とが、銅鑼のクローズアップとその音とに交互にカットバックされるところなどあったように記憶する。この映画は全体としてはむしろ失敗であったと思われるが、しかしこういうような手法の試みとしての価値は認めてやらなければならないであろう。s　視覚と聴覚とのもう一つの著しい差違の点がある。それはこの二つの感覚の単義性における相違である。視像の場合でももちろん錯覚によって甲のものを乙と誤認することは可能である。実際この錯覚を利用して、オーバーラップによる接枝法モンタージュで、ハンケチから白ばらを化成する。しかし音の場合はやや趣が違う。少なくもわれわれ目明きの世界においては、一つの雑音あるいは騒音の聴覚によって喚起される心像は非常に多義的なものである。たとえば風の音は衣ずれの音に似通い、ため息の声にも通じる。タイプライターの音は機関銃にも、鉄工場のリベットハマーの音にも類しうる可能性をもっている。これがためにたとえば鵞鳥の声から店の鎧戸の音へ移るような音のオーバーラップは映像のそれよりも容易でありまた効果的でありうる。のみならずいろいろな雑音はその音源の印象が不判明であるがために、その喚起する連想の周囲には簡単に名状し記載することのできない潜在意識的な情緒の陰影あるいは笹縁がついている。音の具象性が希薄であればあるほど、この陰影は濃厚になる。それだから、名状し難いいろいろな心持ちのニュアンスの象徴としては音のほうが画像よりもいっそう有力でありうるということになる。s　たとえば「人生案内」の最後の景において機関車のほえるようなうめくような声が妙に人の臓腑にしみて聞こえる。「パリの屋根の下」で二人の友がけんかをしようとするときに、こわれたレコードのガーガーと鳴り出すその非音楽的な不快な騒音が異常に象徴的な効果をもって場面のやまを頂上へと押し上げる。s　象徴的であるがゆえにまた音響はライトモチーヴとしても有効に使用される。「モロッコ」における太鼓とラッパ、「青い天使」における時鐘の音などがそれである。このあとの映画で、不幸なるラート教授が陋巷の闇を縫うてとぼとぼ歩く場面でどことなく聞こえて来る汽笛だかなんだかわからぬ妙な音もやはりそういう意味で使われたものであろう。運命ののろいの声とでもいうような感じを与えるものである。s　俳諧連句においては実に巧妙にこれら音響のモンタージュ手法が採用されている。前掲「灰汁桶」の句ではしずくの点滴の音がきりぎりすの声にオーバーラップし、「芭蕉野分して」の句では戸外に荒るる騒音の中から盥に落つる雨漏りの音をクローズアップに写し出したものである。またたとえば芭蕉は時鳥の声により、漱石は杭打つ音によって広々とした江上の空間を描写した。「咳声の隣はちかき縁づたい」に「添えばそうほどこくめんな顔」は非同時性モンタージュであり、カメラの回転追跡（）である。こういう例をあげれば際限はない。他日適当の場所で細説したいと思う。s　録音と発音の機械的改良が進展して来る一方でまたトーキーファンの聴覚が訓練されて来れば、発声映画の可能性はさらに拡張されるであろう。点滴の音によってその室の広さを感じ、雷鳴の響きによって山の近さを感じることも可能になるであろう。s　ともかくも光像と音響は単に並行的に使用さるべきものではなく、対位法的、調音的に編集さるべきものである。並行的使用は両方の要素を相殺し、対位法的編成は二つのものを生かし強調するのである。s　　　　　有色映画s　音声を得た映画がさらに色彩を獲得することによっていかなる可能性を展開するかという問題がある。s　無声映画の時代にフィルムを単色に染めることによってあるいは月夜、あるいは火事場の気分を出したことがあった。その後有色写真のいろいろな方法が案出されて、「テクニカラー」式有色映画の示す程度までは進歩したが、その色彩はまだきわめて単調でなまなましくて、かろうじて安物の三色版の水準にしか達していない。それがためにかえって画面の明暗の調子を攪乱し減殺し、そうして過度の刺激によって目を疲らせるばかりであるから、現在のところでは芸術的には全く低級な単なるノヴェルティに過ぎないと言わなければならない。s　視覚的映画に聴覚的な音響を付加することは本質的に異なる別の次元を新たに増加することであるが、色彩の付加は単に視覚的なものの属性の補充に過ぎない。それだから、たとえば色彩再現の科学的技術がいかに発達したとしても、それがために発声映画がもたらしたほどの根本的な革命が起ころうとは思われない。s　色彩はその使用が適切でなければ視覚的映像の効果を補充するよりもむしろ減殺するのは何ゆえかというと、色彩のために明暗の調子が弱められて画面の深さが浅くなり従って平板に見えやすくなる。これは西洋画をけいこした人のいずれもが経験したことであろう。s　しからば有色映画は全然見込みのないものであるかというと、そうは断言できない。もしも将来天才的監督によって適当なる色彩的モンタージュの方法が案出され、明暗を殺さずにそれを生かすような色彩を駆使して、これを音響と対位的に編成することができればその結果はあるいは大いに見るべきものであるかもしれない。s　色彩のモンタージュはいかにすべきかについてはやはり東洋画ことに宗達光琳の絵や浮世絵は参考になるであろう。俳諧連句もまたかなりの参考資料を提供するであろう。たとえば七部集炭俵の中にある「雪の松おれ口みればなお寒し」「日の出るまえの赤き冬空」「下肴を一舟浜に打ち明けて」の三連などは色彩的にもかなりおもしろいものである。ともかくも一つ一つの画面にその基調となるべき色彩的な中心映像を確定しそれを生かすためにその周囲の色彩を殺してしまうという、色彩的カッティングを行ない、そうして、その中心的な色彩をモンタージュ的な連結推移のリズムによって進行させて行かなければなるまいと思われる。出て来る画面も出て来る画面もみんな一様に単に絵の具箱をぶちまけたような、なんのしめくくりもアクセントもないものでは到底進行の感じはなくただ倦怠と疲労のほか何物をも生ずることはできないであろう。s　　　　　立体映画s　二次元的平面映像の代わりに深さのある立体映像を作ろうという企てはいろいろあるがまだ充分に成効したものはない。特別なめがねなどをかけない肉眼のままの観客に、広い観覧席のどこにいても同じように立体的に見えるような映画を映し出すということにはかなりな光学的な困難があるのである。しかし、そういう技術上の困難は別として、そういう立体的な映画ができあがったとしたら、それは映画芸術にいかなる反応を生ずるであろうか。s　実際の空間におけるわれわれの視像の立体感はどこから来るかというに、目から一メートル程度の近距離ではいわゆる双眼視によるステレオ効果が有効であるが、もっと遠くなるとこの効果は薄くなり、レンズの焦点を合わせる調節のほうが有効になって来る。しかしずっと遠くなると、もうそれもきかなくなって、事実上は単に無限距離にある平面への投射像を見ていると同等である。たとえば歌舞伎座の正面二階から舞台を見るような場合、視像の深さはほとんどなくなっているはずであるが、われわれは俳優の運動によって心理的に舞台の空間を認識する。この錯覚を利用して映画の背景をごまかすグラスウォークと称する技術が存在するくらいである。s　映画の場合には双眼視的効果だけはないのであるが、レンズの焦点が深さをもつという事から来る立体的な効果は目の場合と本質的に変わったことはない。窓わくの花に焦点を合わせれば窓外の遠い樹木はぼやけ、樹木に合わせれば花はぼやける。この効果をうまく使えば現在のままでも立体的な効果を生じ得ないことはないはずである。カメラの焦点が近い花から遠くの木へ移動すればスクリーンの観客はちょうど遠くへ目を移す感じがするはずである。このような方法はしかし現在の映画ではあまり使われていない。これは観客の目がまだそこまで訓練されていないためであろう。s　現在の平面映画は、前にも一度述べたように立体的な舞台演技を見るよりもかえっていっそう立体的であるという逆説的なことが言われうる。すなわちカメラの任意な移動によって観客は空間内を自由に移動し、従って観客自身画面の中へ入り込むと同等な効果を生ずるからである。s　このようにカメラの焦点とその位置および視角の移動によって現在の映画は、事実上、少なくも心理的には立体的実体的な空間を征服しているのである。それでこの上に多大の苦心をしていわゆる立体映画がようやく成功したとしても、その効能はおそらくそう顕著なものではあるまいという気がする。s　現在の発明家のねらっている立体映画はいずれもステレオスコピックな効果によるものであるが、誇張されたステレオ効果はかえって非常に非現実的な感じを与えるということは、おもちゃの双眼実体鏡で風景写真をのぞいたり、測遠器で実景を見たりする場合の体験によって知られることである。それでいわゆる立体映画ができると、われわれの二つの目の間隔が急に突拍子もなくひろがったと同様な不自然な異常な効果を生ずることになり、従って映像の真実性が著しく歪曲することになるのではないかと想像される。s　ともかくも、現在の映画のスクリーンが物理的に平面だから映画には心理的にも「深さ」がないという考えは根本的の誤謬であって、この誤りを認証した上では立体映画なるもののもたらしうべき可能性の幅員はおのずから見積もり得られるであろうと思う。s　　　　　人工映画s　実在の人間や動物や家屋や景色や、あるいは実在なものの代用をするセットの類をショットの標的とする普通の映画のほかに、全くこれら実在のものを使わずそのかわりに黒い紙を切り抜いたシルエットの人形と背景を使った「アクメード王子の冒険」や、わが国特産の千代紙人形映画や、またミッキーマウスやうさぎのオスワルドやあるいはビンボーなどというおとぎ話的ヒーローを主題とした線画の発声漫画のごときものがある。まずい名称であるがかりにこれらを人工映画という名前で一括することにする。s　これらの人工映画のもつ特徴は、これらの単純なる影や線のリズミカルな活動によってそこに全く特別な新しい世界を創造するという可能性の中に存する。シルエットの世界には遠い遠い過去の人生の幻影といったようなものの笹べりが付帯している。ここから実物の写真では表現し難い詩が生まれ出る。また近ごろの漫画的映画の喜ばれるゆえんは、夢幻的な雰囲気の中に有りうべからざる人間の夢を実現するという点に存すると思われる。現実の世界において望んで得べからざる願望が夢の国において実現されるように、人工映画の世界においてはあらゆる空想が安々と実現される。ねずみのしっぽを引き延ばしてひけば一弦琴になり、今まいた豆のつるをよじて天に登ることもできる。漫画の長所はこれのみに限らない。似顔漫画が写真よりもいっそうよくその人に似るというのと同様に、対象の特徴の或る少数なる要素を抽出し誇張して、それをモンタージュ的に構成することによって、実物よりもいっそう実在的なものを創造するのである。近ごろ見た漫画の中に登場した一匹の犬などは実によく犬という愛すべき家畜の特性を描象してほとんど「犬自体」を映出していると思われた。もう一つの漫画の長所は、音楽との対位法的モンタージュを行なう場合における視像のエキスプレッションが自由自在であって、画像の運動はs［＃「」は縦中横、音楽記号のピアニッシモ］sからs［＃「」は縦中横、音楽記号のフォルテシモ］sまで任意に大なる変化をすることができ、クレッセンドー、ディミニゥエンドー勝手次第なことである。顔じゅういっぱいに口をあけようと、針で突いたほどにつぼめようと自在である。s　こういうふうに考えてみると漫画の将来にはまだいろいろな未発見の領土が隠れていそうに思われる。ただ現在のビンボー類似の作品はあまりに荒唐無稽な刺激を求め過ぎて遠からず観客の倦怠を来たすおそれがありはしないかと思われる。s　普通の現実的映画が散文であるとすれば、漫画は詩であり歌でありうる、むしろそうあるべきものである。今の漫画は俳諧ならば談林風のたわけを尽くしている時代に相当する、遠からず漫画の「正風」を興すものがかえって海のかなたから生まれはしないかという気もする。ほんとうはこれこそ日本人の当然手を着けるべき領域であろう。s　　　　　映画と国民性s　すべての芸術にはそれぞれの国民の国民的潜在意識がにじみ出している。映画でもこれは顕著に滲透している。アメリカ映画はヤンキー教の経典でありチューインガムやアイスクリームソーダの余味がある。ドイツ映画には数理的科学とビールのにおいがあり、フランス映画にはエスカルゴーやグルヌイーユの味が伴なう。ロシア映画のスクリーンのかなたにはいつでも茫漠たるシベリアの野の幻がつきまとっている。さて日本の映画はどうであろう。数年前の統計によるとフィルムの生産高の数字においてはわが国ははるかにフランスやドイツを凌駕しているようであるが、これらの映画の品等においてはどうであるか。たくさんの邦産映画の中には相当なものもあるかもしれないが、自分の見た範囲では遺憾ながらどうひいき目に見ても欧米の著名な映画に比肩しうるようなものはきわめてまれなようである。s　ロシア崇拝の映画人が神様のようにかつぎ上げているかのエイゼンシュテインが、日本固有芸術の中にモンタージュの真諦を発見して驚嘆すると同時に、日本の映画にはそれがないと言っているのは皮肉である。彼がどれだけ多くの日本映画を見てそう言ったかはわかりかねるが、この批評はある度までは甘受しなければなるまい。なんとなればわが国の映画製作者でも批評家でも日本固有文化に関心をもって、これに立脚して製作し批評しているらしい人は少なくも自分の目にはほとんど見当たらないからである。アメリカニズムのエロ姿によだれを流し、マルキシズムの赤旗に飛びつき、スターンバーグやクレールの糟をなめているばかりでは、いつまでたっても日本らしい映画はできるはずがないのである。s　剣劇の股旅ものや、幕末ものでも、全部がまだ在来の歌舞伎芝居の因習の繩にしばられたままである。われらの祖父母のありし日の世界をそのままで目の前に浮かばせるような、リアルな時代物映画は見たことがない。チャンバラの果たし合いでも安芝居の立ち回りの引き写しで、ほんとうの命のやりとりらしいものはどこにも求められない。時局あて込みの幕末ものの字幕のイデオロギーなどは実に冷や汗をかかせるものである。現代の大衆はもう少しひらけているはずであると思う。もちろん営利を主とする会社の営業方針に縛られた映画人に前衛映画のような高踏的な製作をしいるのは無理であろうが、その縛繩の許す自由の範囲内でせめてスターンバーグや、ルービッチや、ルネ・クレールの程度においてオリジナルな日本映画を作ることができないはずはない。それができないのは製作者の出発点に根本的な誤謬があるためであろう。その誤謬とは国民的民族的意識の喪失と固有文化への無関心無理解とであろう。もっとも、良い映画のできないということの半分の責任は大衆観客にあることももちろんであろうが、しかし元来芸術家というものは観賞者を教育し訓練に導きうる時にのみ始めてほんとうの芸術家である。チャップリンのごとき天才は大衆を引きつけ教育し訓練しながら、笑わせたり泣かせたりしてそうして莫大な金をもうけているのである。s　和歌俳諧浮世絵を生んだ日本に「日本的なる世界的映画」を創造するという大きな仕事が次の時代の日本人に残されている。自分は現代の若い人々の中で最もすぐれた頭脳をもった人たちが、この大きな意義のある仕事に目をつけて、そうして現在の魔酔的雰囲気の中にいながらしかもその魔酔作用に打ち勝って新しい領土の開拓に進出することを希望してやまないものである。それには高く広き教養と、深く鋭き観察との双輪を要する事はもちろんである。「レオナルド・ダ・ヴィンチが現代に生まれていたら、彼は映画に手を着けたであろう」とだれかが言っているのは真に所由のあることと思われる。s（付記）　紙数に制限のあるために省略した項目の中にはたとえば「字幕」の問題や、映写幕の形状の問題のごときものがある。また芸術的実写映画としての山岳映画や猛獣映画のごときものについても一通り述べたかったのであるが、これらについても他日適当な機会に、他の場所で一応の考察を試みたいと思う。s　本編を草するために参考にした書物は次のようなものである。（次第不同）s:s,s1930s:s,s1928s:s-s(2s)s:s,s1930s:s,s1929s:s,s1929s-s:s,s,s(s2,s)s(s)s:s-s:s,sエイゼンシュテイン、映画の弁証法（佐々木能理男訳）。ベーロ・ボラージュ、映画美学と映画社会学（前掲「映画の精神」の邦訳、佐々木能理男訳）。上田進訳編、映画監督学とモンタージュ論。レオン・ムーシナック、ソヴィエト・ロシアの映画（飯島正訳）。エリック・エリオット、映画技術と芸術（岸松雄訳）。佐々木能理男訳編、発声映画監督と脚本論。ヴェ・シュクロフスキイ、シナリオはいかに書くべきか（本間七郎訳）。　セルディス、トオキイと映画芸術（高原富士郎訳）。佐々木能理男・飯島正、前衛映画芸術論。映画科学研究、第八輯。新撰映画脚本集、下巻。以上ただ手に触れるに任せて一読しただけのものを並べたに過ぎない。すべてが良書だというわけではない。翻訳を読むには用心しなければいけない。映画の実例についての著者の所論や感想は「続冬彦集」に集録してあるから読んでもらいたい。姉妹芸術としての俳諧連句については昭和六年三月以後雑誌「渋柿」に連載した拙著論文【「連句雑俎」】を参照されたい。現在の論文は、これと「二枚折り」になる性質のものである。（昭和七年八月、日本文学）s底本：「寺田寅彦随筆集　第三巻」岩波文庫、岩波書店s　　　1948（昭和23）年5月15日第1刷発行s　　　1963（昭和38）年4月16日第20刷改版発行s　　　1993（平成5）年2月5日第59刷発行s※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。（青空文庫）s※【「連句雑俎」】の括弧記号「【】」は底本では「〔〕」が使われています。s入力：(株)モモs校正：かとうかおりs2003年3月6日作成s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。s●表記についてこのファイルはs3s勧告s11sにそった形式で作成されています。［＃…］は、入力者による注を表す記号です。アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。與謝野晶子s午後午後與謝野晶子s　二人は先刻クリシイの通で中食して帰つて来てからまだ一言も言葉を交さない。女は暖炉の上の棚の心覚えのある雑誌の下から郵船会社の発船日表を出した。さうして長椅子にべたりと腰を下して、手先だけを忙しさうに動して日表を拡げた。何時の昔から暗記して知り切つたものを、もとから本気で読まうなどと思つて居るのではない。男の注意をそれへ引いて、それから云ひ掛りをつけて喧嘩が初めたいのであつた。喧嘩と云つても勝つに決つた喧嘩で、その後で泣く、ヒステリイを起す、男をおろおろさせる、思つて見ればそれも度々しては面白くもない事に違ひないのである、もう飽きてしまつた慰み事に過ぎないのであるが、じつとして居て故郷恋しさに頭を暗くされ続けにさせられて居るよりはほんの少しばかり増しだと思ふのであらう。寝台の足の方に附けて置いた机に倚つて居る男に聞える程のs『あ、あ。』s　と云ふ吐息を女はした。s『どうしたの。』s　男は顔を妻に向けた。s『あ、あ。』s　今度は甘えたやうな吐息が女の口から出て、そして媚びる目附で男を見た。帰りたければ帰れば好いぢやないかと一寸強く威された時、一先づ負けて出る何時ものそれが、間違つて一足先きに出たのだと女は自身の様子に気がついた。s『淋しいのね。』s『ふむ。』s　と云つたまま男はまた書物の上に目を落した。s『煙草を頂戴。』s『さあ。』s　男は藤色のルバンの箱を左の手で持つて出した。s『厭、火を附けてよ。』s　舌打ちをしながらルバンを一本出して口に銜へて、手元にあつた燐寸の大箱から正臙脂色のじくに黄な薬が附けてある花の蘂のやうな燐寸を一本出して擦つた。女は黙つて見て居る。火を附けた煙草を男は無意識に其儘飲んでまた本に読入つた。女はそつと立つてルバンの箱と燐寸とを盗むやうに長椅子の上に取つて来た。s『上げやう。』s　気の附いた男が煙草を口から取つて見せるのをs『いいのよ。』s　首を振つて女は見せた。s『失敬した。』s『あんなことを云つて、いいんですよ。』s『おまへ昨日あたりからおとなしくなつたね。』s　と云つて男は本を下向けた。s『さう。』s　女の目には涙がいつぱい溜つた。s『おまへがさうして居ると日本に居た時の夫婦のやうな気がするよ。』s　そんなことはない、私はさう思はないとか何とかまたあらがひたい気もありながら、どうしたのかさうした言葉の見つからないのを煙草を飲むのに紛らして黙つて居た。s『この煙草は辛くていやだわ。』s　こんなことを女が云つた。s『スリイカツセルでも買つてこようか。』s『いいんですよ。』s　女は笑顔を作つて見せた。何やらいぢらしい気がして男は長椅子の女の横に来て腰かけた。女はまたむらむらと喧嘩がして見たくなつた。s『やつぱり私はあなたが憎いのですわ。』s『困つたものだね。』s『飲んで頂戴、もう厭になつたから。』s　と云つて、女は煙草を男に渡さうとした。s『お捨てよ。僕もいやだ。』s　女は立つて机の上の灰落しに煙草を置きに行つて其儘窓の方へ行つた。戸を前に引いて丁度胸の辺りまである鉄の欄に倚ると何時もの空が見える。途方もない事をしてしまつたと云ふ後悔を教へる東の遠い空が見える。薄鼠色の上に頻りに白い雲の動いて居る日である。目の真向うに見える黒い高い家が、此方向いた窓が一つも附いて居ないので牢屋のやうな不愉快な心地もその時々の気分によつて起させられるのであるが、今日もやはり女はさう思つた。英国へ行つて居た間に隣の邸の大きいマロニエの七八本が暑気に葉を傷めて落ち尽くしてしまつたのが見る度に腹立たしくも思はせられた。併し一番向うの木はもう二度目の芽を疎らに墨のやうな色をした幹に附けて居た。門の方からその家の十二三の下僕が白い胸当をして鳥打帽を被つた姿で、公園の道見たやうな芝の中の白い道を通つて来る。女は国に置いた長男の顔がまざまざと目に見えて来た。自分が身分不相応な、無分別な外国旅行などをした果てには子供達迄も落ぶれさせて、あの下僕のやうな事もさせるやうにもなるのではあるまいか、何時かの朝下僕が大きい手で撲られて居るのも見たが、あんな目を自分の子も見るのであらうか。女はまた男に対する怒りが火のやうに胸に燃えるのを覚えた。振り返つて見ると男はもう机の前に帰つて居て静かに読書を続けて居た。涙を零しながら欄の上から顔を出して下を見ると、遠州流の生花の心の枝のやうな反り返つてひよろながいアカシヤの木の根の下の処に向ひ合つて置いた二つのベンチに人の出て居るのが目に入つた。此方向いた方には主人のルイと西班牙の踊子が居る。土の上に低い小い卓が出されて居て、リキユウル用の小いコツプが三つ程と、ビイルのコツプが二つと酒の瓶の二三本が置かれてある。向う向きのベンチにはおかみさんのブランシユとおしごとに来る小母さんが掛けて居る。ブランシユは髪針を口に銜へながら、膝の上で附髷を結ひ直して居た。薄紺のジヤケツを着た西班牙女が頻りに笑声を交ぜて話し立てて居る。前歯が抜けて居て糸切歯が牙のやうに光る小母さんは横向きになつて居るから、上からも鬼のやうな顔の線がよく動くことが見える。ルイは植木いぢりでもした跡か上はオリイブ色の襯衣だけで居た。二十八とかで評判の美男の彼の顔は上から見ると真中でもう少し禿げかけて居た。西班牙女は透き通るやうな気持の好い青味を交ぜた白い顔色で、黒瞳で笑ふ時も凄艶な怒りの影が見える濃い眉を持つて居る。頤が仏蘭西型よりは心持張つて見える。髪を尼そぎ程に頸の辺りで切放してあるのは何処の踊子もして居ることであるが、こんな房々とした厚い黒い毛を持つたのは珍しい。卓中の辻も二つに分けた前の分け目も、顔の色のそれよりもまた一層白く青く美くしく見られる。ルイの顔にも似ない赤茶をした毛の地の色の隣にあるから一層それが目立つても見えた。ものを云ひ云ひ西班牙女が身体を擦り寄せて行くのを、恐いやうにルイが少しづつ身を引くのがをかしくて、三階の窓の女は思はず微笑んだ。下卑た手附きで小母さんがビイルのコツプを取つてなみなみと注いで、一寸舌で嘗めて身体の横へ置いた。西班牙女がリキユウルのコツプを持つとルイが瓶を取つて注いでやつた。自身のにも注いでおかみさんに飲まないかと云ふと、ブランシユは忙しく首を振つた。小母さんがビイルはどうかと云ふやうなことを云つた。令嬢とか夫人とか名につけて云ふ若い女、どれも先づ自身よりは容貌の好い独身の女を七八人も家に置いて居るおかみさんの身になつたなら、遣る瀬ない腹立たしい思ひも時々はする筈なものであらうなどと上の女は思つて居た。そんな事ですつかり機嫌が直つてしまつた。s『一寸来て御覧なさいよ。あなた。』s『何があるのだ。』s『皆庭へ出て居ますわ。』s『さうかい。』s　男は気のない声で云つて居た。s『下の西班牙人は綺麗ね。』s『さうかね。』s『あなたよく知らないのですか。』s『ときどき見る事があるやうだけれど。』s　時々男が見ると云ふのは、この家の中では一番贅沢な飾りのされてある下の広間の戸口を開けたままで、寝台の上に手や肩を出してだらしなく寝そべつた時のあの女なのであらうかなどと女は思つて居た。下で木戸のがたんと閉る音がして、早足で敷石の上を歩いて来る靴の音がするので、女はまた顔を外へ出した。s『あら、奥さん、いいお帽子。』s　と西斑牙女がはしやいだ声を低い金網垣の外へ掛けた。四人の目の前をs『今日は。』s　聞えない程に云つて逃げるやうに薔薇の帽が上り口の石段を駆け上つた。s『あら、キキですわ。』s　驚いたやうに女が云つた。s『キキが珍しいのかい。』s　と云つて、男は立ち上らうとした。s『だつて、だつてもうお腹が大きくないのだもの。』s『嘘だらう。』s　靴を穿いた男は草履穿の背の低い女の肩に手を掛けて下を覗いた。s『もう入つちやつたわ。どうしたのでせうね、それに好いなりをしてたわ。』s『少し妙だね。』s　男は下から目を上げたルイと顔を見合せてs『今日は。［＃「。」は底本では脱落］』s　と云つて、首を一寸下げた。女はすつと窓から身を引いた。机の前の今迄男の居た椅子に掛けてs『踊子は綺麗でせう。』s　と女は云ふ。s『さうだね、目が悪いから輪廓位しか見えないけれど。』s　男が何時も自分に対して用心深く遠い所に線を張つて居るのが憎いと女は思つた。s『二階の伊太利亜人はどう。』s『あの人も出て居るかい。』s『出て居ないでせうよ。』s　女は口早に云つた。s『今夜はハルギエエルへ行きませうか、あなた。』s『行つても好いよ。おまへが行きたければ。』s『そんなことをお云ひになると私の恋人でも彼処にあるやうね。』s　男は長椅子に掛けて、其処にある煙草を飲まうとして居た。s『さう岸の禿頭だの、後藤の胡麻塩だの。』s『結構ですね、自分が一番立派だと思つて居らつしやるのだから。』s　女も長椅子の方へ行つた。とんとんと扉を叩く音がする。s『お入り。』s　と云ふと、女中のマリイがにたにたと笑つて首を振りながら入つて来た。掃除に廻つて来たのである。s『おいキキの奥さんはどうしたの。』s　また窓の所に行つて立つて居た男は、赤い羽蒲団に手を掛けてめくりかけたマリイに云つた。s『キキ。』s　マリイが問ひかへした。s『さう、さう。』s　男が云ふと、其間休めて居た手を動かして蒲団を上げながら、マリイはをかしくてならないと云ふ表情を顔から頸つきにまで現はさうとした。s『どうして居るのだい。』s　マリイは唇を閉ぢて点頭きながら、左隣の方の壁を指ざした。s『隣に居るの、此頃は。』s『さう、さう。』s　とマリイが云ふ。s『あら。』s　と云つて女は男と顔を見合はせた。s『子供をもう産んでしまつたの。』s　マリイがうなづく。s『何時頃だい。』s　マリイは指を折つて見て、s『二週間前。』s　かう云つて大きい藁蒲団を手際よくマリイは裏返した。女が歩み寄つて向側から敷布を下に挾むのなどを手伝つて居た。s『男の子なの、女の子なの。』s　と女が聞いた。s『小い男の子でしたよ。』s『父なし子は丈夫で居るのかい。』s　欄に肱を突いて身体を反り省すやうにしながら男が云つた。ちらと隣の窓に掛つて居た白いきれが目に入つた。s『田舎へ行きましたよ。』s　掛蒲団の下かけのはしをもう一枚藁蒲団の下に挟みながらマリイが答へた。s『里へやつちやつたの。』s『さう、さう。』s『産の時もやつぱし屋根裏の部屋に居たの。』s『さうですよ。』s『男は一人位来たかい。』s『どうして、どうして。』s　安楽椅子の上に置いてあつた羽蒲団を取らうとすると、マリイの汚れたタブレイの隠袋の中で鍵がぢやらぢやらと鳴つた。s『可愛さうね。』s　男の傍へ来て女が云つた。s『キキの奥さんはもうこの間から散歩に出て居ますよ。』s『盛んな奥さんだね。』s　男は苦い顔をして云つた。マリイは声を立てて笑つた。開いた戸口から河合が長い顔を出した。s『やあ、入りたまへ。』s　おかみさんがマリイを呼び立てる声が下でする。s『奴隷のやうに私を思つてる。』s　つぶやきながらマリイは出て行つた。箒も雑巾もそのまま持つて行つた。s『奥さん、この間は失敬しました。』s　河合は怠さうな身体を長椅子に置いた。s『私こそ。』s　女はにこやかに云つて寝台の端に腰を掛けた。床から五六寸離れた白い足袋の先に西の窓から来る日影が落ちた。s『細君が怒つて居ないかつて山口も心配して居るんだぜ。』s　河合は横にあるロバンの箱をいぢつて居る。s『さうかい馬鹿だね。』s『気の弱い方ね。』s『僕だつて心配しましたよ。』s　河合は頤を下につけて正目に女を見て云つた。s『あの前から頭痛がして居て自分でも早く帰りたかつたのださうだよ。』s『ぢやあ君もひどく怒られないで済んだのだね。』s　河合はをかしさうに笑つた。s『馬鹿な。』s　男は机の引き出しから葉巻の箱を出して、s『これをやり給へ。』s　河合の傍へ置いた。s『うん。』s　河合が一本撮んで指で先を取つて居る時、女も手を出して一本取つた。そして手を伸して机の上のナイフを取つて端を切つて男に渡した。此頃は人の前で態とこんなことをして見せたがる癖の出来た女を病的になつて居るからだと男は見て居た。s『何も持つて居やあしないぢやないか。』s　河合は両手を拡げて見せた。s『二十日かい、今日は。』s『さうかね。』s　男は女を見て云つた。s『さうですわ。』s『驚いたらう。当月は何一枚書いて居やあしないよ。』s　河合は態とらしい元気好い声で云つた。s『驚きはしないよ。君のこつたもの。』s『ふ、ふ。』s　河合は首をすくめて笑つた。s『俺は馬鹿ぢやないから何も出来やあしない、出来やあしない。』s『困つた人だね。』s『俺はもう二百フランしか持つて居やあしないよ。』s『二百フランは真実にあるのかしら。』s『怪しいものだね。』s　河合が笑つて云つた。s『僕の細君を珈琲店から追ひ帰しても仕方のないわけだね。』s『河合さんは綺麗な人を前に置いて見るだけでいいんですわね。』s　と女が云つた。s『やむをえずですよ。』s『さうだとも。』s　と男が云ふ。s『おい、カンキナでも河合君にお上げよ。そしておまへもそんな所に居ずと椅子を持つておいでよ。』s　男に云はれてs『え、え。』s　と女は足を床に附けて立たうとした。戸口に人の来たけはひを聞いて、男はs『どなた。』s　と云つた。愛嬌を目に見せたブランシユが中を覗いて、客のあるのを見て男を小手招ぎして外へ呼び出した。女は机を河合の方へ少し寄せて、出して来たカンキナの瓶とコツプを置いた。s『おかみさんはいくつですか。』s『さあ、旦那様より二つ上だとか云つてましたよ。』s　黒味を帯びたカンキナが注ぎ余つて机掛の上に血のやうに零れた。s『あれやあ亭主ぢやない、男めかけだ。』s『そんなことはないんですよ。』s『あんまり男が可愛さうだもの。』s　酒を半飲んだコツプを持つた儘河合は笑つて居る。s『おかみさんは二十貫位あるでせうね。』s『そんなこと、背が低いし、それに唯ぶくぶくして居るだけですもの。』s　男が入つて来る後からブランシユも姿を出した。もう綺麗に髪が出来上つて居る。この女の目から受ける感じも口元の感じも全然一緒で、美くしくはないが小利口らしい活々とした顔である。髪がもうこの倍もあつたら美人の端に入れるかも知れない。未だ着物は木綿縞のダブレイをはおつた儘で居た。s『おかみさんの友達がね、帽子を買はないかと云つて持つて来たのださうだ。見せて貰うかい。』s　男は女に云つた。s『さう、見てもいいこと。』s『気に入ればお買ひよ。』s『ぢやあ見せて貰ひませうね。』s　河合はおかみさんと握手をして居た。ブランシユは首を振つておどけ抜いたことを云つて居た。寝台の上に置かれてあつた紙袋からおかみさんは江戸紫のびろうどの帽子を出した。絹の菊の小さい花が二つ附いて居て、庇には白いレエスが垂れて居る。s『好いこと。』s　と女は嬉しさうに云つた。ブランシユが傍へ寄つて女の頭に帽を載せた。七八つも十も若くなつたやうな顔が直ぐ前の姿見に映るのを女は飽かず覗いて居た。s『いくらでせう、あなた。』s　娘らしい声で云つた。男が聞くと五十フランだとおかみさんは云つた。s『あんまり勿体ないのね。』s『欲しければ買つておおきよ。』s『だつて。』s『いらなければ早くさう云つてお返しよ。』s『ぢやあかへしますわ。』s　ブランシユは男から言ひ訳を聞いてうなづきながらs『こんなことをよく頼みに来るので私は困らせられるのですよ。』s　と云つて、帽を提げておかみさんは出て行つた。s『晩には巴屋へでも行かうか。日本酒がもう来て居るかも知れないね。』s　カンキナのコツプを持ちながら女を見て男が云つた。s『さうね。』s　女は唯さう云つただけである。まだ今の帽子が目に残つて去らないやうである。s『奥さん帽を買つておおきになれやあいいのに。』s　と河合が云つた。s底本：「中央公論」中央公論社s　　　1913（大正2）年3月号s※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。s※底本には、「ルバン」と「ロバン」がともに見られます。s入力：武田秀男s校正：門田裕志s2003年2月16日作成s2003年5月18日修正s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。s●表記についてこのファイルはs3s勧告s11sにそった形式で作成されています。［＃…］は、入力者による注を表す記号です。葛西善蔵s浮浪浮浪葛西善蔵s　　　　　一s「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。どこかへ行つて書いて来るつもりだから……」と、朝由井ケ浜の小学校へ出て行く伜のＦに声をかけたが、「いゝよ」とＦは例の簡単な調子で答へた。s　遠い郷里から私につれられて来て建長寺内のＳ院の陰気な室で二人で暮すことになつてから三月程の間に、斯うした目には度々会はされてゐるので、Ｆも此頃ではだいぶ慣れて来た様子であつた。私が出先きで苦労にしてゐるほどには気にしてゐない風である。近くの仕出し屋から運んで来るご飯を喰べ、弁当を持つて出かけて、帰つて来ると晩には仕出し屋の二十二になる娘が泊りに来て何かと世話をしてゐて呉れてるのであつた。s　二月一日の午後であつた。鎌倉から汽車に乗り、新橋で下りて、銀座裏のある雑誌社で前の晩徹夜をして書きなぐつた八枚と云ふ粗末な原稿を金に代へ、電車で飯田橋の運送店に勤めてゐる弟を訪ねると丁度退ける時分だつたので、外へ出て早稲田までぶら／＼話しながら歩るくことにした。神楽坂で原稿紙やインキを買つた。s「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と、私は弟に云つた。s「うまく書けるといゝですがねえ……」と、斯うした私の計画の度々の失敗を知つてゐる弟は、不安な顔して云つた。s　その晩は弟夫婦の借間の四畳半で弟と遅くまで飲み、その翌日も夕方まで飲んで、六時過ぎ頃の汽車で上野を発つた。水戸へ着いたのは十一時頃であつた。すぐ駅前の宿屋へ飛び込んだ。s　駅前から大洗まで乗合自働車も通つてゐるが、私はやはり那珂川を汽船で下らうと思つた。大洗のＫ楼と云ふ家に十三年前――丁度Ｆが郷里で生れた年、半年余り滞在してゐたことがある。やはり無茶な日を送つてゐたものであつた。その家を指して行つて見ようと思つた。川の両岸の竹藪や葦、祝町近くの高い崖、海運橋とか云つた高い長い橋、茶屋と貸座敷ばかし軒を並べた古めかしい感じの祝町を通つて、それから数町の間の松林の中の砂路――それらが懐かしく思はれないでもないのである。が朝一泊の宿料を払つて見ると、私の財布の中が余りに心細く思はれ出した。それに曇つた、今にも雪でも降り出しさうな、寒い厭な天気だつたので、私はまた一時間ばかし汽車に乗つて助川駅に下りた。そして町の方に小さな呉服屋を出してゐる内田を訪ねて行つた。s　場末の、小さな茅葺屋根の家で、店さきの瀬戸物の火鉢を前にして、内田は冴えない顔色してぼんやり往来を眺めてゐた。小さな飾窓には二三反の銘仙物や半襟など飾られ、店には安物の木綿縞やネルなど見すぼらしく積まれてゐた。七八年前彼が兄の家から分家して開店した時分私が一寸訪ねたことがあつたが、その時分と較べてさつぱり品物が殖えたやうにも見えなかつた。s「どうして来たの？」と、彼は私の顔を疑ぐり深い眼して視ながら云つた。s「いや実は……」と私は訪ねて来た事情を話して、「そんな訳だからどこか十日ばかし置いて呉れるやうな宿屋を案内して貰ひたいんだがね……」s「まあそれではあがり給へ」と云つて、次ぎの室の長火鉢の傍へあげた。s　この前会つた細君を離縁して、一昨年小学教師の娘の若い細君を貰つたが、半月程前女の子を産んだと云つて、細君は赤んぼと蒲団に寝てゐた。近所から手伝ひに来てゐる細君の妹だと云ふ十七八の娘が酒の用意をした。内田は飲めない方だが私の相手をして、その間に細君の湯たんぽやおしめの取代へなどにまめ／＼しく動いてゐた。内田は私より一つ年上の三十六で、初めて父親になつたのであつた。s　丁度節分の日であつた。三時頃から雪が降り出した。日が暮れてから私たちは小僧が「福は内鬼は外！」と大きな声で叫びながら豆撒きしてるのを聞きながら外へ出た。海岸の宿屋まで十町ばかしの間雪に吹かれながら歩るいた。s　その晩は案内されたＳ閣と云ふ宿屋で、私たちは、芸者やお酌をよんで飲んだり騒いだりした。「お客さんを五六日……」斯う内田は宿のお内儀に云つた。s　家構へも大きく、室数もかなりあつて、殺風景な庭ながら大きな池もあつた。座りながら障子のガラス越しに青い海が眺められた。が海水浴専門の場所なので私のほかには客は一人もなかつた。女中もゐなかつた。老夫婦と若夫婦と風呂番の爺さんとご飯炊き――それだけであつた。この村での相当の地主だつたが十年程前に自分所有の田を埋めて普請をして今の商売をやり出したのだと云ふ赭ら顔の、頭の禿げた六十近い主人は、頬髯など厳めしく生やして、中風で不自由な足して、日向の庭へ出ては、悪戯好きな若い犬を叱りつけたりなどしてゐた。若主人は養子であつた。それが料理番をした。一人娘の若いお内儀は子の無い三十近い女で、平べつたい赭ら顔のがさつな女であつた。「あなたは、こゝへ斯う云ふ風に頬髯を生やすと、あなたのお父さんそつくりですね」と、私は両手で自分の頬に鐘馗髯を描く手真似をして、余り応柄なのが癪に障つて酔つた時に云つてやつたことがあつた。何事にもつけ／＼云ふ彼女も、さすがに怯んだ態であつた。s　　　　　二s　雪の中なぞ歩るいたせゐか、私はその翌日から風心地で、昼間は寝床の中で過し、夕方近くなつて起きては遅くまで酒を飲んだ。雪がかなり積つてゐた。ひとりで波の音を聞きながら酒を飲んでゐると、Ｆのことがしきりに思ひ出されて来る。鎌倉の方でも降つたゞらうが、寺から学校までは十五町程もあるので、今朝は困つたゞらうと云ふやうなことが考へられる。昨年の暮に死んだ従兄のことが考へ出されてならない。……s　その従兄のことを、私は前にある雑誌へ発表した未完原稿の続きとして書くつもりであつた。がその原稿では私はかなり手古摺つてゐた。書く気分はまつたく無くなつてゐるのだが、投つて了ふ訳に行かない事情もあつた。それで、今度はどんなことをしても、二十枚でも三十枚でも書いて帰らねばならないと思つた。その原稿が書けない為めに、此頃の私の気持がかなり不自由なものにされてゐた。その原稿では多く知人の悪口めいたことばかし書き立てたので、そんなことが祟つて、それで斯う書けないのではないか知らと、私は呪はれてゐるやうな気さへしたのだ。s　三日目の晩私はいよ／＼思ひ切つて晩酌をやめて、二時過ぎまで机に向つて六七枚書いた。その朝、朝昼兼帯のお膳を持つて来たお内儀が、私が箸を置くのを待つて、s「今日は旧の大晦日だもんですから、払ひの都合もあるもんですから、ご勘定を頂きたいと申して居るんですが……」と云ひ出した。s「さうですか。それは困りましたね。実は私は金は持つてないんですがね、それで内田君に頼んでつれて来て貰つたやうな訳なんですが……」s「いや、それはね、内田さんがつれて来て下すつたお客さんのことですから、内田さんから頂戴すれば手前の方では差支えない訳なんですけどね、ご都合でどうかと思ひましたものですからね、それに内田さんとは顔は知つてると云ふだけで大して懇意と云ふ訳でもありませんし、あの人の停車場前の兄さんの店からは近いのでちよい／＼した買物位ゐはしてるんですが、あの内田さんの方とはそんなこともないんですからね……」とお内儀は厭な顔して云つて、内田のこともひどく見縊つた様子を見せた。s「いや決して御迷惑をかけるやうなことはありませんから。少し急ぎの仕事があつて来たのですが、この通りあと五六日で書きあがるのですから……」と、私は茶湯台の上の原稿を見せて弁解するやうに云つた。s「一体内田さんとはどんなお知合なんですか……お友達でゝも？」と、お内儀は二人の職業や風体の相違から二人の関係を不審に考へてる風でもあつた。s「え、旧い友人なんですよ」と、私は云ふほかなかつた。s「あの人、兄さんや親御さんたちともちつとも似てゐませんね」s「さうですか。僕親御さんたちのことはよく知らないが、兄さんとは似てゐないやうだけど、親御さんたちともさうですか」s「えゝ親御さんたちもあんな顔はしてゐませんよ」お内儀は斯んなやうなことまで云つてお膳をさげて出て行つた。s　内田の人相のことなど余計な話ぢやないかと、私は鳥渡した反感を抱かされたが、兎に角内田も余り信用されてなさゝうなのが心細く思はれた。が今の自分の話でお内儀は納得したことゝ思つて机に向つてゐると、夕方内田は気忙しさうな様子でやつて来て、s「こんな手紙が来たよ」と、宿からの手紙を懐ろから出した。s「さうか。やつぱし何とかやかましいことを云つてるのか」と、私は手紙を読んで見たが、成程なか／＼鹿爪らしい文句を並べ立てゝゐた。毎晩遅くまで酒を飲み、日中もおやすみになり――云々と云つたやうな文句も見えた。s「この通りやう／＼書き始めたところなんだから、もう五六日のところ君から話して呉れよ」s「何枚位ゐ出来たんだ？」s「いや昨晩から書き出したんでまだ六七枚しか書いてないが、これからずん／＼書けるんだから」s「ぢや兎に角帳場へ行つて話して来よう」s　それで、五六日延期と云ふことになり、其後二晩ばかし徹夜などして十五六枚まで書き続けたところ、パツタリと筆が進まなくなつた。晩酌をやめたり徹夜なんかの習慣がほとんどなかつたのに、二晩も続けた為めに頭も身体の調子もすつかり狂はして了つた。一二日ぼんやり机の上を眺めてゐたが厭になつて原稿を破ぶいて了つた。その晩私は自棄気味で酒を飲んでゐると内田がやつて来た。s「気に入らなくて破ぶいたが二三日にも二三十枚でも書きあげるつもりだから心配するなよ。どうせ金が足りなければ僕の小さな本の版権でも売つて払ひをするから。何しろこの原稿では実に厭になつてるんで、金の問題でなくどうしても今度は片附けて帰りたいと思つてるんだから……」s「いや実は今帳場へも寄つて来たんだがね、何しろ七十円からになつてるさうだからね、それに君は遅くまで酒を飲んでは芸者々々なんて云ふてんで、ひどく厭がつてるやうだから、兎に角ひと勘定して貰ひたいと云ふんだがね……」s「そいつは困つたね。兎に角君からもう一度話して呉れよ。何だつたら明日東京の本屋へ手紙を出して交渉してもいゝから」s　二人で帳場へ行つて話をすることにしたが、何しろ私はひどく酔つてゐたので、却つてまずい印象を与へることになつたらしい。がその晩の事は私にはよく分らなかつた。それで其翌朝はいつになく早起きして、机に向ふ気になつた。s「ゆうべはすつかり酔払つて了つてよく分らなかつたが、内田君何とか云つてゐましたか？」と、私はお膳を持つて来たお内儀に訊いた。s「え、今日お見えになる筈です。今に見えませう」と、お内儀も何気ない顔して云つた。s　晴れたいゝ天気であつた。海が青く輝いてゐた。床の間の大花瓶の梅が二三輪綻びかけたのも風情ありげに見えた。猟銃の音など聞えた。斯んな気持なら書けるぞ！　と云ふ気がされた。あの不幸な従兄が最後まで人をも世をも怨まず、与へられた一日々々の生を感謝するやうな気持で活きてゐた静かな謙遜な心境が同感出来るやうな思ひが、私の胸にも動きかけてるのを感じた。「これでいゝのだ。斯う云ふ気持で素直に書いて行けばいゝのだ」斯う思つて私はまた新らしく原稿紙に題を書きつけた。この小説で私は従兄の霊に懺悔したいことがあるのだが、世間的な羞恥心から私はいつも躊躇を感じてゐる。それで彼の霊魂から責められてる気がする。霊魂を欺くことは出来ない。霊魂を否定したところが、自分の良心の苦痛は去らない。私がこの小説を書き続けられないのは単に技巧などで困つて居るせゐではなく、さうした根本的な欠陥、自責の念から書き渋つて了ふのらしい。やつぱし素直な謙遜な気持にならなければいけないと思つた。さう思ふと気分が軽くなつて、筆を持つ勇気が出て来た。斯うして雑念を去つて机に向つてゐられると云ふことだけでもたいへんな幸福なことではないか、さう思つて二三枚書き続けて行つた。s　が午後内田がやつて来て、帳場で相談でもして来たか険しい顔して座るなり、s「今度はたゞでは延ばすまいから君の持つてるものを質入れして幾らかでも入れることにするから、君の持つてるものを出せ」と云ひ出した。s「そんな馬鹿なこと出来やしないよ。後幾日のことでもなし、そんな訳なら東京へ手紙を出して金を拵へることにする……そんなこと出来るもんか」と、私もムツとして云つた。s「そんなら俺の方でも引受けられないよ。何が馬鹿なことなんだ。金が無くて払へなければ、さうするのが当然ぢやないか」s「そりやさうかも知れないが、しかし二三日中にも片附けられるんだから、そんなことまでせんだつていゝ」s「だつて宿で待たないと云つてるから仕方がないぢやないか」s「だからそこを君からもう一度話して呉れたらいゝぢやないか」s「俺としてもたゞでは話が出来ないぢやないか。幾らか内金でも入れて、それで後二三日待つて呉れとでも云はなければ、宿でだつて聞き入れやしないよ。だから出せ……」s「厭だよ……」s「わからないなあ君も。兎に角宿では君のやうなお客さんはご免だと云つてるんだから、金を入れると云つたつて今度は何と云ふか知れやしないんだぜ。だから兎に角品物を出せ」s「仕様が無いなあ。ぢや兎に角さう云ふことにして呉れ」と云つて、私は外套と羽織と時計の三品を出した。s「外套は暮に百円で拵へたばかしなんだぜ」s「だつて質屋へ持込むとなると幾らも貸しやしないよ。この銘仙の羽織なんか幾らになるもんか。時計は幾ら位ゐしたものなんだ？」s「買ふとなると二十五円もするが」と私はすつかり愛想の尽きた投げ出した調子になつて云つた。s　彼がその包みを持つて帳場へ下りて行つた後私は一人で煙草を自棄に吸ひながら、先刻の幸福な気分のすぐ後だつたゞけに、自分に対して皮肉な気持を感じない訳に行かなかつた。が何しろ相手は細かしい商人なんだからと思ひ返した。お内儀が気にした人相のことなど考へられた。突出た狭い額、出歯の醜い歯並、尖つた頤、冴えない顔色、一重瞼の吊りあがつた因業さうな眼付――が兎に角自分が頼りにして来たのがいけなかつたのだ。帳場へ行つてどんな風に話をしてゐるのかと疑はれる気もしたが、やつぱし帰つて来ると、s「帳場では幾らか内金を入れても君のやうなお客はご免だと云ふから、兎に角君はこれから東京へ帰つて金を拵へて来るか、金を送るかどつちかにしたらいゝだらう」と卒気なく云ひ放つた。s「そんなこと出来やしないよ。こんなことで東京へ帰られやしないぢやないか。だから斯んなことにして呉れないか。どうしてもこゝで厭だと云ふんだつたら、僕は他の旅館へ行つて二三日滞在して金を拵へることにするから、その間の費用として十五円ばかし心配して呉れないか。外套を質に置くか、それでなかつたら町の方の安い宿屋へ二三日のところ話して呉れないか」と私は懇願的に出た。s「真平ご免だ」と、彼は勝誇つた調子で云つた。s「ご免だと云つて、それならば僕の方でも金は拵へて払ふから品物を渡すのはご免だよ」s「それならば俺の方でもこゝの保証はご免蒙るよ」s「それは勝手だ。僕の方では警察にでも立合つて貰ふから。その方がまだ気持がいゝよ」s　お内儀も這入つて来て二人の問答の間に口を入れたりしたが、やつぱし内田の方から断らせるやうに宿へ話し込んだものに違ひないことが明瞭になつて来た。彼としてはこゝで突放すのが一番有利だと思へるのも尤もでもある。それで話が難かしさうになると、彼はさつさと室を出て行つた。無理解と云ふ以外に私のやうな職業に対する反感も手伝つてゐるやうに見えた。s「私の方では内田さんと話がついたのですから、兎に角出て頂きます」お内儀は斯う云つて内田が残して行つたと云ふ羽織だけ持つて来た。s「内田さんだから羽織だけでも置いて行つたんで、警察の立合となると何一つだつて残しやしませんよ」s「しかしその方がまだ気持がよかつた。それであの品物は内田君が持つて行つたんですね？」s「え持つて行きましたよ」s「さうですか。それでは兎に角内田の兄さんとこへでも行つて話して見よう。何しろ馬鹿々々しい話だ」s「さうですねえ、兄さんにはまた兄さんだけの考へもありませうから」と、お内儀も幾らか同情したやうな調子で云つた。s　　　　　三s　兄さんの家は停車場近くであつた。その辺は鉱山と同時に新らしく開けた、長家風の粗末な建物がごちや／＼軒を並べたやうな町であつた。店さきに座つてゐた四十一二の兄さんは「まあおあがり……」斯う云つて私を奥へ案内しかけたが、先刻と同じやうに険悪な顔した内田が奥から出て来て、私を外へ引張り出した。s「何しに来たんだ？」s「兄さんへでも相談して見ようと思つて来たさ」s「兄さんなんか相手にするもんか。それよりも東京へ帰つたらいゝだらう」s「帰られはしないよ。それに汽車賃だつてありやしないさ」s「汽車賃位ゐなら貸してやらう」s「ご免だ」s「そんなら勝手にするさ。しかしこれ以上はどんなこと云つて来たつて俺の方では相手にしないからね、そのつもりでゐ給へ。営業妨害だよ。君なんかの相手になつてゐられるもんか」彼は斯う云ひ棄てゝ歩るいて行つた。s　何と云ふ可笑しな男だらう、しかし自分なんかの生活では有勝ちのことなんだが、あの男にとつては非常に真剣な一大事なのかも知れないと思ふと、彼の後姿を見送つて、私には苦笑以上に憤慨の気も起らなかつた。そして店さきに引返して土間の腰掛に腰をかけながら、兄さんに今度の事情を話した。s「そんな訳なもんですから、これから手紙を出して金を取寄せる間、二三日のところどうかしたいと思ふんですけど、それで内田君が持つて来た品物を質入れした内から十五円ばかり借りたいと思ふんですけど、何しろ内田君はひどく激昂してゐるんで、それであなたから何とか内田君に話して貰ひたいと思ふんですが……」内田も多分品物は宿屋に渡してあることゝ思はれたが、此際斯う云ひ出すほかなかつた。s「あれは何しろあの通りいつこくな奴でして、商売上のことでは私の方でも干渉もするし、また干渉もせずにゐられませんが、その他のことでは、一切干渉しないことにしてゐるんで、こつちで親切で云ふことでもすぐ反抗して来ると云つたやうな訳ですから、私が行つて見ても何と云ふか知れませんがね、それでは私は今すぐ後から出かけますから、あなたひと足さきに行つてゝ呉れませんか。一寸しかけた用事を片附けてすぐ後から参ゐりますから……」s　斯う云はれて私はまたひとりで内田の店まで十町近くのところを歩るいて行つた。店さきには鉱山の印半纏の上に筒袖の外套を着て靴を穿いた坑夫の小頭とでも云つた男が立ちながら、襦袢の袖を出さして見てゐた。縮緬と絹との一対づゝであつた。s「幾らに負かるんかね？」s「お値段のところはどうも。まつたくお取次ぎ値段でして、昨年の高い時分には十二三円からした品物なんですから、七円と云ふのはまつたくもうお取次ぎの値段を申しあげたんで、他所を聞いてご覧になつて高いやうなことがありましたらいつでもお返しになつて差支えありませんから、まつたくどうもお値段のところは……さうですね、それではほんのお愛嬌に十銭だけお引きしませう」s「十銭と云ふと、やつぱし七円だな」s「へえ、まつたくどうもお値段のところは……随分お安く申しあげてあるんで」s　斯んな調子で、彼は算盤を弾いて見たりして三十分程も相手をして骨を折つたが、結局「それではまた後で……」と云ふことで男は出て行つた。傍で見てゐた私も気の毒な気がした。この二対しかない絹物の袖の売れる機会は、斯うした店では稀なことに違ひなかつた。私が来合せた為め売れなかつたのだと、この男のことだから思ひ兼ねないものでもないと云ふ気もされた。彼は不機嫌さうに起つて後ろの棚へ品物を蔵つて、s「何しに来た？」と、一層険しい顔して云つた。s「すぐ後から兄さんも来る筈だから」s「兄さんが来たつて誰が来たつて、俺の方では一切この交渉はご免を蒙る。営業妨害だよ。この忙がしい身体を君のことなんかに構つてゐられないよ。兎に角早速東京へ帰るなり別の宿屋へ行くなりそれは勝手だが、すぐ金を拵へて来て貰はないと俺が迷惑する。君のやうな非常識な人間相手は真平ご免だ」剣もほろろの態度で、斯う云つてぷいと奥へ引込んで了つた。s　私は店さきに座つてもゐられないし、また最早彼と交渉する気力も興味の余地も無い気がして、また兄さんの方へ引返して来た。内田とは十五年程前、私が大学病院で痔の手術を受けた時、彼は陰嚢水腫の手術を受けに出て来て、その時からの知合であつた。二月上旬の霙の降つた寒い日であつた。一番目が兵隊あがりのやはり痔の患者、二番目が彼で、やがてまだ死人のやうに睡つてゐる彼が手押車で廊下から患者の控室に運び込まれたが、時々不気味な呻り声を出して出歯の口を開けた蒼醒めた顔は、かなり醜い印象を私に与へたものであつた。その時附添つて来たのが兄さんであつた。それから六十日程の間私達は隔日に顔を合はして、お互ひに訪問し合つたりするほど懇意になつた。そして病院の裏の桜の咲き初めた時分、ほんの二三日の違ひで病院から解放されることになり、若かつた私達は互ひに懐しい気持で別れることになつた。それから不思議にも二三年置き位ゐに私達は会つてゐた。私が帰郷の途中彼のところへ寄つたり、彼が上京の度に下宿に訪ねて来たりした。四五年前であつた。彼は慢性の花柳病治療の為め上京して、私が案内して神田の方の某専門大家を訪ねて診察を受けたところ、彼の予算とは何層倍の費用がかゝりさうなのに嚇かされて、彼は治療を断念した。そして、彼が持つて来た金で二人で神楽坂の待合で遊んだ。その割前を厳しく彼から請求されたが、私はその時分家を持つてゐたのだつたけれどひどい困窮の場合で、その工面がつかなかつた。その結果二人はやはり今度のやうな罵り合ひの状態で物別れになり、私の方では絶交のつもりであつた。ところが昨年の夏、団体で横須賀へ軍艦の進水式を見に来た序でだと云つて、十四五人の同勢と突然に訪ねて来た。ビールなぞ飲んで一時間ばかり休んで行つた。それから二度東京へ出た序でだと云つて訪ねて来て、半日位ゐ遊んで行つた。s「それではやつぱし、鎌倉へ来たのもたゞ遊びに来たのではなく、割前の貸しを請求するつもりで来たのだが、さすがに云ひ出せなくて帰つたのかも知れないな」と、私は思ひ当る気がした。s　私はまた兄さんと店さきで話した。s「何しろ非常に激昂してゐて駄目なんですがね。あなたに行つていたゞいても駄目だらうと思ひますよ。それで、先刻も話したやうな訳で今度はどうしても書かずには帰れないやうな事情になつて居るので、東京の本屋に版権でも売つて金を取寄せることにしますから、二三日滞在するだけの金を――十五円ばかし貸していたゞけないでせうか。値ひは無いんですけど羽織と袴をお預けすることにしますから……」私は内田の方は諦めて、今度は兄さんに頼んで見た。s「それでは兎に角どう云ふ事情になつて居るのかあれにも訊いて見ませう。何しろ見かけのやうでなく商人なんてものは内が苦しいもんですから……」兄さんは斯う熱のない調子で云つて出て行つた。s　二時間ばかしも寒い店さきに腰をかけて待つてゐた。旧暦の年始客が手拭買ひに寄つたり、近所の内儀さんが子供の木綿縞を半反買ひに来たりして、十六七の小僧が相手になつてゐた。s「遅くなりまして。途中で年始客の酔払ひにつかまつたものですから、……どうも失礼しました」兄さんは幾らか赤い顔して帰つて来たが、s「いや、あれも別段激昂してると云ふ訳でもないやうですが、さうした方が、あなたの為めにもいゝと云ふんでして。……やはり一応お帰りになつて金策なさつた方がいゝでせう」s「さうでしたか。どうもご苦労さまでした」と、私も予期してゐたことながら当惑して、s「どうも仕方がありませんね。それで、帰るとしてももう時間が遅いし、どこか他の宿屋へ行つて事情を話して返事の来る間置いて貰ひたいと思ふんですが、それで誠に申し兼ねますが袴をお預けしますから五円だけ貸していたゞけますまいか」と、今度は五円と云ひ出した。s「いや、袴はいゝですから……」と云つて、帳場机の上の銭箱から出して、私の前に置いた。s　私はそれを懐ろに入れると、逃げるやうにしてそこを出た。乗客以外にも通行出来るやうになつてゐる駅の架橋を渡つて行くと、中程の改札口のところに外套を着た鳥打帽の人相の好くない男が二人も立つてゐて、私の風体をじろ／＼睨むやうに視た。この四五日前にもまた鉱山で三百人からの坑夫を解傭したので、万一を警戒してゐる刑事だなと、私にもすぐ感じられた。停車場前の駄菓子や蜜柑など並べた屋台店の火鉢に婆さんと話してゐる印半纏の男、その前で自転車を乗り廻してゐる同じ風体の男に、s「Ｇ館はどつちでしたかね？」と訊くと、s「Ｇ館？……」と、二人の男はほとんど同時に斯う云つて、私の顔に近寄つて来さうな風を見せたので、私もハツと気がついてさつさと通り過ぎた。s　十年ばかし前に一泊したことのあるＧ館へと暗い海岸の砂路を歩るいて行くと、すぐそこに近年新らしく普請された鉱山の御用旅館の広い玄関が眼に入つたので、却つて大きな家の方が話が解るだらうと思ひ直して、そこへ這入つて行つた。s　　　　　四s「僕はＳ閣に滞在してゐたんだが、少し間違ひが出来て持物を取られてやつて来た訳なんだがね、決して怪しい者ではないから、東京へ手紙を出して返事の来る間二三日置いて貰ひたいと思ふんだが、どうだらう、一寸番頭さんに来て貰ひたいんだが？……」s　お膳が出て、酒を一二本ばかし飲んだところで、京都弁の若い女中に斯う云つて頼んだ。主人も奉公人もすべて京都から来てるのださうで、出て来た若い番頭も京都弁で、s「いや実は私はまだ来たばかしのものでござんして、斯う云ふことにはよう慣れませんもんやで、ほかの者をよこしますよつて……」番頭は私の話を聞いたが、斯んなやうなことを云つてはこそ／＼出て行つた。s「いや、君のところが一番こゝでは大きい家と見込んでやつて来た訳なんだがなあ」と私は後姿を見送りながら云つたが、最早望みがないと思つた。s　今度は印半纏の客引の男が来たが、s「それでは今夜一晩だけお宿をしますから、明日はお宿替へを願ひたいと云ふことで、主人の方ではさう申して居りますので……」私が幾度も同じやうなことを云つて頼んだが、先方でもやはり斯ういつまでも同じことを繰返した。s「どうもそれでは仕方がないな」と、私も云ふほかなかつた。s　一寸綺麗な女中で、それでも感心に遅くまで耳に柔かい京都弁で相手をしてお酌をした。兎に角明日は東京の本屋へ電話をかける決心をして、酒の力で睡つた。s　九時頃寝床の中で電話帳を見て、女中にかけさせた。それから朝昼兼帯の遅い朝飯を喰べて、電話の通じるのを待つ間起きてるのに堪へない気持から、また床の中にもぐり込んで女中に借りた講談の雑誌など読んでゐたが、なか／＼電話が通じなかつた、幾度も局へ催促させたが、最初からほんとに申込んであつたのか、係り合ふのを厭がつて申込まなかつたのか、たうとう電気のつくまで通じなかつた。もう一晩と頼んで見たが聴き入れさうな様子も無いので、私は日暮れ方そこの電燈の明るい玄関から外へ出た。例の新開町を寒い風に吹かれて、途中の汚ない物置めいた建物の劇場の曾我廼家五十九郎丈へとか曾我廼家ちやうちんへとかの幟など佗しい気持に眺めながら、通りがゝりに見知つてゐた内田の家の近所の商人宿を指して行つた。ほんの電報を打つたりする位ゐの金しか残つてゐなかつた。s　翌日は二月の十五日で、私が鎌倉を出てから丁度十五日経つてゐた。九時頃に起きて早速東京の弟のところへ二十円電報為替で送るやうに書いた電報を女中に頼んだが、すると早速また女中がお勘定をと云つてやつて来た。酒を三合飲んで三円五銭と云ふ勘定であつた。s「海岸の方の宿にゐたんだが、予算を狂はして金が無いんだけれど、明日までには屹度来るんだからもう一晩置いて呉れつて帳場へ話して呉れ」s　斯う云つてやると四十越した働き者らしい、しかし正直さうなお内儀が出て来て、やはりお宿替へを請求したが、私は羽織と袴を渡してもう一晩の猶予を乞ふた。s「私は毎晩酒を飲まないと睡れないものだから、やはり酒は三合宛つけて下さい」私は斯う附け足したが、それも承知して呉れた。s　私は三合のおつもりの酒を手酌で飲みながら、今晩店から弟が帰つて電報を見て明日は屹度何とか云つて来るだらうと、ホツと一息ついた気持で、割箸に挟まつた都々逸の辻占を読んで見たりしたが、それは、私は籠の鳥と諦めては居るが時節待てとは気が永い――と云つたやうなものだつたので、これは少し辻占が好くないと思つた。s　日当りのいゝ、わりに小綺麗な気持のいゝ六畳の室であつた。斯うしてる間に十枚でも十五枚でも兎に角に書きあげてしまひたいと思つて、私は朝から原稿紙をひろげて返事の来る間やつて見たが、やはり五六枚書くと後が続かなかつた。午後の三時頃まで待つたが返事がないので、またお内儀がやつて来た。s「もう一晩だけ！　屹度返事が来る筈になつてるんですから……」s　私は袷も脱ぎ、綿入一枚へ宿の褞袍を着て、質入れを頼むと十円借りて来た。それで今明晩の宿料を払つた。そしてまた電報を打つた。晩酌の時の辻占は、花の方に誠があればいつか鳥だつて来て啼くだらうと云つた意味のやはり心細いものであつた。s　三日目は朝から曇つた寒い日であつた。いよ／＼明朝こそは否応なしに出なければならないのだ。午後の三時頃まで待つたがやはり何の信りもなかつた。今日のうちに警察の保護を願つて電話をかけて貰はうかとも思つたが、その前にもう一度内田に頼んで見ようと思つて、これが最後の財産の万年筆を懐ろにして出かけて行つた。警察署は宿から五六軒離れてゐた。そこの、これも鉱山の寄附だと云ふ銅で出来た門や柵を眺めながら、内田との結果で今にもそこをくぐらねばならぬことを考へて、綿入れ一枚の自分の姿がさすがに惨めに顧られた。s「まだ居たのか？……たうとう君は兄さんに借りたさうだね。どこまで押しが太いんだか、おつ魂消た話だよ」と彼は例の調子で、店さきで私の風体をじろ／＼視ながら、冷笑を浮べて云つた。s「なあに大したことぢやないさ。普通のことだよ」と、私も相手を冷笑の気持で云つた。s「君等には普通のことか知れないが、吾々の眼から見てはまるで無茶だね。そんな非常識な人間の相手は出来ないよ。なぜ東京へ帰らないんだ。愚図々々してゐてはもつとひどいことになるんだと云ふことがわからないのかねえ……」s「わからないね。それに斯んな態で東京へも帰られはしないよ」s「今どこに居るんだ？」s「Ｍ屋に居る。……それで」と云つて、私は今電報を待つてる事情を述べ、万年筆を提供するから五円貨して呉れと云つた。s「今夜にも屹度来るんだよ。金の来る来ないが別としても、返事だけは屹度来る筈なんだからな。何しろ手紙を出してる間が無かつたんで、電報でばかし居所を云つてやつてあるんで、そんなことで行違ひが出来てるのかも知れないが、しかし屹度今夜にも来ると思ふから……」s「Ｍ屋の勘定が幾ら位ゐになつてゐるんだ？」s「十円ばかし……」s「それではその十円と汽車賃だけあると東京へ帰れるんだね？」s「まあまあさうだな」s「それでは万年筆をよこせ。あとはＭ屋の方は俺が引受けるから、すぐ東京へ帰るんだ。Ｓ閣の方を早く片附けて貰はないと俺が迷惑するからな」s「そりや帰るには帰るけれど、今まで待つたんだからな、明日まで待つて見る。宿料も明日までは払つてあるんだから」s「いや今日すぐこれから発つんでなくつちやご免だよ」s「ぢや仕方が無い、発つてもいゝ」s「それでは今すぐ後から行くから君はさきに帰つてゐ給へ」s　斯う云はれて私は宿に帰つてゐると、彼は間もなくやつて来たが、また二言三言云ひ合つてるうちに、私でさへ来るか来ないか疑つてゐる為替の受取の委任状を書けとか、何日までにＳ閣の払ひの金を送らないと品物を勝手に処分してもいゝと云ふ証書を書けとか、面倒臭いことを云ひ出したので、癪に障る気もなくつい「そんな厭なことばかし云ふんだつたら、いゝから帰つて呉れ。万年筆を置いて帰つて呉れ」と云ひ出した。s「なあんだ、人の忙しいところを引張り出して来やがつて。帰るとも。しかし後でどんなことになつたつて俺はもう知らんぞ」s「あゝいゝとも。帰つて呉れ」と、私も今度は幾らか痛快だつた気がして、云ひ放つた。s　夕方から霙混りの雨になつた。晩酌の時の辻占は「逢ふての帰りか逢はずの行きか、寒い月夜のかとう節」と云つたものであつた。考へて見たが今度は判断がつかなくなつた。いよ／＼明日は警察の厄介になるか、万年筆眼鏡兵古帯古帽子など屑屋に売払つて木賃宿へ行き改めて手紙を出すか、その二つの手段ほかないと思つた。それにしても弟から何の信りもないと云ふことが不審であつた。内田も居ることだし、いかに何でもまさか斯んな目に会つてることゝは思ふまいから、それで放つてあるのか、それとも勤め先きの用事で留守にでもして細君が途方に暮れてゐるのか、さうでもなければ何とか信りがある筈なのだが、やはりもつと底まで落込めとの神の戒めかとも思はれた。警官との応待、留置場で慄えてゐる姿、木賃宿で煎餅蒲団にくるまつてゐる光景など想像された。それも、そんな世界も死んだ従兄も一度は通つたのだと思ふと、満更親しみのない場所ではない気がされて、従兄のことが新らしく思ひ出されたりした。それにしても生憎の雨のことが気になり出した。雪にでもなつてゐたら敵はないと思ひながら寝床に就いたが、翌朝起きて見ると空はカラリと霽れあがつて、日が暖かく窓に射してゐたので、私は兎に角今日の天候に感謝した。そして遅い朝飯を喰べて、午後の二時頃までと決心を極めて、机の上の原稿紙を風呂敷につゝみ、静座をして心を落付けてゐた。s　が一時近い頃であつた、女中が廊下を駈けて来て、「来ましたよ！」と云つて電報為替の封筒を持つて這入つて来た。来たのが不思議だと云つた顔して私の顔を視た。s「幾ら来たの？」と、女中は田舎者の馴れ／＼しさで云つた。s「二十円と云つてやつたんぢやないか」と、私も嬉しさを隠して当然のことのやうに云つた。s　早速質受けを頼んだ。あとに十円残る勘定である。昨日内田に断つてよかつたと思つた。私はこの金を宿に渡して、東京の本屋と交渉を始めようかとも思つて見た。この宿の人達は私の気に入つてゐた。私はやはりこの宿で原稿を書きあげて帰らうかとも思つた。このまゝ空手で帰るのが如何にも残念に思はれ、またこゝを出てどこに落付けると云ふ当もない気がした。が一方またこれ以上こゝに踏み止まると云ふことは、少し駄々張り過ぎるやうな気もされた。s「どうしたものでせう、僕その金を渡して置いて、その間に別なところから金を取寄せて仕事を片附けて帰りたい気もするんですがねえ？」と、お内儀に相談的に云つて見た。s「さうですねえ、しかし何でせう、斯う云ふことの後ですからねえ、却つてお気持よくお発ちになつた方がいゝでせうが」と、お内儀も穏かな調子で云つた。s「さうですね。ではやつぱし発つことにしませう」s　私も斯う云つて、気持よくそのＭ屋を出た。s　　　　　五s　一時幾らの汽車で助川を発つたのであつたが、ふと思ひついて、かなり躊躇されたのであつたが、途中のＡ駅で下りた。そこには私には未見の人ではあるがＳ氏と云ふ有名な作家が別荘生活をしてゐる。私はその人を訪ねて、事情を話してどこか宿屋を紹介して貰はうと思つたのだ。余りに残念でもあり、弟夫婦に会はせる顔もない気がされるのだ。停車場前に俥がゐないので、私は道を訊ねて歩るいて行つた。五時近くで寒い風が吹いてゐた。寂れた感じの町であつた。四五町も行つて、教へられた火の見櫓の下から右に細い路を曲つて畠へ出て、ぬかるみの路を二三町来てまた右に岐れて沼の方へとだら／＼と下りて行つたが、すぐそこの百姓家の上の方にペンキ塗の小さな建物があるので、多分それだらうと思つて垣根の廻りを一廻りしたが、門らしいものがなく、人の住んでるらしい気配もないので、また畠の中の路に出て、それから小学校の建物にぶつかつたり、やう／＼一人の百姓に会つて、あれがさうだと茅葺屋根の家を教へられて麦畑の中を行つて見ると違つた人の名札であり、それから諦めて引返しかけると、他所行きの身装をした百姓の内儀さんらしい女に会つて、東京の人の別荘ならもつと先だと教へられ、今度こそはと松林の中など通つて行つて見ると、新らしい建物の玄関が締つてゐて門内には下駄の跡もないので、それでは東京へ引揚げてゐるのだらうと引返しかけたが念の為めに門前の百姓家に声をかけて訊いて見ると、さつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて沼の畔に出るのだと教へられた。s「Ｓさんは此頃お見えになつてるやうですか？」と、私はその爺さんに訊いた。s「二三日前にお見かけしましたが、多分居りますでせう」s　もうすつかり暮色が立こめてゐた。私はまた引返して麦畑の中を通つてさつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて行つたが、かなりの大きさらしい沼を前にして、一軒の百姓家に並んでＳ氏の質素な建物の別荘があつた。斯うしてやう／＼のことで尋ね当てたが、勇気が挫けて、しばらく玄関の外に立つてゐたが、思ひ切つて声をかけた。すると年増の女中らしい人が出て来て、s「東京へ行つてゝお留守ですが、明日は帰る筈です」と云つた。s「さうですか。では失礼しました。……私はＫと云ふ者ですが」s「Ｋさん……？」s「さうです。実は初めてあがつた者ですが、……失礼しました」s　私は斯う云つて、名刺も置かず逃げるやうにあわてゝ引返して、ホツと太息を吐いた。留守でよかつたと思つた。斯うした行動が耻ぢられた。が思ひ立つたことは兎に角一度はぶつかつて見なければ気の済まない、抑制を知らない自分の性質を知つてゐる私は、これも仕方がない、これで遺憾なく失敗して東京へ帰れるのだと思ふと、心が慰められる気がした。そして駈けるやうに暗いぬかるみの路を急いだが、やつぱし最初に見たペンキ塗りの家の方へ出て来た。ぐる／＼と円を描くやうにして、狐につまゝれた人間のやうにそこら中を歩るいてゐた訳である。s　弟のところに着いたのは九時過ぎであつた。彼は遅く帰つて来て今ご飯を済ましたばかりだと云つて、疲れた顔をしてゐた。s「いや、とんだ目に会つて来た」と、私は無頓着な調子で云つたが、心から弟夫婦に申訳ない気がした。s　最初の電報は何枚かの附箋がついて夜遅く配達になつてゐた。弟はその翌日の昼頃電報為替を出したので、無論遅くもその日の中には配達になるものと思つて、別に私の方へは電報も打たなかつたのであつた。それがその翌日の昼頃私の手に入つたのであつた。s「何しろ失敗だつた」と、私達はそれから酒を飲み出したが、私は斯う繰返すほかなかつた。s「こつちではまさかそんなことになつてることゝは思はないし、多分どこかへ飲みにでも行つて、その金まで内田さんに立替へて貰ふ訳に行かなくて電報でも打つたんだらう位ゐに思つてゐたので、大したことに考へてゐなかつたのですよ。それに、やつぱし内田さんにしてもまるつきり商売が違ふんだから、それだけの理解もつかない訳で、どん／＼勘定が登つてはと心配し出したのも無理もないでせうよ」s「いや何しろ大失敗だつた。やつぱし鎌倉を出て来ない方がよかつたかな。それが、今度こそは屹度書けると思つたものだからな、実際金の問題ばかしでなく、あの原稿が気になつて仕様がないもんだからね、ほんとに癪に障るから明日にでも本屋に交渉して金が出来たら、またどこかへ出かけようとも思つてゐる」s「もう止した方がいゝでせうよ。金が出来たらばやつぱしお寺へ帰る方がいゝと思ふがなあ、Ｆちやんもどんなに心配してるか」s「ほんとにねえ、Ｆちやんが気の毒ですわ」と、気の弱い細君は眼をうるませて云つた。s「Ｆには会ひたい。もう小遣ひも無くなつてるだらう」と、私にもＦのことばかしは気がゝりであつた。s　　　　　六s　二三日経つて、私は鎌倉八幡前の宿屋から使ひをやつて、Ｆを呼んだ。仕出し屋の娘も一緒に来たので三人で晩飯を喰べた。日が暮れるとＦだけさきに帰つて行つた。「お前も一緒に帰つて呉れよ」と云つたが娘は聴かなかつた。s「Ｆさんあなたそれではさきに帰つてゝ下さいね。わたしどうしてもお父さんを伴れて帰りますからね。それでないとわたしうちへ帰つて叱られるんですもの」娘はＦを送り出しながら斯う云つた。s「そんなこと云つたつて駄目だよ。金どころかこの通り外套も時計も取られて来た始末で、兎に角もう一度方面を変へて出かけて来る。そして今度こそは屹度一週間位ゐで書きあげて金を持つて帰つて来るから、うちへ帰つてさう云つて呉れ」s「困るわ、そんなことでは。うちではたいへん怒つてるんだから。Ｆさん一人置いといてもう二十日にもなるのに何のたよりも無いつて、今日もポン／＼怒つてゐたところなんだから、どうしてもあなたに来ていたゞいて極りをつけて貰ひたいと云つてよこしたんですから、わたし一人では帰らりやしないわ」と娘は泣き出しさうな顔して云つた。s「だからさ、頼む。金が無いんだからね、寺へ帰つたつてまた毎日のやうに怒つて来られたんでは仕事は出来ないし、結局また飛び出さなければならないことになるだらう。さうなると益々困るばかしだ。お前のとこだつてそれだけ迷惑が大きくなる訳だからね。それにどうしてもこの原稿だけは今度片附けて了ひたい。これさへ片附けると、どんな方法でも講じて金を拵へて帰るからね、もう一度一週間か十日ばかしの間我慢して呉れつて、お前が帰つてさう云つて頼んで呉れよ。ね、いゝだらう？」私は斯う繰返したが、娘は承知しなかつた。s「そんならいゝわ、わたしどこまでもついて行くから。そしてお金の出来る間待つてゐるから」と、娘は私が相当に金の用意がしてあると思つたらしく、離れた小さな眼に剛情な色を見せて云ひ出した。s「そんならさうしなさい。しかし僕はこれから御殿場の方へ行くつもりなんだぜ。それでもいゝかね？」s「よござんすわ。うちでもさう云つてよこしたんですから、構はないわ」s　その晩は泊つて明朝発つつもりだつたのだが、相手になつてるのがうるさくなつて、私はかなり酔つてもゐて大儀だつたが、宿の勘定を済まして外へ出た。斯うは云ひ張るものゝまさか娘は汽車までついて来るやうなこともあるまいと私はたかをくゝつて歩るきながら冗談など云ひかけたが、娘の様子が真気らしくもあるので、私は少し怖くなりかけた。東京行きの汽車が間もなくやつて来た。汽車の音を聞きながら、s「ほんとに行く気なんか？」と、私は念を押さずにゐられなかつた。s「ほんとですとも。あなたが帰つて下さらないんですもの……」と、娘は泣き出しさうな顔しながらも、思ひ詰めた眼付を見せて云つた。s「ぢやあ二枚買ふよ」s「いゝわ、汽車賃位ゐはわたしのとこにもありますから」s　私はまたも狐につまゝれたやうな気持で、一枚を娘に渡して改札口を出て汽車に乗り、向ひ合つて腰掛に座つた。娘は紡績に汚れた銘仙の羽織を着た平常の身装であつた。「いや大船まで行つたら、下りると云ひ出すだらう。しかし下りないとなると困つたことだぞ」と、汽車が動き出すと私も不安になつた。ほんとにあのいつこく者の親父にどこまでもついて行けと云ひつけられて来たのかも知れないと思ふと、不憫にもなり、またこの娘一人を頼りにしてゐるＦが娘の帰りを待つてるだらうと思ふと、Ｆが可哀相にもなつた。「ほんとに大船で下りないやうだつたら俺も帰らうか知ら。浮浪ももう沢山ぢやないか」と云ふ気もされたが、しかし構やしないと云ふ気にもなつた。自然に揺れ止むまで揺られてゐるか――と、自分と糞度胸を煽る気にもなつた。s「大船で乗替へて向うへ着くと十二時一寸過ぎになるんだが、宿屋で起きるか知ら？……」と私は話しかけたが、s「さうですかねえ」と、襟に頤を埋めて、黙りこくつた表情を動かさなかつた。s　やはり十四五年前富士登山の時、山を下りて腹を痛めて一週間ばかし滞在してゐたずつと町の奥の、古風なＦ屋と云ふ宿屋の落付いた室が思ひ出されたりした。s底本：「ふるさと文学館　第九巻【茨城】」ぎょうせいs　　　1995（平成7年）年3月15日初版発行s底本の親本：「葛西善蔵全集　2」津軽書房s　　　1975（昭和50）年発行s初出：「国本」s　　　1921（大正10）年5月号s※「由井ケ浜」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。s入力：林　幸雄s校正：小林繁雄s2002年12月3日作成s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。s●表記についてこのファイルはs3s勧告s11sにそった形式で作成されています。「くの字点」は「／＼」で表しました。父父金子ふみ子s　私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿町に住んでいた。s　父が何をしていたのか、むろん私は知らなかった。あとできいたところによると、父はその頃、寿警察署の刑事かなんかを勤めていたようである。s　私の思出からは、この頃のほんの少しの間だけが私の天国であったように思う。なぜなら、私は父に非常に可愛がられたことを覚えているから……。s　私はいつも父につれられて風呂に行った。毎夕私は、父の肩車に乗せられて父の頭に抱きついて銭湯の暖簾（のれん）をくぐった。床屋に行くときも父が必ず、私をつれて行ってくれた。父は私の傍につきっきりで、生え際や眉の剃方についてなにかと世話をやいていたが、それでもなお気に入らぬと本職の手から剃刀を取って自分で剃ってくれたりなんかした。私の衣類の柄の見立てなども父がしたようであったし、肩揚げや腰揚げのことまでも父が自分で指図して母に針をとらせたようであった。私が病気した時、枕元につきっきりで看護してくれたのもやはり父だった。父は間（ま）がな隙がな私の脈をとったり、額に手をあてたりして、注意を怠らなかった。そうした時、私は物をいう必要がなかった。父は私の眼差（まなざ）しから私の願いを知って、それをみたしてくれたから。s　私に物を食べさせる時も、父は決して迂闊には与えなかった。肉は食べやすいように小さくむしり魚は小骨一つ残さず取りさり、ご飯やお湯は必ず自分の舌で味って見て、熱すぎれば根気よくさましてからくれるのだった。つまり、他の家庭なら母親がしてくれることを、私はみな父によってされていたのである。s　今から考えて見て、むろん私の家庭は裕福であったとは思われない。しかし人生に対する私の最初の印象は、決して不快なものではなかった。思うにその頃の私の家庭も、かなり貧しい、欠乏がちの生活をしていたのであろう。ただ、なんとかいう氏族の末流にあたる由緒ある家庭の長男に生れたと信じている私の父が、事実、その頃はまだかなり裕福に暮していた祖父のもとでわがままな若様風に育てられたところから、こうした貧窮の間にもなお、私をその昔のままの気位で育てたのに違いなかったのである。s　私の楽しい思い出はしかしこれだけで幕を閉じる。私はやがて、父が若い女を家へつれ込んだ事に気づいた。そしてその女と母とがしょっちゅういさかい［＃「いさかい」に傍点］をしたり罵（ののし）りあっているのを見た。しかも父はそのつど、女の肩をもって母を撲（なぐ）ったり蹴ったりするのを見なければならなかった。母は時たま家出した。そして、二、三日も帰って来ない事があった。その間私は父の友だちの家に預けられたのである。s　幼い私にとっては、それはかなり悲しいことであった。ことに母がいなくなった時などは一そうそうであった。けれどその女はいつとはなく私の家から姿をかくした。少くとも私の記憶にはなくなってしまっている。が、その代り私は、自分の家に父の姿を見ることもまた少なくなった。s　私は母につれられて父をある家へ――今から考えて見るとそれは女郎屋である――迎えに行ったことを覚えている。そして、父が寝巻き姿のまま起き上って来て、母を邪慳（じゃけん）に部屋の外へ突き出したことをも。でもたまには父は、夜更けた町を大きな声で歌をうたいながら帰って来ることもあった。そうしたとき母は従順に父の衣類を壁の釘にかけたりなんかしていたが、袂（たもと）の中からお菓子の空袋や蜜柑の皮などを取出して、恨めしそうに眺めながらいうのだった。s「まあ、こんなものたくさん。それだのに子どもに土産（みやげ）一つ買って来ないんだよ……」s　父はむろん、警察をやめていたのだ。ではこの頃彼は何をしていたのだろう。今に私はそれを知らない。ただ私は、いろんな荒くれた男がたくさん集まって来て一緒に酒を呑んだり、「はな」を引いたりしていたことや、母がいつも、そうした生活についてぶつぶつ呟き、父といさかい［＃「いさかい」に傍点］をしていたことを知っているばかりだ。s　おそらくこういう生活がたたったのであろう。父はやがて病気になった。そこでなんでも母の実家からの援助で入院したとかで、母はその附添いになり、私は母の実家に引きとられた。そして半年余り、私は実家の曾祖母や小さい叔母たちに背負われて過した。父母に別れたのにも拘らず、その幼い私は、この間わりあい幸福であったように思う。s　父が恢復すると、私はまた父の家に引きとられた。その時は私たちは海岸に住んでいた。それは父の病後の保養もあり、弱い私の健康のためでもあったのである。s　そこは横浜の磯子の海岸だった。私たちは一日じゅう潮水に浸ったり潮風に吹かれたりして暮した。そしてその時を境として、私の肉体は生れ変ったように健康になったということである。それは私を幸福にしたのだろうか、それとも、私を来るべき苦しみの運命に縛りつけるための、自然の悪戯（いたずら）であったのだろうか、私にはわからない。s　私達の健康が恢復すると、私たちはまた引越した。それは横浜の街はずれの、四方を田に囲まれた、十四五軒一叢（むら）のうちの一軒だった。そしてその家へ引越した冬のある雪の降る朝、私に初めての弟が生まれた。s　私が六つの年の秋頃だった――その間私は、私たちの家がむやみに引越したということだけしか覚えていない――私たちの家に、母の実家から母の妹が、だから私の叔母がやって来た。叔母は婦人病かなんか患っていたが、辺鄙な田舎では充分の治療が出来ないというので、私たちの家から病院に通うためだった。s　叔母はその頃二十二、三であったろう。顔立ちの整った、ちょっとこぎれいな娘だった。気立てもやさしく、する事なす事しっかりしていて、几帳面で、てきぱきした性質であった。だから人受けもよく、親たちにも愛せられていたようでもある。だが、いつの間にかこの叔母と私の父との仲が変になったようである。s　父はその頃、程近い海岸の倉庫に雇われて人夫の積荷下荷（おろしに）をノートにとる仕事をしていたが、例によってなにかと口実をつけては仕事を休んでいた。そんな風だから私の家の暮し向きのゆたかである筈はなく、そのためであろう、母と叔母とは内職に麻糸つなぎをしていた。毎日毎日、母はそうして繋いだ三つか四つの麻糸の塊（たま）を風呂敷に包んで、わずかな工賃を貰いに弟を背負っては出かけるのだった。s　ところが不思議なことに、母が出かけるとすぐ、父は必ず、自分の寝そべっている玄関脇の三畳の間へ叔母を呼び込むのであった。別にたいして話をしているようでもないのに、叔母はなかなかその部屋から出て来ないのが常だった。私はこまちゃくれた好奇心にそそられないわけには行かなかった。私はついにあるとき、そっと爪立ちをして、襖の引手の破目から中を覗いて見た……。s　だが、私は別にそれ程驚かなかった。なぜなら、こうした光景を見たのは今が初めてではなかったからである。私のもっと小さい時分から、父や母はだらしない場面をいくたびか私に見せた。二人はずいぶん不注意だったのだ。そのためかどうか、私はかなり早熟で、四つ位の年から性への興味を喚び覚まされていたように思う。s　母は火の消えたような女で、ひどく叱りもしなければひどく可愛がりもしない。が、父は叱る時にはかなりひどい叱り方をしたが、可愛がる時にはまた調子外れの可愛がり方をした。この二つの性格のいずれが子どもの心をより多く捉えたであろうか。小さい時には私はより多く父になついていた。父のために母がひどい目にあっているのを見なかったならばおそらく私はいつまでも父に親しんでいたろう。けれどいつの間にか私は父よりも母に親しんでいた。で、この頃は私は、どこへ行くにも母の袂にぶらさがってついて歩いていたが、叔母が来てからというもの、父は、私が母について出かけるのを妨げた。いろいろとすかして私を家にひきとめた。今から思うとそれは叔母に対する母の不安を取除かせて自分たちの行為をごまかすためであったに相違ない。なぜなら母が出かけるとすぐ、父は私に小遣銭を握らせて外に遊びに出したからである。いや、むしろ追い出したからである。私は別に小遣銭をねだったのではなかった。だのに、父はいつもよりはたくさんの小遣をくれて永く遊んで来いというのだった。しかも母が帰って来ると父は、母にこういって私のことを訴えるのだった。s「この子はひどい子だよ。わしの甘い事を知って、あんたが出かけるとすぐ、お小遣をせびって飛び出すんだからね」s　そのうちに年も暮になった。s　大晦日の晩のことを私は覚えている。母は弟をおぶって街に出かけた。父と叔母と私とは茶の間で炬燵にあたっていた。s　なんとはなしにしめっぽい［＃「しめっぽい」に傍点］じめじめした夜だった。いつにも似ず、父も叔母も暗い顔をしていた。そのうち父はうつぶせ［＃「うつぶせ」に傍点］にしていた顔をあげてしんみりとした調子でいった。s「どうしてわしの家はこうも運がわるいだろう。わしにはまだ運が向いて来ないんだね、来年はどうかなってくれればいいが……｣s　人には運というものがある。それが向いて来ないうちはどうにもならないものだ。これが迷信家の私の父の哲学であった。父がしょっちゅう［＃「しょっちゅう」に傍点］そんなことをいっているのを私は小さい時から知っている。s　二人は何かしきりに話し合っていたが、そのうち叔母は立ち上って押入れから櫛箱を出して来た。s「これにしましょうか」叔母はそのうちの一つの櫛を取って見まわしながらいった。「でも少し好すぎるわねえ。惜しい気がするわ」s　父は答えた。s「どうせ捨てるんだ。どんなものを捨ててはならんということはない。櫛でさえあれば……」s　叔母はそこで歯の折れた櫛を髪に挿して、頭から振り落す稽古をした。s「そんなにしっかり挿す必要はない。そっと前髪の上に載っけておけばいいんだ」と父はいった。s「うちの玄関口から出て前の空地を少し荒っぽく走ればすぐ落ちるよ」s　いわるるままに叔母はその折れた櫛を挿して出かけて行った。そしてものの五分とたたないうちに櫛を振落して叔母が帰って来た。s「それでよし、悪運が遁（に）げてしまった。来年からは運が向いて来る」s　父がこういって喜んでいるところへ、母が戻って来た。s　母が泣いている弟を背からおろして乳を呑ませている間に、叔母は買物の風呂敷包みを解いた。なんでも、切餅が二、三十切れと、魚の切身が七、八つ、小さい紙袋が三つ四つ、それから、赤い紙を貼った三銭か五銭かの羽子板が一枚、それだけがその中から出て来た。s　これが私たちの楽しいお正月を迎えるための準備だったのである。s　翌年のお正月に母の実家から叔父が遊びに来た。叔父が帰ると、すぐにまた祖母がやって来て叔母に一緒に帰れといった。けれど、叔母は帰らずに祖母だけが帰って行った。s　なんでもそれは、あとで人にきくところによると、正月に遊びに来た叔父は父と叔母とのことを知って、家に帰って話すと、祖母が心配して、お嫁にやるのだからとの理由でつれに来たのだそうである。s　だが、父はむろんそれを承知する筈がなく、かえって、叔母の病気がまだよくなっていないのに、今お嫁になどやると生命にもかかわるとおどかしたそうである。s「なに、それはいいんだよ。先方は金持ちなので、貰ったらすぐ医者にかけるという約束になっているんだから」s　祖母はこう答えたけれど、父は今度は、いつもの運命論をかつぎ出して、自分が不運続きのため叔母の着物をみな質に入れた、だからこのまま還すわけにはゆかぬとか、叔母は身体が弱いから百姓仕事はとても出来ない、自分もいつまでもこうしてはいないつもりだから、そのうちきっといい縁先を都会に見つけて、自分が親元となって縁づけるなど、いろいろの理窟をつけて還さなかったのだそうである。s　哀れな祖母よ、祖母はむろん父のこの言葉を信じなかったに相違ない。けれど、祖母は無智な田舎の百姓女である。この狡猾な都会ものの嘘八百に打勝つことがどうしても出来なかったのである。s　祖母は空しく帰って行った。父は厄介神を追っ払って安堵の胸をなでおろした事であろう。ひとり胸の苦しさを増したのは母であったに違いない。実際それからのちの私の家は始終ごたついていた。では叔母は？s　叔母とても決して晴やかな気持ちでいたわけではなかろう。叔母がときどき、二月も三月も家にいなくなったのを私は覚えている。そして、それはあとからきいたことではあるが、叔母が父を遁れてひとりこっそりと他人の家に奉公に行っていたのであった。が、そのたびに父は根気よく尋ねまわって、しまいにはとうとう探しあてて来るのであった。s　二度目に叔母がつれ戻されたとき、私たちはまた引越した。それは横浜の久保山で、五、六町奥に寺や火葬場を控えた坂の中程にあった。s　父は相変らず何もしていないようであったが、そのうちどうして金をつくって来たのかその坂を降りたとっつき［＃「とっつき」に傍点］の住吉町の通りに今一軒商店向きの家を借りた。父はその家で氷屋を始めたのだった。s　氷屋の仕事は叔母の役目だった。母と子供たちは山の家に残り、父は昼間だけそこに行って帳面をつけたり商売の監督をするのだといっていた。が、それはただ初めの間だけのことで、ほどなくめったに山の家には帰って来なくなった。つまりていよく私たち母子を、父と叔母との二人の生活から追ん出してしまったのである。s　私はその時もう七つになっていた。そして七つも一月生れなのでちょうど学齢に達していた。けれど無籍者の私は学校に行くことが出来なかった。s　無籍者！　この事については私はまだ何もいわなかった。だが、ここで私は一通りそれを説明しておかなければならない。s　なぜ私は無籍者であったのか。表面的の理由は母の籍がまだ父の戸籍面に入ってなかったからである。が、なぜ母の籍がそのままになっていたのか。それについてずっとのちに私が叔母からきいた事が一番本当の理由であったように思う。叔母の話したところによると、父は初めから母と生涯つれ添う気はなく、いい相手が見つかり次第母を捨てるつもりで、そのためわざと籍を入れなかったのだとの事である。ことによるとこれは、父が叔母の歓心を得るためのでたらめの告白であったかもしれない。ことによるとまた、父のいわゆる光輝ある佐伯家の妻として甲州の山奥の百姓娘なんか戸籍に入れてはならぬと考えたのかもしれない。とにかく、そうした関係から、私は七つになる今までも無籍者なのであった。s　母は父とつれ添うて八年もすぎた今日まで、入籍させられないでも黙っていた。けれど黙っていられないのは私だった。なぜだったか、それは私が学校にあがれなかったことからであった。s　私は小さい時から学問が好きであった。で、学校に行きたいとしきりにせがんだ。あまりに責められるので母は差し当たり私を母の私生児として届けようとした。が、見栄坊の父はそれを許さなかった。s「ばかな、私生児なんかの届が出せるものかい。私生児なんかじゃ一生頭が上らん」s　父はこういった。それでいて父は、私を自分の籍に入れて学校に通わせようと努めるでもなかった。学校に通わせないのはまだいい。では自分で仮名の一字でも教えてくれたか。父はそれもしない。そしてただ、終日酒を飲んでは花をひいて遊び暮したのだった。s　私は学齢に達した。けれど学校に行けない。s　のちに私はこういう意味のことを読んだ。そして、ああ、その時私はどんな感じをしたことであろう。曰く、s　明治の聖代になって、西洋諸国との交通が開かれた。眠れる国日本は急に目覚めて巨人のごとく歩み出した。一歩は優に半世紀を飛び越えた。s　明治の初年、教育令が発布されてから、いかなる草深い田舎にも小学校は建てられ、人の子はすべて、精神的に又肉体的に教育に堪え得ないような欠陥のない限り、男女を問わず満七歳の四月から、国家が強制的に義務教育を受けさせた。そして人民はこぞって文明の恩恵に浴した、と。s　だが無籍者の私はただその恩恵を文字の上で見せられただけだ。私は草深い田舎に生れなかった。帝都に近い横浜に住んでいた。私は人の子で、精神的にも肉体的にも別に欠陥はなかった。だのに私は学校に行くことが出来ない。s　小学校は出来た。中学校も女学校も専門学校も大学も学習院も出来た。ブルジョワのお嬢さんや坊ちゃんが洋服を着、靴を履いてその上自動車に乗ってさえその門を潜った。だがそれが何だ。それが私を少しでも幸福にしたか。s　私の家から半町ばかり上に私の遊び友だちが二人いた。二人とも私とおないどしの女の子で、二人は学校へあがった。海老茶の袴（はかま）をはいて、大きな赤いリボンを頭の横っちょに結びつけて、そうして小さい手をしっかりと握りあって、振りながら、歌いながら、毎朝前の坂道を降りて行った。それを私は、家の前の桜の木の根元にしゃがんで、どんなにうらやましい、そしてどんなに悲しい気持ちで眺めた事か。s　ああ、地上に学校というものさえなかったら、私はあんなにも泣かなくってすんだだろう。だが、そうすると、あの子供たちの上にああした悦びは見られなかったろう。s　むろん、その頃の私はまだ、あるゆる人の悦びは、他人の悲しみによってのみ支えられているということを知らなかったのだった。s　私は二人の友だちと一緒に学校に行きたかった。けれど行く事が出来なかった。私は本は読んでみたかった。字を書いてみたかった。けれど、父も母も一字だって私に教えてはくれなかった。父には誠意がなく、母には眼に一丁字もなかった。母が買物をして持って帰った包紙の新聞などをひろげて、私は、何を書いてあるのか知らないのに、ただ、自分の思うことをそれにあてはめて読んだものだった。s　その年の夏もおそらく半頃（なかばごろ）だったろう。父はある日、偶然、叔母の店から程遠くない同じ住吉町に一つの私立学校を見つけて来た。それは入籍する面倒のない、無籍のまま通学の出来る学校だったのだ。私はそこに通うことになった。s　学校といえば体裁はいいが、実は貧民窟の棟割長屋の六畳間だった。煤けた薄暗い部屋には、破れて腸（はらわた）を出した薄汚い畳が敷かれていた。その上にサッポロビールの空函が五つ六つ横倒しに並べられていた。それが子供たちの机だった。私のペンの揺籃（ようらん）だった。s　おっ師匠さん――子供たちはそう呼ばされていた――は女で、四十五、六でもあったろうか、総前髪の小さな丸髷（まるまげ）を結うて、垢じみた浴衣に縞の前掛けをあてていた。s　この結構な学校へ私は、風呂敷包みを背中にななめに縛りつけてもらって、山の上の家から叔母の店の前の往来を歩いて通った。たぶん私と同じような境遇におかれた子供たちであろう。十人余りのものが狭い路地のどぶ板を踏んで通って来るのであった。s　父は私をその私立学校に、貧民窟の裏長屋に通わせるようになってから、私に噛んで含めるようにいいきかせるのだった。s「ねえっ、いい子だからお前は、あすこのお師匠さんのところへ行ってることをうちに来る小父さんたちに話すんじゃないよ。それが他人（ひと）に知れるとお父さんが困るんだからね、いいかい」s　叔母の店は非常に繁昌したようである。がそれでいてすこしも儲（もう）けがなかったようである。いや儲けがあったのかしれないけれど、なにぶん父が毎日お酒を呑んだり、はな［＃「はな」に傍点］をひいたりしているのだからうまく行く筈はなかったのだろう。のみならず、父と叔母とはその頃、世間の噂にのぼるようなのぼせ方であったらしい。s　それでも叔母の家はまだよかった。困っていたのは私たち母と子であった。ある日の事である。私たちは何も食べるものがなかった。夕方になっても御飯粒一つなかった。そこで母は、私と弟とをつれて父を訪ねて行った。父はお友だちの家にいた。が、母がどんなに父に会いたいといっても父は出て来なかった。s　おそらく母はもう耐（こら）えきれなかったのだろう。いきなりその家の縁側から障子をあけて座敷に上った。明るいランプの下に、四、五人の男が車座に坐って花札をひいていた。s　母は憤（いきどお）りを爆発させた。s「ふん、おおかたこんな事だろうと思ってた！　うちにゃ米粒一つだってないのに、私だってこの子どもたちだって夕御飯も食べられないって始末だのに、よくもこんなにのびのびと酒を呑んだり花を引いたりしていられたもんだね……」s　父も腹立たしそうに血相を変えて立ち上った。そして母を縁から突き落とし、自分も跣足（はだし）のまま飛び降りて母になぐりかかってきた。もし居合わせた男たちが父を後ろから抱き止めて、母をすかしなだめ、父を部屋に連れ戻してくれなかったなら、憐れな母は父にどんな目に合わされたかもしれなかった。s　人々のおかげで母はなぐられなかった。その代り、米粒一つも鐚（びた）一文も与えられずに、私たちはその家をすごすごと立ち去らなければならなかった。s　悲しい思いを胸におさめながら私たちは黙々と坂道を上っていた。s「おいちょっと待て」s　父の声である。私たちは父が米代をもって来てくれたのだと思って急に明るい心になった。ところが実際はそうではなかった。何と残酷な、鬼みたような男で父はあったろう。s　立ち止まって救いを待っている私たちに近寄ると、父は大きな声でどなりたてた。s「とくの、よくもお前は人前で俺に恥をかかせたな。縁起でもない、おかげで俺はすっかり負けてしまった。覚えてろ！」s　父はもう片足の下駄を手に取っていた。そしてそれで母をなぐりつけた。その上、母の胸倉をつかんで、崖下につき落すと母を脅かした。夜だから見えないが、昼間はよくわかる、あの、灌木や荊（いばら）がからみあって繁っている高い崖下へである。s　弟は驚いて母の背中で泣きわめいた。私はおろおろしながら二人の周囲を廻ったり、父の袖を引いて止めたりしたが、そのうちふと［＃「ふと」に傍点］、そこから半町ばかり下の路傍の木戸の長屋に小山という父の友人のいることを憶い出した。おいおい泣きながら私はその家へ駈けこんだ。s「やっぱりそうだったのか……」とその家の主人は、食べかけていた夕飯の箸をほうり出して飛んで来てくれた。s　私立学校へ通い始めて間もなく盆が来た。おっ師匠さんは子どもに、白砂糖を二斤中元に持って来いといいつけた。おそらくこれがおっ師匠さんの受ける唯一の報酬だったのだろう。けれど私にはそれが出来なかった。生活の不如意のためでもあったろうが、家のごたごたは私の学校のことなどにかまってくれる余裕をも与えなかったためでもあろう。とにかくそんなわけで私は、片仮名の二、三十も覚えたか覚えないうちに、もうその学校からさえ遠ざからなければならなかった。叔母の店は夏の終りまで持ちこたえられなかった。二人はまた山の家へ引きあげて来た。家は一層ごたつき始めて、父と母とは三日にあげず喧嘩した。s　二人が争うとき私はいつも母に同情した。父に反感を持ちさえもした。そのために私は母と一緒になぐられもした。ある時などは、雨のどしゃぶる真夜中を、私は母と二人で、家の外に締め出されたりなどした。s　父と叔母とはあいかわらずむつまじかった。けれど、実家からはいつも叔母の帰宅を促して来た。そしてとうとう、叔母も帰るといい、父も帰すといい出した。母も私も明るい心になったのはいうまでもなかった。s　父はしかし、叔母を帰すについては、叔母をまさか裸では帰されないといった。そして、店をたたんだ金で、その頃十七、八円もする縮緬（ちりめん）の長襦袢（ながじゅばん）や帯や洋傘（こうもり）などを買ってやった。ちょうど私の小さい時に私の世話を一さい自分でしたように、父は叔母のそれらの買い物を一切自分でしてやった。以前、子に向けた心づかいが今は女に向けられたのである。s　もう秋だった。父は叔母のために、旅に立つ荷造りをし、私の家にあった一番上等の夜具までもその中に包みこんだ。s　母は弟をおぶって私と一緒に叔母を見送った。s「お嫁入り前のあんたを裸にして帰すなんてほんとにすまない、だけど、これも運がわるいんだとあきらめて……」s　母はいくたびかいくたびかこんなことを繰返して途々叔母に詫びた。その眼には涙さえ浮んでいた。s　私たちは途中まで送って帰って来た。停車場まで送って行った父は夕方になって帰って来た。s　ああなんという朗（ほが）らかな晩だったろう。子ども心にも私はほっと一安心した。静かな、静かな、平和な晩だ！！　けれど、けれど、やがて私たちは余りにも静かな生活を余儀なくされなければならなかった。なぜなら、すぐその翌日だったか四、五日たってからだったか、父もまた私たちの家から姿をかくしたからであった。s「ああ、くやしい。二人は私たちを捨てて駈け落ちしてしまったんだ」s　と母は歯を噛みしばっていった。s　胸に燃ゆる憤怨（ふんえん）の情を抱きながら、藁しべにでもすがりつきたい頼りない弱い心で、私たちはそれから、二人の在所（ありか）を探して歩いた。そしてとうとうある日、私たちの家から持って行った夜具を乾してある家を目あてに二人を見出すには見出したが、私たちはまた、例の下駄の鞭に見舞われただけで、何一つそこからは救いを得なかった。s底本：「日本の名随筆　99・哀」作品社s　　　1991（平成3）年1月25日第1刷発行s　　　1992（平成4）年5月25日第4刷発行s底本の親本：「何が私をこうさせたか」筑摩書房s　　　1984（昭和59）年2月s入力：渡邉　つよしs校正：門田　裕志sファイル作成：野口英司s2001年9月19日公開s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。木下杢太郎s海郷風物記海郷風物記木下杢太郎s　夕暮れがた汽船が小さな港に着く。s　點燈後程經た頃であるからして、船も人も周圍の自然も極めて蕭かである。その間に通ふ靜かな物音を聞いてゐると、かの少年時の薄玻璃の如くあえかなる情操の再び歸り來るのではないかと疑ふ。s　艀舟から本船に荷物を積み入るる人々の掛聲は殊に興が深い。s「やつとこ、さいやの、どつこいさあ。」s「やれこら、さよな――。」s　と、その「さよな」といふ所から、揃つた聲の調子が急に下つて行くのを聞くのは、眞に悲哀の極みである。諸ろの日本俗謠の暗潮をなす所の一種の哀調が、亦此裡に聞き出されるからである。s　強ひて形容すれば、銅青石の溶けてなせるが如き冷き冬の夜の空氣の内に――その空氣は漁村の點々たる燈火をもにじませ、將た船の鐘の徒らに風に驚く響にさへ朗かなる金屬の音を含ませる程にも濃いのであるが――そのうちに、かの「やれこらさよな、やこらさのおさあ。」を聞かされるのであるから。s　それからまた船が出て行くのである。人と自然との靜かなる生活の間を、黒い大きな船が悠然として悲しき汽笛を後に殘して航行を始める。s　そのあとに、まだ耳鳴りのやうに殘つて居る謠の聲や人のさけびは、正に古酒「」の香ひにも、較ぶれは較ぶべきものであらう。（明治四十三年十二月二十九日伊豆伊東に於て）s　海濱に於ける人間の生活とそこの自然との交渉ほど、予等の興味を引く自然觀相の對象は蓋し鮮い。鹿兒島は久しく他郷と交通を謝絶して居たから其風物は甚だ珍らしいさうであるが、予は未だ漫遊の機を得ない。其他天草、島原等の九州の諸港でも、紀州沿岸の江浦でも、近く房州、伊豆等に於ても、天候や地勢や生業等の諸條件を稍等しくして居るものの間には、亦必ず共通な人間生活及び其表現を見出し得るのである。ゲエテが古い伊太利亞紀行を讀んでも、殊に其エネチア、ナポリ、シシリヤ等の諸篇は同樣の興味からして予等の膝を打たしめるのである。s　温和なる氣侯が彼等を怠惰にする。荒海の力と音とに對する爭が彼等の筋肉を強大にし、其音聲を太く、語調を暴くする。それにも拘らず、常に遠く人里から離れて居る彼等の生活が夫婦間の愛情を濃かにする。誰かあの岩疊の體格、獰猛な顏容の裡に此種のsを豫期しよう。が、同時に、海濱に於ける作業に必然要求せらるる共同生活が、仕事の責任者を無くすと同時に仲間同志の思遣りを深くすると云ふ事は確かである。年寄つた漁夫は小さい子供等を始終叱責して居るけれども、其粗暴な言葉の裏にはきつと快活な諧謔を潜ませて置くのである。この共同生活が實際また、かの渡り鳥や旅行者の心安さのやうに、生活と云ふものを如何にも愉快さうなものにして居る。そして又青い――青い彼方から雲のやうに湧いて來る他郷の船舶、新しい貨物、知らない人々や、その方言乃至珍らしい物語や時花歌を迎へるのに慣れて居ると云ふ事が、彼等の心を非常にsにし、且容易に妄誕を信ぜしむるに至る。そこで「海坊主」「船幽靈」の話が生れる。また荒れた日に水平線に立つ水柱を「龍」といふ奇怪な生物の力に歸せねば止まぬのである。將又この羅曼底が實生活にも働くのである。で彼等は祭典を華美にする。其儀式を莊嚴にする。例へば、偶然海岸に漂着した櫛をも――それが橘姫の遺愛の櫛だなどとして――神社に祀る。神主はしかつめらしくそれに和田津海の神社と云ふ名を命ずる。案内記を書く人は古老の傳説を事可笑しく誇張して、櫛漂着一件の考證をする。けれども無學の漁夫や其息子たちはそんな事は知らないから、此神社を龍宮さんと呼びはせる。それも音を訛つて「りゆうごんさん」にしてしまふのである。然しまたそれからして、反つてこの神社の正體が橘姫の櫛でも、浦島の玉手箱でもなく、「海」だ――限も知らぬ海だ――彼等素朴なる漁夫に（人間の心の約束上、自然）さう解釋せられて、形象を賦せられたる所の海の精靈だと云ふ事を暴露するに至るのである。そんな事は奈何でも可い。もうかの捕捉し難き海の精靈も、ソロモンの壺のやうなこの小さい祠の中に藏められれば、既に彼等の實際生活の役に立たねばならぬ。新しい船の新造下しの時には、港頭を漕いで見せびらかす爲めの口實に、拜み祭られるといふ半間な役をするのである。實は、そのあとで酒を飮む爲めに、日頃素振の氣に食わぬ若い娘を海に入れる爲めに――其前の因縁ありげな儀式として彼等はこれらの海神の祠を拜するに過ぎないのだ。この新造下しの儀式は今は廢つた。海に入れられて水でびしよびしよに濡れた若い娘たちの痛ましい笑顔は、儀式といふ崇高な藝術的活動の裏にかくれたsであつたに相違ない。而して又一方には此種の羅曼底と結合して、變り易き天候に支配せらるる其日其日の生活が著しく彼等を現世的にし、而して冬も尚鮮かなる雜木山の代赭、海の緑、橘の實の黄色――是等の自然の色彩が彼等の心、服裝、實用的工藝品にけばけばしい原始的のsを賦與する。――誰でも海郷に來てあの「萬祝」と云ふ着物、船の裝飾などを見たならば直ぐに同じ感想を懷くに相違ない。s　今日の午過ぎ、またぶらぶらと海岸を漫歩したのである。すると正月の事であるからして、船は何れも陸に揚げてあつて、胴の間には竹、松、橙を飾り、艫には幟を立ててある。小さい船のは、白か赤かの布である。少し高い所から見ると、殊に赤い旗は、土耳古玉のやうに眞青な海面の前に、強くにゆつと浮び出て、いかにも鮮かである。自然といふ印象派畫工の目もさむるやうな此筆觸の手際には實際感心せしめられるのである。またやや大きな船になると、幟の意匠も亦複雜になる。或ひは長方形の眞岡の布の上端に、横に藍の條を引く。その下に、それに并べて赤の條を引く。次には黒の紋所である。太い圓の輪を染める。輪の中に蔦を入れる。而して布の下端は水淺黄の波模樣である。或は黒の條、赤の條、丸に澤瀉の紋、その下の波の模樣に簑龜を斑らに染め拔いたのもある。或は波の代りに、斜めに引かれたる赤條で旗の下端を三角に仕切り、そこを黒く染めて白の井桁を拔いたのもある。紋は上り藤で中に大の字がはひる。紋と赤條との中に横に「正徳丸」と染め出される。一體船の名も、漁夫の狹い聯想作用に制限せられるので、また土地の關係、日常の簡單な精神生活を暗示する處が面白い。「不動丸」「天神丸」「妙法丸」などは日頃信心する神佛に因縁のある名である。「青峰丸」「清通丸」に至つては唯彼等の語彙の貧しい事を示すに止る。而して彼等の色彩に對する要求は之を以つて滿足せずに、汽船宿の搏風を赤く塗り、和洋折衷の鰹船の舷を群青で飾るのである。s　東京では冬は、市街は澁い銀鼠と白茶の配調が色彩の主調である。縱令天保の法度が出なかつたとした所で、よしまたその爲めに表を質素にし裏を贅澤にすると云ふ樣な傾向にならなかつたとした所で、派手な冬の衣裳は周圍と調和せぬのである。故に一頃流行つた小豆色、活色の羽織は、動物園の中の暗い水族館の金魚を思ひ出させたのである。江戸が澁い趣味を東京に殘したのも故ある事だ。またゲエテはナポリ人が馬車を赤くし、馬首に旗を飾り、色斑らな帽子を被るのは趣味の野蠻なのではなくて、明るい周圍の爲めだと云つてゐる。同じ意味でこの土地に青い船が出來、あの「萬祝」の着物が出來るのである。s　自然でさへも輕佻である。一日の内に海や空が幾度色を變へるか知れはしない。遠く、水平線上に相模の大山の一帶が浮んで居る。予の見たのは夕方であつた。緑の水の上の、入日を受けた大山の影繪は眞に一個の乾闥婆城であつた。その赤と云つても單調の赤ではない。燈火に照らされた鮮かな自然銅鑛の赤である。而してその日かげの紫は、正に濁つた螢石の紫である。其間にも殊に光つた岬影の一部は、あかあかと熱せられたる電氣暖爐の銅板より外に比較の出來ない光澤に閃めいて居た。遠く、こなたの渚からその不思議な陸影を眺めて居ると、いつか心は亞刺比亞奇話のあやしい情調の國へ引き入れられるやうに思はれる。s「濱の眞砂に文かけばsまた波が來て消しゆきぬ。sあはれはるばる我おもひs遠き岬に入日する」s　一條の微かなる浪の高まりがあるかなきかのやうに、その銅城のほとりから離れて來て、段々と色は濃く、形は明かになつて――人に擬して云ふならば、或諧謔を思ひついた人が、遠くから話相手と目指す人に笑ひながら近くやうに――この波の高まりも段々と渚に近寄り、遂に笑の破裂するやうに、「ざ、ざ、ざ、ざ、ざ……」とさわがしく黒く囁やき、かくて沸騰せる波頭は「ざつくろん――」と長く引いて碎ける。青い水の築牆は全く白い音の泡となつてしまふのである。それから水は、磨かれた蛇紋石の樣な滑かな渚をすべり、「ざざああ――るろ、るろ、るろ――」といふやうな優しい、然し彈性の抵抗ある音と言葉とを立てながら、さうしてまた靜かに「すら、すら、すら……」と引いて行くのである。もうその時は第二の波が高まつて、既に波頭が散り初めた時であつた。――かうして波は厭かず、やさしいいたづらを續ける。で、その引いてゆく波の一すぢ、泡の一つ一つにまで、折しも西山に近いたる夕日の影が斜めに當つて、かくてシヤボン玉の色のやうな美しい夢の模樣を現はすのである。s　かくの如き波の主なる運動の間に、また長い小説の話（エピソオド）に比す可き小さい葛藤がある。殊に渚を引く波の歸るもの、ゆくものの間に、かの蟻の挨拶のやうな表情、輕ろき優しきさんざめきがあるのである。s　靜かに心を靜めて、この波のなす曲節を聞いて居ると、かの漁夫の集會の時に歌ふ「船唄」の調子を思ひ出さずには居られなかつた。彼がこれを生んだと云つては餘りに牽強ではある。然し海や波、その心持がこの唄の曲節と深い關係のないと云ふ事は全く考へられない。その唄のゆるやかに流れてゆく時、突然音頭を取る人の高い轉向に驚かされる事がある。それは突然大きい波が碎けた時の心持によく似て居る。またその唄の下に高い問答のやうな調子が長く續く所のあるのは、濱邊の聲高の生活が靜かな夕波の曲節を崩すのによく似て居るのである。s　この時も、予は亦突然艀舟を陸にあげる人々の叫聲に驚かされた。船の陰で姿は見えないけれども、其聲からして、如何に人々が船を背負ふやうに腰をかがめて居るか、如何に綱を引いて居るかが想像せられた。「よう、よう、よう、よいや、よう、よう、……」といふ懸聲がsに聞えるのである。s　――その間に、僅か三十分許りしか經たぬのに、もう空も海も全く更衣をしてしまつた。自然銅のやうな赤も消えて、一面に日を受けた菫の花の青色でぎざぎざと大山一帶のsが平面的に現出した。殊に空は、それも水平線に近き所は、ちやうど試驗管の底に澱むヨオドの如く、重い鬱憂な紫に淀んでしまつたのであつた。s　その時に、一つの汽船の陰がかすかなる陸影の裾に現はれた。s　――ぶらぶらと川口に出たら、ごみを燒いたあとに、こんもりと灰が積んであつた。阿夫利神社神璽の印をおした紙、南無普賢大荒神守、火不能燒、水不能漂、とかいた護符などが散らばつて居た。是等は海濱に棲む、「心」を持つた自然が作りだす所の一種の分泌物である。s　恰も遠き汽船に第一の汽笛を鳴らしたのである。（正月二日）s　今日は午後偶然に、例の萬祝を著た人々のぞろぞろと街頭を通り過ぐるのに遭遇した。この二十人ばかりの人の中には子供も大分雜じつて居た。おとなの人々は、多くはその上に黒い紋付を羽織つて居たが、兔に角、七子か羽二重の紋付の裾から紅緑の彩色の高砂の尉姥、三番叟、龜に乘る人、「大漁」の扇を持つ人、また龍宮、寶船、七福神などの模樣の出て居る所は、また南國の海邊に似付かはしい「眞面目」の服裝であると頷かしめる。s　是等の老少不同の雜然たる人の群がこの一樣の服裝で統一されてゐると云ふsはちやうど若沖の群鷄圖と同じ意味で著しく視官に媚びるけれども、同時に人をして彼等をsに觀察せしむるに至るのである。それ故いよいよ藝術的である。s　遠くには海の青が見え、四周には冬の田圃、村里の傳説を有する山と森、生活しつつある市街の半面がある。そして街道の兩側には川、芝居小屋、料理屋、果物屋がある。その中を歩いてゆくこの二三十人の人の群を想像して見たまへ。s　殊に子供の腰揚げが深く、辨財天、毘沙門天、布袋、福祿壽の腰から下が青縞の地にかくれて、裾と足とだけが見えるのは興が深い。s　夜は水上の、燈あかるき船から船唄が聞えてきた。若し他郷の人の、此聲に慣れないものが聞いたならば、恐らくあれが人の聲の集りであるとは信じまい。實際それ程よく海の波の響に似かようて居るのである。s　二日の朝乘り初めと云つて、夜の暗いのに船を沖に出して、釣絲を繋がぬ竿で鰹を釣るまねをするさうである。その話は幾年も幾年も聞いたから、もとはさうしたのであらう。近頃は唯だ陸の船の上で節を祝ふに過ぎない。（正月三日［＃「三日」は底本では「四日」］）s　正月四日は坊さまの年頭廻りの日である。漁夫の萬祝とは違つたにぎやかな服裝が街のあちこちで見られた。s　始終動いて居て、而かも永久に不變なる大蒼海を後景として、金襴の法衣の僧侶の群を見るのは非常に愉快である。更らに兩者の間に町の歴史を結び付けて考へると、一味の――長篇小説の最終の頁を忍ばせる趣が出る。s　無知なりし昔の時代は幸福であつた。科學的知識を以つて教義を議し、阿頼耶識を檢めようとするやうな時代は既に末世の事である。加持力の儀典、行列から離れて、授戒會の儀式を離れて、而かも尚蒸々たる衆生は、神人を忘るる底の莊嚴なる醉を、そも何れの經典から搜し出さうとする。s　日の暮れしがた、川に臨んだ浴室で晩鐘の聲を聞いた。官能の快感と冥想の甘味とが薄明と温泉の湯氣とを充たせる小さい室の中に溶けて行くのである。（正月四日）s　夕方二階の欄干から海を見下ろして居ると、海岸に連つた家々の屋根の上を汽船の檣だけが通つて居る所であつた。家が途切れた時大きい船の腹が見えたが、ちやうど強い夕日に照り付けられたのであるから、黒のペンキは怪しい褐色に光り、殊に赤い窓の扉はきらきらと事々しく輝いて居た。甲板上の船客も亦一々分明に見わけられたが、知らぬ人の旅ながら、出て行くものを見送るのは何となく心さびしい。少時の間に船は遠くなるのである。さうすると、とろりとろりと最後の笛を鳴らす。水平に近く頃には、ちやうど八月の青草の中に一つ開いた落花生の花のやうな黄ろい燈をともしたのである。s　千七百八十七年三月二日ナポリにてとある日附のゲエテが伊太利亞紀行の中にも同じ心持が書いてある。「海及び船舶も此地に於ては亦全く別種の面目を呈して居る。」といふ當り前の書き出しから、前日強い北風に送られてパレルモに向けて航行したる弗列戛艇の事を報じ、「かの風なれば今度の航海には三十六時間以上はかからないだらう」と推察を下したりなどして居る。「かの艦の滿々と風を孕んだ帆がカプリとミネルの岬との間を走り、遂に何方ともなく姿をかくしたのを見送つた時、予の心は限りもなき憧憬の念に滿された。若しも自分の戀人がああして遠く去つてゆくのを見たならば、きつと人はこがれ死に死んでしまふに相違ない。」と書いてある。今も昔も人の心に變りはないと思はれる。s　予が窓下に、昔讀んだ事があるといふ記憶を唯一のたよりに、かの紀行の内からやうやうこの頁を搜しあてた頃には、既に海は暗く、向きの船影は既に見る可からざるに至つた。旅行記の面白さは、例へば陸游が入蜀記の土地の景物を舒し舊址を弔ふ文などの末に、晩に大風となり船人纜を増すとか、夜雨るとか、蚊が多くて、始めて復たを設けたとかいふ短い言葉で、唯時の關係より外には全く聯絡のない事を書いてあるので、却つて躍然と旅中の趣が目前に彷彿たるに至ると同じく、ゲエテの上記の感傷的な記述の直ぐ次の行には、今は巽風が出たから、是れが強くなつたらモロの邊の波は一入興深い事だらうなどと書いてあるから、如何にもこの詩人の多情な性格と南歐の風物とがよく見えるのである。s　閑話休題、松浦佐用姫、鬼界が島の俊寛などの物語にも同じ心持がはひつて居るが、行くと來るとの別れこそあれ、「沖の暗いのに白帆が見える。」の歌は俗謠の絶唱であると思ふ。それに比べると「蒸氣や出てゆく、煙は殘る」の歌は少し下品だ。が、然し尚ほ生活と歌謠との間に密接なる關係のある事は近頃の唱歌に優る事萬々である。（一月五日夜）s　やや大きい額の中央に、ほんの形を現はすと云ふまでに鰹船の畫がかいてある。木の板の上へ、漆喰に混ぜた繪の具で厚くでこでこと盛り上げられて居る。船には二三十人の木偶の坊が紺色の繪の具で並列せしめられた。そしてそれらの人の中から十幾本かの釣竿が立つて居るのである。それが不器用な垂直線になつて並立してゐるが、その一つ一つの釣絲の先きに鰹がくつついて居る。船の舳の所に二つの白い鳥が浮いて居る。一群の鴎は、聲をも想像させる位に船の後ろに飛び亂れて居る。水平線は高い。そこには岩石から成る島があつて、島影から朝日が出懸けて居る所である。額の上部には大きく「奉納」と書いてある。明治四十一年寅季秋の奉獻に係るのである。s　同じ構圖のがも一枚ある。それに小さい島の代りに水平線に盛に噴煙しつつある大島が畫かれて居た。で船の下の波の中には、何れも釣竿の先を目がけて集れる數十の鰹が浮いてゐるのである。s　小さい山腹の神社の幕にも鰹の繪が染めてある。その間から日が出て居るのであるが、ちやうどそこの所が絞り上げられて居た。「海上安全」の文字と共に。s　こんな原始的な漁村の藝術は、實際自分の眼が見たので無ければ面白くない。もしその郷土の地勢を見、産業を檢べ、其歴史を知る眼が見たならば、却つて異國の大藝術を見た時よりも、もつと懷かしい、感深き印象を得るに違ひないと思ふ。s　小さい郷社を出て、隣接する寺の鐘樓の邊から眺望すると、南國の冬の海は一種の温味ある青色の表面を織り出して居る。海のあなたの岬には午前の淡い日影を受けた一部落の屋根が連つて居る。山腹の神社さえ見える。殊にそこに今日祭典があるのであるからして、幾竿かの幟が立つて居るのであるが、透明なる空氣を通して、その布の、乃至港の帆船の帆のはためきさへも耳に聞える許りによく見えるのである。正に是れ一種の「廣重情調」である。即ち視感を動かす繪畫的刺戟は直ちに海郷の傳説を聯想せしむる契點となるのである。前景としては、下つてゆく道の途中なる山門。大なる山櫻と柑子の木の群。四百年の松。及び眼下の海濱の赤き船の旗である。而して嚮に云ふ所の奉納の額は、かかる郷土を背景として鑑賞せねばならぬのである。s　土地柄、日蓮や曾我兄弟を對照とした額も少くない。これは亦違ふ方角の街區の寺で見られた。祖師堂の壁を飾る多くの額の内では船乘彌三郎の事を畫いたのが尤も興味があつた。この郷の一角を名所圖會の鳥瞰景に見たものが、額面の右の上部の大半を占め、その岬の鼻は尚左半の大部分に延びて居る。船乘彌三郎は小さい傳馬船に乘つて、今しもぱつと投網を打つた所である。途端金光は赫灼として海底の金佛から起つた。――然し繪馬の畫工は、もつと著しく土地と云ふものの概念を現はさうと欲したらしかつた。即ち海上に烟を吐く所の大島を畫きそへたのである。而してまた岬邊の一小島をも畫き漏らさなかつた。且一個の圖案としての因襲的興味を尊重する此の無名の畫工は、更に水平線上の二個の帆影、海を昇る朝暉の赤き後光を添加するを以つて、多くの效果を收むるものと考へたに相違ない。s　つまらない冥想を樂しんだあとで予等は寺の坂を下つた。それから小學校の庭でする消防出初式の稽古を見、冬の日の田圃の心持よい暖色を樂しみながら、午少し前の比ひ、かの祭典の催のある街區に入つたのである。s　海郷の祭典が如何に愉快なる諧調を四圍の自然とそこの住民との間に造り出したかに就いては更に筆を新にして報告せねばならぬ。予は今は勞れて居る。これから一つ湯にはひらうと思ふ。s　今日もさうであつたが、をととひの晝間は春のやうな風が此町を音づれた。庭の葡萄の枯葉、石菖、野芹などを眺めてゐると、陽炎で目が霞んだ。それから田圃へ出たら例の稻村が淡く日を受けて居た。その下の田の土の色、畔の草の色――是等は他の季節に見る事の出來ない親しみ、懷かしみを藏してゐる。日本の油畫ではややふるくは久米氏の稻村の畫、山本森之助氏の山麓の農家の畫、それから一昨年かの白馬會の跡見泰氏の田圃の畫の外にはかう云ふ致を寫したのは見ない。早くsが過ぎてかういふ地方色をゑがいた畫が見たい。s　これから温泉である。あの硫化水素の臭ひと温い液體の輕い壓力とは兎に角氣持がよい。人間をのらくら者にさせる丈の力は十分ある。今日、日沒の少し前、街道を歩いて温泉の一廓に出たらまた忽ちこの臭ひに襲はれたのであつた。田舍とは云ひながら、その賑かな街道に、煙草屋、下駄屋、小間物屋の間に共同の温泉場があつて、外から裸形の人影が覗かれるなどは、全く異郷の感じがする。道傍に立つ柳、石の道陸神、湯槽から出て川に流るる湯の匂ひ、冬の穩かなる日の微かなる風、また野邊の揚雲雀、藺の田に淀む脂などは正に蕪村の詩趣である。s　かう云ふ土地に生れて、今の世は知らず、昔ののんきな時代の人が怠け者か道樂者にならないと云ふ筈はないのである。さう云ふ人々の逸話も亦ここ彼方の家庭に殘つてゐる。その人々の多くは小高い山腹の墓の下に眠つて居る。その家は或はなくなり、或は今に殘つて、其あとの人々を住まして居る。s　s!（正月七日夕刻。）s　で、祭の事を書かう。をととし君と一緒に見たあの祭だ。予は四年目に一度あるものと思つて居たら、さうではなくて隔年にあるのであつた。そんなら君にさう言つてやるのだつたのに。今年はもう慣れて居たから大して心を動かすやうな事は無かつた。一昨年は、君には言はないで居たが、十幾年の間と云ふもの、全く忘れて居たいろいろの物を突然見せられたのだからして、すつかり少年時の情調の中へ移されてしまつて、可笑しい事だが虚言ではない、止めても止めても涙が出る位に感動したのだつた。s　今朝實は偶然遠來の少い親類の人を案内して、所謂舊跡廻りをして、山の途中から幟の立つて居るのを望見して始めて此の街區に祭典のあると云ふ事を知つたのである。それから、遂に、此町の内でも尤も海に親しい一小區域に出たのである。一瞥の下に予は如何に今日の凪の好い日であるかを知つた。溶かさない群青のやうに濃い海の一端に、岸に近く、一艘の船が盛裝せられて居る。青い水面の上の赤、白、黄――旗、幕、造花等の裝飾――是等は十分予の視感を喜ばすに足るのである。況んや、それが更に海邊の住民の生活の象徴であるに於てをや。此區に近づくに從つて高く聳やぐ幟、街道を跨ぐ提灯、幣束を付けた榊、夏蜜柑の枝、蝦、しめ蠅の類が見え出して來た。祭典の繪畫的要素は忽ちに予等にお祭の情調を吹き込んだのである。s　高い、海と家とを直下に瞰おろす例のお宮の石段には既に大勢押し懸けて居たのである。で予等も人の波を分けて石段を登つて行つた。例の青龍、白虎等の四神を頭に付けた鋒、錦の旗、榊の枝、其他御酒錫、供餅などを持つた人々が嚴肅に石段の上に並ぶ。そして何か重大なる事を期待して居るやうな顏をする。彼等は上の狹い廣場の鹿島踊の終るのを待つて居るのである。それが終へたらば直ちに動き出さうとするのである。そして坂下に集つて居る十人許りの男の子供は、皆法螺の貝の口を脣に當てて居る。また踊が終へたら鳴らさうとするのである。――此時既に予等は、海の波の諧音にも比すべき歌聲を聞いて居たのである。それは鹿島踊の人々の歌であつた。s　狹い、崖の上の廣場の石の鳥居の下で、三十人許りの烏帽子白丁の人々が踊ををどつて居るのである。人の相貌に對しては殊に深い興味を有する予は、直ちに是等の人々の内から面白い表情や骨骼を搜し出したのである。が、取り分けて予の心を動かしたのは、その側に立つて歌だけを唄ふ四人の謳者の極めて眞面目な顏であつた。s　歌の文句は善く分らない。「鎌倉の御所のお庭に椿を植ゑて、植えて育てて云々」といふのや「それ彌勒の船の云々」といふのやの外には頓と解する事が出來なかつたが、それを音頭取つて歌ふ最端の一人は、海濱で屡見るやうな、まるで粘土で燒いた假面のやうな顏を持つた老人であつて、眼瞼縁炎のしよぼしよぼした、灰白の睫毛の眼は一層その相貌をまじめにしたのである。この人は紋付の羽織を着て袴を穿かぬ。第二第三の人は揃ひの袴を着けて脇差をさして居る。比較的年はわかい。殊に第三の男は屈強な筋肉の、正に典型的の漁夫顏である。而も其の態度は異常に嚴格である。また假面的相貌に、絶大なる何物かに向つて心からの頌歌を唄ふやうな極めて敬虔なる表情を刻んで居るのであつた。第四の人はまた年寄で、同じく袴をばはかなかつた。s　此四人は、或は聲を揃へて歌ふ。或は少時息を凝して踊の人の答の歌を待つやうに默す。或は踊の人々と共に唄ふ。s　踊は左の手に幣束の柄を持ち右に扇を持つて歌ひながら踊るのである。ちよつと見た所では何う規律があるのか分らない。子供のする蓮華のはなの遊びのやうに開いたり萎んだりする。時々ごちやごちやんと圓く集つてしまつて、扇と幣束とを膝の前に寢かして、「そこ、そこ、そこ、そこやあれ、そこやれ、はいや」といふ。それで一節が終へたのである。それから復再び繰り返して踊る。s　兎に角此踊といふものは、かかる屈強なる、最早分別も出た男のするものとしては甚だ馬鹿氣たものである。それ程價値あるものとは思はれない。それにも拘らず、一人ならず二十三十の人が揃つて踊る――而かも嚴肅な顏を以て、少しも詰らないと云ふやうな風もしないで踊るのを見ると、何か知らん、觀者は非常に感傷的な悲哀又は悲壯の心持になるのである。總じて多くの人が揃つて一事を演ずるといふ場合には、そこに一種の「力」の感じを生ずるものであるが、その活動の目的が大なるものより小なるものに行くに從つて、この感じに崇高、悲壯乃至可憐の第二の心持が附いて來る。多くの僧侶が涅槃の釋尊を一齊に諦視する古畫の表には悲壯がある。單に美しい藤娘や鷹匠の踊の地を附ける爲めに二十人の樂人が歌を唄ひ三味線を彈くのを見るときには、人をして涙ぐましむる哀愁がある。此の鹿島踊がそれを見る人々を動かすのはその二つの孰れの作用であるかは知らないけれども、兎に角一種の力を印象せられ、而して踊そのものはつまらないものだと感じたる見物は、この力の源をこの踊――この人間活動の裏に求めて止まぬのである。――即ち踊そのものの爲ではなかつたのである。而して是れは所謂「御神體」を崇め、それを喜ばすが爲めに行はれたのだと云ふ事を發見するに至る。そこで人の注意が此御神體の上に集るのである。s　鳥居を潜つて又一つ石段を登るとそこにまた鰹の幕や、蛭子の面で飾られた拜殿があつた。榊が立ち、提灯が弔るされる。一群の人は亦此の處に於ても堂内の一物に注視して居るのである。s　即ち新しき筵を敷いた神殿の床の上には、黄ろい綸子や藍の玉蟲の綾などの直衣を着た禰宜が色斑らに並ぶ。其側には脇差をさした漁夫が禮裝して坐る。此際予の氣付いた所によるに、黒羽二重などの羽織に大きな紋のついたのは可いが、下の着物は淺黄の辨慶とか、淺黄のあらい薩摩縞のやうなのが多かつた。親讓りの絲織の晴衣と云ふやうなものは固よりあつたが、まだ新しいのに年に似合はず、派手なのがあつたのである。かかる漁夫の眼に媚びるやぼな色や縞柄の着物を、少し窮屈に着て居るのを見てさへも、何か妙な哀深い心持になつた。s　而して是等の人は、一種の莊重なる儀式を以て御神體を御輿の中に移す。「今御輿へ魂を移したぞ」といふ私語が子供等のうちに擴まる。で皆な感動したらしい顏付をする。s　神秘――昔から今に懸けて地上のあらゆる人々の求めあかした者はそれでは無いか。原子分子の假説で宇宙の規律のやや整然と説明されさうになると、人々は驚いて新なる不可思議を求める。そして新に發見した電子といふ鍵で第二の扉を開けようと努力する。宗教藝術は勿論の事であるが、一見sに見える朴訥なる科學も亦人間の世界に神秘を餘計にしようと努力するやうに見えるのである。所で予は此魂移しの儀式に於て、あまりに手輕に神秘を求め得て、それで滿足した昔の人の寛濶を思うてほほ笑まずには居られなかつたのである。魂移しが濟むと突然鐵砲がなる。s「え、どつこい、どつこい」s「そおらああ……」s　と、ちやうど唄の應答の半であつた踊の人々は驚いて踊を休めてかたまる。坂下では子供等がけたたましく法螺の貝を吹き出す。三十人許りの壯者に擔がれた神輿は拜殿前の石段を下つて鳥居の下の廣場に出る。群集が道を開ける。赤、緑、黄色の旗がゆらゆらと動き初める。s　御輿は崖の上の狹い平地に出た。そして蹌踉け出した。年老いたる二三の漁夫は心配さうに小走りに走つて往つて、この暴れる神體を宥めようとした。s「ぶうぢやつかん、ぢやつかん、ぢやつかん」と云ふ言葉がある。子供等の言ひなせる擬音の言葉である。ぶうといふのは法螺の貝の音である。ぢやつかん、ぢやつかんとは御輿に飾る珠や風鐸の響を模したのであらう。そのやうに今も神輿がゆれながら響いたのである。s　高い坂の上から狹い街路を下瞰して居ると、今しも坂を下つた御輿が屋根と屋根との間に現はれた所である。法螺の貝はものものしげに鳴る。而して幾度か止まり幾度か蹌踉いて、子供等の小さい胸を痛ましめた神輿は、突然何か思ひ付いたやうに細い道を東の方に驅つて行つた。s　山腹の石の鳥居、その下は直ぐ崖で、海に沿ふ家の屋根が見える。そこに青い海面から拔けて白の幟が立つ。而して水平線の彼方には房總の山が眠る。この光景は既になつかしい廣重の情調である。而してこの種の情調の中に、凡てを破壞する現代文明の波にも破られずに、尚能く昔の面影を止むる祭典及び其他の年中行事を殘して居ると云ふ事はめづらしい事である。實際はこの鹿島踊の如きも必しも珍らしいものでは無いかも知れぬ。香取、鹿島の兩社は遠く藤原氏の時代から勢力のあつた社で、その末社も少くはないだらう。隨つて鹿島踊、鹿島の事つげ、船唄の類もまだ全國の諸所に殘つて居るかも知れないが、然し盆踊はつい近頃まではあんなに盛であつたのが、今は殆ど全廢してしまつた。此種の祭典もやがて遠からず無くなつてしまふのだらう。だから予も冗漫を厭はずに目に見た所をそのまま書き付けようと思つたのである。s　それから予等は神輿の跡は追及しないで、後にその着く可き海岸で待つて居た。をととし見て覺えて居る所では、やはりそこに踊がもう一度あつて、それから裸體の男が三十人許りで御輿と人々とを船に乘せるのであつた。s　やがてそれも濟んだと見えて、岸に繋いであつた船が動き出した。怪しい人のどよもしが遠くから聞えて來る。船には各二本の竹竿を立て、それに燈籠と幟とを付け、數條の造花をしだらした。この二艘の主な船を中心にして、其他四五艘の小さい船がそれを取り卷く。また別に一艘、彩色を施した彫物の屋臺で飾つた、俗に「御船」といふ船がある。それには舳の所に肩衣を付け大小を差した人が坐つてゐる。s　是等の船が動き出して、艪を漕ぐ人の姿は見えるけれども船は中々に近よらぬ。こなたの海岸には見物の群が増してはや五六百の人を數へられるやうになつた。陸に揚げてある多くの船は是等の人々によつて占領された。海岸に立つ二階屋の窓には女子供、新しき（よめ）――さう云ふ人達が首を出す。而して實際こんな狹い町では何處の誰が何處に居ると云ふ事が愉快なる穿鑿の種になり、それが歸宅の後家人に告げられると、女達の夜の爐邊の話題を賑かし、それからそれへの穿鑿が更に人の家の親類縁者の事に移り、かくて話はやうやう一つ前の人一代に飛ぶ。そして遂に日常の話に物語の情調を添へるに至るのである。s　陸の船の上にまた二人の漁夫の子が乘つて居た。その一人は羨ましさうに他の子の持つ二つの小さい薄荷水の罎を諦視めて居た。遂には彼はそれを要求するに至つた。そこで小さい爭が始まる。然し結局兄と見えた一人が一本を配ち與へる事に極まつた。が、與へるその前に罎中の大半の靈液は傾け盡されたのである。此sも亦、待ちに待つて退屈しきつた人々には恰好な笑艸であつた。けれども一罎を貰ひ得た本人は多少の物議の末に、はや甘んじて、もう勿體なささうに罎の口を嘗め出したのである。s　船唄と鹿島歌との掛合の間に、「え、どつこい、どつこい」と云ふsで金剛杖で船の板をうつ拍子が明かに聞えて來て、こなたの濱も色めき出した。即ち二人の若者は勢よく着物を脱いで女達に渡し、それから海を清む可く、藻屑を浚ふ可く冷い海水の中に飛び込んだ。そこで輕い感動が見物の間に現はれて來る。單に儀式とは見えない眞面目を以てこの二人の男は海の中を驅け廻る。祭典の遊戲的活動は愈まじめなものに鍍金されてしまふ。sの自己投入の説では無いけれども、見物さへも自ら海に入つた時のやうな筋肉の緊張を覺えて、隨つて、御船を待つ心は愈切になる。御輿の魂は六百の見物に乘り移つたのである。s　然し此場のsの面白さは予が立つ處より、寧ろかの二階の窓から見たものの方が優れて居るだらう。明け放つた後景の窓のあなたには暗示的な青い海が見える。その方を眺めながら八九人の女子供の群が立つ。時々下の方から騷がしいざんざめきが聞える。もしその内の一人の女が、下の出來事の經過をsばりの美しい言葉で語つたら一篇の戲曲が出來るかも知れない。s　船の船唄も明かになる。それを唄ふ人の顏も讀めて來る。白い直衣の禰宜が渚に立つて遙拜する。忽ち四五十人の若者が裸體になつて海に飛び込む。或人は神輿にかかる。他の人は一人一人鹿島踊の人を背に乘せて渚に運んでやる。それを肩に取る樣も異樣で、いきなり、ぐつと胸倉を掴んでかつぐ。すると背の人は枚を喞んで、幣束樂器の類を持つた左の手を前に突き出してよいよいと叫ぶ。暫時はよい、よい、そりや、と叫ぶ聲で渚がふさがる。小さい法螺の貝を持つ兒童までが同じ型をする。榊を外す、それを受取る。海の波に色々の彩文がうつる。既に渚に上つた子供は法蝶の貝を吹く。――それらの事が濟むと復踊が始まるのである。s　船唄及び鹿島踊の事に關しては予は何の知識をも持つて居ない。二三の人にも尋ねて見たが分らなかつた。敢てそれを窮めようと云ふ氣もなかつたから其儘にした。唯予がこの種の人間活動に就いて愉快に感ずる所は、昔の人の生活が藝術的であつた事である。神社と云ふものがあり、その内の神を祭ると云ふので目的が神秘に化せられる。天平勝寶の昔に貴人より庶民に至るまで、形にせられたる人心の象徴たる大佛に禮拜したと同じ意味である。嚴格なる老幼の序、階級、制度等に對する不平や反抗も凡て此の神秘が融解したのである。たとへ人間の知を求める心は凡て不可解を闡明し、思想の不純を澄まさなければ休まないとした所で、然し一方には亦新しい神秘がなくては滿足が出來ないやうにも見える。實は今朝小學校の廣場で消防組の若衆たちの稽古を見た。中隊若しくは大隊教練であつて、其嚮導を務める人は在郷軍人である。人間はどうしても共同の活動を要求するのであるから、昔の馬鹿氣たお祭の遊戲に比して此の種の有目的の文化的行爲は贊成するに足るのであるが、其の目的が、明かであればあるだけ、信仰及び獻身の心持がなくなるのは止むを得ない。s　軍國主義の外に衆生の心を統一せしむるに足る巨大なる磁石はどこに求められるだらうか。（同日夜）s　夜、一種の好奇心からちよつと芝居小屋を覗いて見た。この海邊の小さい町の人々が如何なる遊樂を求めるかをも知りたいと思つたのであつたが、別に珍らしい發見もしなかつた。特殊の事もなかつたからである。今の樣な交通の便利の時に、東京から遠くない所にさう云ふ者を求めると云ふ事は第一無理であるが、然し舞臺と見物とは非常に親密である。いやな敵役には蜜柑の皮が抛られる。花道は子供等の群に占領せられて居て、揚幕があいて松前五郎兵衞の女房が出て來ると途中で思入れをする場所を作る爲めに、小さい聲で先づ子供等を叱らなければならぬ。そこでわらわらと子供等が逃げ出す。s　汚い淺黄の着物をきた五郎兵衞が拷問にかけられて醜い顏をする。粗末な二重舞臺の上では役人が手習でもするやうな大きな字で口供を取つてゐる。かう云ふ所から藝術の幻影郷を抽き出すには隨分無理なsをしなければなるまいと思ふが、見物は一向平氣で見とれて居るのである。然し此地も東京と同じく、三十未滿の人達は松前五郎兵衞は愚か、もう白井權八、鈴木主水、梅川忠兵衞なんぞの傳説、及び其藝術的感情とは全く沒交渉であるからして、隙つぶしといふ外に大して面白くもなささうに、偏に鮨や蜜柑を食べてゐるのである。彼等の遊樂、戀愛乃至放蕩は全く數學的だ。よしsはあつてもsはない。少くとも二十年前には、良い事か惡い事か知らないが、まだ民間に音樂といふものがあつたのである。s　それでも四十恰好の、少しは鼻唄でも歌ひさうな男が、時々取つて付けたやうに「よい、チヨボ、チヨボ」などと呼んで居た。その内に色々の商家の名を染めた汚い幕が引かれる。するとどやどやと子供等が飛び出して幕の中へ首を突き込んで、引いて行く役者を見送るのである。s　不快になつて小屋を出て、暇乞にと縁者を訪ねた。そして偶然人一代前の世の話が出て面白かつた。其内容が餘りに特殊で、事に關與した人や、乃至それらの人の運命を知つた者でなければ興味がないから、報告する事は止める。唯然し君とてもかういふ想像はする事が出來るだらう。即ち東京からさう遠くない港へ、押送り、乃至珍らしい蒸氣船で、「窮理問答」「世界膝栗毛」「學問のすすめ」「倭國字西洋文庫」と云つたやうな本がはひつて、本棚の「當世女房氣質」「北雪美談」を驅逐し、英山等の華魁繪、豐國、國貞等の役者の似顏、國滿が吉原花盛の浮繪などの卷物の尾に芳虎の『英吉利國』の畫、清親が「東京名所圖」其他「無類絶妙英國役館圖」「第一國立銀行五階造」の圖などが繼ぎ足され、獵虎帽の年寄りが太陽は無數に西の海底にたまり、地の下の大鯰が地震を起すなどといふ須彌山説の代りに西洋の窮理を説いた時があつたといふ事である。予の眼にはその時代の人々の姿がまだありありと殘つてゐる。そして古い文庫ぐらに其時の遺物を搜し出す心持は一種特別である。「横濱へ通ふ蒸氣は千枚張りの共車この家へ通ふは人力車」の其頃は多少sであつた甚句の歌と共に、純然たる昔の風俗並びに歌謠の殘つて居た時の事がどうかして鮮明に思ひ浮べられる時は、涙も催さむ許りに悲しくなる事がある。s　もと押送りに乘つて東京通ひをして、仕切も取り勘定も濟ました後の早朝出帆に、檣を立てる唄で靈岸島の岸の人を泣かしたといふ船頭も尚生きて居るけれども、もう唄も覺えて居ない。s　子供等もおしろおしろの白木屋の才三さん、丈八ッさんと云ふやうな毯唄は歌はぬ。其代り幸ひにそんな唄を今きくと、聯想は朦朧たる過去の世界を開いてくれる。s　然しそれから尚聯想を追究してゆくとかう云ふ世界が段々と崩された迹が思ひ出される。其中にも尤も深く予に印象を與へたものは此町に耶蘇教の入つて來た沿革である。初めは小さい家に日曜日の夜々赤い十字の提灯が點された。それが廢れた頃怪しい一人の男が突然まだ寂しかつた頃の此郷に來て、毎夜十字街に立つて説教したのである。それは西洋から歸つて來たこの郷の人であつた。後に其人の新しい、感情的な人格はこの一郷の多くの青年に深い感化を與へた。s　さう云ふ風な事を思ひ出しながら今の状態に思ひ比べて見ると、十年十五年の間にもいろんな世相の變遷がある。と、考へると同時に何か自分の背後に強大なる力が隱れて居るやうに思はれる。s　それからまた暗い海へ出て、恣な冥想に耽つたのである。s夕暮れがたの濱へ出てs二上り節をうたへば、s昔もかく人の歌ひ※［＃「候」のくずし字、383-上-22］とsよぼよぼの盲目がいうた。sさても昔も今にかはらぬs人の心のつらさ、懷しさ、悲しさ。s磯の石垣にs薄紅の石竹の花が咲いた。（同日深更）s　昨夜は空が眞黒であつたが、今朝六時半に起きた時も亦冬とは云ひながらあまり暗かつた。それでも日の出る頃には曇つた空が段々と明るくなる。そこへ遠くで汽笛がなる。s　汽船宿には派手な縞の外套を小脇に抱へた大學生や、鼠の二重廻の男、洋服を着た十三四の女の子、その紫紺色の外套が殊に美しかつたことやなどが大勢集つてゐて、一種の繪模樣を造り出して居た。s　昨夜は近い山に雪が降つた。かう云ふ事は南方の海國には珍しいので、人々はその噂を以て朝の挨拶に代へて居た。で、町の人は皆朝日を受けた山を見たのである。山腹の畑、松や蜜柑の樹、また遠山の皺、それらの上には紫いろの白い雪が積つて、そのあひまあひまの山の色は種々な礦石で象眼したやうに美しい。殊に遠い峰は赤沸石のやうな半透明な灰緑色を呈して、ぼんやりと漠々たる大空の内に沈んでゐる。唯ここかしこに白雲の淡が――鋭く小刀で、彫まれたやうに――風もないのに動いて居る。s「成程ゆうべは寒いともつたら、ほれ山ああんなに積つた。」で濱に立つ漁夫でも、萬祝の古着で拵へた半纏で子供を背負つた女房でも、皆額に手を翳して山の方を見た。s　汽船に乘つてから町の方を見ると、一列の人家が山脈の直下に見え、三千石の平地がその下にありさうには思はれない。見送人の歸りゆく樣、また始められる其日の仕事などが遠くに見える。何か人生といふものの機關、その歸趨、その因果が明かに久遠の相下に見えるやうな氣がして妙な心地になつた。s　その内に鐘がなつて、s!sが人から人に傳へられた。s底本：「現代日本紀行文学全集　東日本編」ほるぷ出版s　　　1976（昭和51）年8月1日初版発行s初出：「三田文学」s　　　1911（明治44）年6〜7月号s入力：林　幸雄s校正：松永正敏s2004年5月1日作成s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。s●表記についてこのファイルはs3s勧告s11sにそった形式で作成されています。［＃…］は、入力者による注を表す記号です。「くの字点」をのぞくs0213にある文字は、画像化して埋め込みました。アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。この作品には、s0213にない、以下の文字が用いられています。（数字は、底本中の出現「ページ-行」数。）これらの文字は本文内では「※［＃…］」の形で示しました。s「候」のくずし字s��s383-上-22s楠山正雄s物のいわれ物のいわれ楠山正雄s目次s物のいわれ（上）［＃「（上）」は縦中横］s　そばの根はなぜ赤いかs　猿と蟹s　狐と獅子s　蛙とみみずs　すずめときつつきs物のいわれ（下）［＃「（下）」は縦中横］s　ふくろうと烏s　蜜蜂s　ひらめs　ほととぎすs　鳩s　　　物のいわれ（上）［＃「（上）」は縦中横］s　　　　　そばの根はなぜ赤いかs　　　　　　　一s　あなたはおそばの木を知っていますか。あんなに真っ白な、雪のようなきれいな花が咲くくせに、一度畑に行って、よくその根をしらべてごらんなさい。それは血のように真っ赤です。いったいおそばの根は、いつからあんなに赤く染まったのでしょうか。それにはこんなお話があるのです。s　むかし、三人の男の子を持ったおかあさんがありました。総領が太郎さん、二ばんめが次郎さん、いちばん末っ子のごく小さいのが、三郎さんです。s　ある日、おかあさんは、町まで買い物に出かけました。出がけにおかあさんは、三人の子供を呼んで、s「おかあさんは町まで買い物に行って来ます。じき帰って来ますから、三人で仲よくお留守番をするのですよ。戸をしっかりしめて、みんなでおとなしくうちの中に入っておいでなさい。ひょっとすると悪い山姥が、おかあさんの姿に化けて、お前たちをだましに来ないものでもないから、よく気をつけて、けっして戸をあけてはいけません。山姥はいくら上手に化けても、声が、しゃがれたがあがあ声で、手足も、松の木のようにがさがさした、真っ黒な手足をしていますから、けっしてだまされてはいけませんよ。」s　といい聞かせました。すると子供たちは、s「おかあさん、心配しないでもいいよ。おかあさんのいうとおりにして待っているからね。」s　といったので、おかあさんは安心して出て行きました。s　ところがじき帰って来るといったおかあさんは、なかなか帰って来ないで、そろそろ日が暮れかけてきました。子供たちはだんだん心配になってきました。「おかあさんはどうしたんだろうね。」とみんなでいい合っていますと、だれかおもての戸をとんとんとたたいて、s「子供たちや、あけておくれ。おかあさんだよ。お前たちのすきなおみやげを、たんと買って来たからね。」s　といいました。s　けれども子供たちは、しゃがれたがあがあ声をしているから、おかあさんではない。山姥が化けて来たにちがいないと思って、s「あけない、あけない、お前はおかあさんじゃあないよ。おかあさんはやさしい声だ。お前の声はがあがあしゃがれている。お前はきっと山姥にちがいない。」s　といいました。s　ほんとうにそれは山姥にちがいありませんでした。山姥は途中で、おかあさんをつかまえて食べてしまったのです。そしておかあさんに化けて、こんどは子供たちを食べに来たのです。けれども、子供たちが入れてくれないものですから、困って、村の油屋へ行って、油を一升盗んで、それをみんな飲んで、喉をやわらかにして、また戻って来て、とんとんと戸をたたきました。そして、s「子供たちや、あけておくれ。おかあさんだよ。みんなのすきなおみやげを、たんと買って来たからね。」s　といいました。s　こんどはそっくりおかあさんと同じような、やさしいいい声でした。けれども子供たちはまだほんとうにしないで、s「じゃあ、先に手を出してお見せ。」s　といいました。s　山姥が戸のすきまから手を出しましたから、子供たちがさわってみますと、それは松の木のように節くれだって、がさがさしていました。子供たちはまた、s「いいえ。あけない、あけない。おかあさんはもっとつるつるして柔らかな手をしている。お前は山姥にちがいない。」s　といいました。s　そこで山姥は裏の畑へ行って、芋がらを取って、手の先にぐるぐる巻きつけました。s　そして山姥は三度めにうちの前に立って、とんとんと戸をたたいて、s「子供たちや、あけておくれ。おかあさんだよ。みんなのすきなおみやげを、たんと買って来たからね。」s　といいますと、子供たちは中から、s「じゃあ、手をお見せ。ほんとうにおかあさんだか、どうだか、見てやるから。」s　といいました。s　山姥はまた戸のすきまから手を出しました。こんどは手がつるつるして柔らかだったので、それではおかあさんにちがいないと思って、子供たちは戸をあけて、山姥を中へ入れました。s　　　　　　　二s　おかあさんに化けた山姥は、うちの中に入ると、さっそくお夕飯にして、子供たちがびっくりするほどたくさん食べて、今夜はくたびれたから早く寝ようといって、いつものとおり末っ子の三郎を連れて、奥の間に入って寝ました。太郎と次郎は二人で、おもての間に寝ました。s　夜中にふと、太郎と次郎が目を覚ましますと、奥の間でだれかが、何だかぼりぼり物を食べているような音がしました。それは山姥が、末っ子の三郎をつかまえて食べているのでした。s「おかあさん、おかあさん、それは何の音ですか。」s　と、太郎が聞きました。s「おなかがすいたから、たくあんを食べているのだよ。」s　と、山姥がいいました。s「わたいも食べたいなあ。」s　と、次郎がいいました。s「さあ、上げよう。」s　と、山姥はいって、三郎の小指をかみ切って、子供たちの居る方へ投げ出しました。太郎がそれを拾ってみると、暗くってよく分かりませんけれど、何だか人間の指のようでした。太郎はびっくりして、そっと布団の中で、次郎の耳にささやきました。s「奥に居るのは山姥にちがいない。山姥がおかあさんに化けて、三郎ちゃんを食べているのだよ。ぐずぐずしていると、こんどはわたいたちが食べられる。早く逃げよう、逃げよう。」s　太郎と次郎はそっと相談をしていますと、奥ではもりもり山姥が三郎を食べる音が、だんだん高く聞こえました。s　その時次郎は布団から頭を出して、s「おかあさん、おかあさん、お小用に行きたくなりました。」s　といいました。s「じゃあ、起きて外へ出て、しておいでなさい。」s「戸があきません。」s「にいさんにあけておもらいなさい。」s　そこで太郎と次郎は逃げ支度をして、のこのこ布団からはい出して、戸をあけて外へ出ました。空はよく晴れて、星がきらきら光っていました。二人はお庭の井戸のそばの桃の木に、なたで切り形をつけて、足がかりにして木の上まで登りました。そしてそっと息を殺してかくれていました。s　いつまでたっても、きょうだいがお小用から帰って来ないので、山姥はのそのそさがしに出て来ました。明け方の月がちょうど昇りかけて、庭の上はかんかん明るく見えました。けれどもきょうだいの姿はどこにも見えませんでした。さんざんさがしてさがしてくたびれて、のどが渇いたので、水を飲もうと思って、山姥が井戸のそばに寄ると、桃の木の上にかくれているきょうだいの姿が、水の上にはっきりとうつりました。s「小用に行くなんて人をだまして、そんなところに上がっているのだな。」s　と、山姥は木の上を見上げて、きょうだいをしかりました。その声を聞くと、きょうだいはひとちぢみにちぢみ上がってしまいました。s「どうして登った。」s　と、山姥が聞きますから、s「びんつけを木になすって登ったよ。」s　と、太郎がいいました。s「ふん、そうか。」s　といって、山姥はびんつけ油を取りに行きました。きょうだいが上でびくびくしていると、山姥はびんつけを取って来て、桃の木にこてこてなすりはじめました。s「それ、登るぞ。」s　といいながら、山姥は桃の木に足をかけますと、つるり、びんつけにすべりました。それからつるつる、つるつる、何度も何度もすべりながら、それでも強情に一間ばかり登りましたが、とうとう一息につるりとすべって、ずしんと地びたにころげ落ちました。s　すると次郎が上から、s「ばかな山姥だなあ、びんつけをつけて木に登れるものか。なたで切り形をつけて登るんだ。」s　といって笑いました。s「そのなたはどうした。」s　と、山姥が聞きますから、s「なたは井戸のそこに入っているよ。」s　と、次郎はいってまた笑いました。山姥は井戸のそこをのぞいてみましたが、とても手がとどかないので、くやしがって、物置から鎌をさがして来て、桃の木のびんつけを削り落として、新しく切り形をつけはじめました。山姥が桃の木に切り形をつけはじめたのを見て、きょうだいは心配になってきました。そのうちどんどん山姥は切り形をつけてしまって、やがてがさがさ、やかましい音をさせながら登って来ました。子供たちは困って、だんだん高い枝へ、高い枝へと、登って行きました。とうとういちばん上のてっぺんまで登って行って、もうこれより先へ行きようがない所まで登りましたが、やはり山姥はどんどん上まで登って来ます。困りきってしまって、二人は大空を見上げながら、ありったけの悲しい声をふりしぼって、s「お天道さま、金ン綱。」s　とさけびました。s　すると、がらがらという音がして、高い大空の上から、長い長い鉄の綱がぶら下がってきました。太郎と次郎はその綱にぶら下がって、するする、するする、大空まで登って逃げました。s　山姥はそれを見ると、くやしがって、同じように空を見上げて、s「お天道さま、腐れ縄。」s　と大声を上げてわめきました。s　するとすぐ、ぼそぼそという音がして、高い大空の上から、長い長い腐れ縄がぶら下がってきました。山姥はいきなりその縄にぶら下がって、子供たちを追っかけながら、どこまでもどこまでも登って行きました。するうち自分のからだの重みで、だんだん縄が弱ってきて、中途からぷつりと切れました。s　山姥は半分縄をつかんだまま、高い大空からまっさかさまに、ちょうど大きなそば畑の真ん中に落ちました。そしてそこにあった大きな石にひどく頭をぶっつけて、たくさん血を出して、死んでしまいました。その血がそばの根を染めたので、いまだにそれは血のように真っ赤な色をしているのです。s　　　　　猿と蟹s　ちょうど田植え休みの時分で、村では方々で、にぎやかな餅つきの音がしていました。山のお猿と川の蟹が、途中で出会って相談をしました。s「どうだ、あの餅を一臼どろぼうして、二人で分けて食べようじゃないか。」s　さっそく相談がまとまって、猿と蟹は餅を盗み出すはかりごとを考えました。s　一軒のうちへ行ってみると、うち中の人が残らずお庭へ出て、ぺんたらこ、ぺんたらこ、夢中になって餅をついていました。お座敷には赤んぼが一人寝かされたまま、だれもそばには居ませんでした。s　蟹はその時、のそのそと縁がわからはい上がって行って、赤んぼの手をちょきんと一つはさみました。すると赤んぼはびっくりして、痛がって、「わっ。」と火のつくように泣き出しました。お庭に出ていた人たちは、どうしたのかと思って、びっくりして、臼も杵も残らずほうり出して、お座敷へかけつけますと、もうその時分には、蟹はのそのそ逃げ出して行ってしまいました。みんなは赤んぼがどうして泣いたのか、さっぱり分からないので、ぶつぶついいながら、またお庭へ戻って行きますと、つきかけの餅が一臼そっくり、臼のままなくなっていました。みんなは二度ばかにされたので、くやしがって、外へ追っかけて出てみましたが、こんども何も見えませんでした。s　蟹は坂の上まで行って、猿の来るのを待っていますと、猿は大きな臼をころがしながらやって来ました。s「どうだ。うまくいったじゃないか。さあ、食べよう。」s　と、蟹がいいますと、s「うん、なかなか重いので骨が折れたよ。だがこれですぐ食べては、楽しみがなくなっておもしろくないなあ。どうだ、この臼をここからころがすから、二人であとから追っかけて行って、先に着いた者が餅を食べることにしよう。」s　と、猿がいいました。s　すると蟹は口からあぶくを吹きながら、s「猿さん、それはだめだよ。駆けっくらをしたって、わたしがお前にかなわないことは分かりきっているではないか。そんないじの悪いことをいわずに、仲よく半分ずつ食べよう。」s　と、こういいましたが、猿は聴かないで、s「いやならよせ。おれが一人で食べてしまう。重い思いをして、臼をかついで来たのはおれだからなあ。」s　といいました。s「だって、わたしだって赤んぼを泣かして、みんなをだまして、お前にしごとをさせてやったのじゃないか。」s　と、蟹がいいました。でも猿は、s「ぐちをいうな。それよりか駆けっくらで来い。」s　といって、かまわず臼を坂の上からころがしました。臼はころころころがって行きました。猿もいっしょに追っかけて行きます。しかたがないので、蟹もむずむずあとからはって行きますと、ちょうど坂の中ほどまで行かないうちに、餅は臼の中からはみ出して、道ばたの木の根にひっかかりました。そして、臼ばかりころころ下までころげて行きました。そんなことは知らないものですから、猿もいっしょに臼を追っかけて、どこまでもころがって行きました。s　蟹は途中、木の根に白いものが見えるので、ふしぎに思ってそばへ寄ってみますと、つきたての餅でしたから、「これはうまい。」と思って、一人でおいしそうに食べはじめました。猿はせっかく下まで駆けて行ってみると、空臼だったものですから、がっかりして、s「こらこら、早く餅をころがさないか。」s　と下からどなりました。すると蟹はあざ笑って、s「つきたての餅が坂をころがるものか。今に堅くなってお鏡餅になったら、ころがしてやろう。」s　といいました。猿は腹を立てましたが、自分からいいだして、したことですから、しかたなしに蟹にあやまって、おしりの毛を抜いて蟹にやって、半分餅を分けてもらいました。それでいまだにお猿のおしりには毛がなくなって、蟹の手足には毛が生えているのだそうです。s　　　　　狐と獅子s　むかし、日本の狐がシナに渡って、あちらのけだものたちの仲間に入ってくらしていました。s　ある時、けだものたちが、大ぜい森の中に集まって、めいめいかってなじまん話をはじめました。するとみんなの話を聞いていた獅子が、さもさもうるさいというような顔をして、s「だれがなんといったって、世界中でおれの威勢にかなう者はあるまい。おれが一声うなれば、十里四方の家に地震が起こって、鍋釜に残らずひびがいってしまう。」s　といいました。s　すると、虎が負けない気になって、s「なんの、おれが一走り走れば、千里のやぶも一飛びだ。くやしがっても、おれの足にかなうものはあるまい。」s　といいました。s　その時、日本の狐も、負けない気になって、s「どうして、からだこそ小さくっても、君たちに負けるものか。」s　といばっていいました。s　すると、獅子がおこって、s「生意気をいうな。ちっぽけな国に生まれた小狐のくせに。よし、そこにじっとしていろ。一つおれがうなってみせてやるから。きさまのちっぽけな体なんか、ひとちぢみにちぢんで、ごみのように吹ッ飛んでしまうぞ。」s　こういいながら、獅子はおなかに力を入れて、一声「うう。」とうなりはじめました。さすがにいばっただけのことはあって、それはほんとうに、そこらに居る者の体ごと、吹き飛ばしそうな勢いでしたから、狐はあわてて、地びたに小さな穴をほって、その中に小さくなって、もぐり込みました。そして、うなり声がやむと、ひょいと中から飛び出して来て、s「なんだ、獅子さん、大そういばったが、それだけのことか。ごみのように吹き飛ばされるどころか、このとおり貧乏ゆるぎもしないよ。」s　とさんざんにあざけりました。すると獅子は、こんどこそ、ほんとうに体中の毛を逆立てておこって、力いっぱい意気張って、一声「うう。」とうなりますと、あんまり力んだひょうしに、首がすぽんと抜けてしまいました。狐は、そこでいよいよとくいになって、こんどは虎に向かい、s「どうしたね。わたしにさからえば、獅子だってこのとおりだ。君もいいかげんにおそれいるがいいよ。」s　といいますと、虎はなかなか承知しないで、s「よし、そんなら千里のやぶを、かけっこしよう。」s　といいだしました。狐は困った顔もしないで、s「うん、いいとも。」s　といって、さっそく競争の支度にかかりました。やがて一、二、三のかけ声で、虎と狐は駆け出したと思うと、狐はひょいとうしろから虎の背中に、のっかってしまいました。虎はそんなことは知りませんから、むやみに駆けるわ、駆けるわ、千里のやぶもほんとうに一ッ飛びで飛んで行ってしまいますと、さすがに体中大汗になっていました。するとそれよりも先に狐は、ひょいと虎の背中から、飛び降りて、二三間前の方で、s「おいで、おいで。」s　をしていました。それで虎も勝負に負けました。s　狐は大いばりで獅子の首を背負って、日本に帰って来ました。これが、今でも、お祭りの時にかぶる獅子頭だということです。s　　　　　蛙とみみずs　むかし、むかし、大昔、神さまが大ぜいの鳥や、虫やけだものを集めて、てんでんが毎日食べて、命をつないでいくものをきめておやりになりました。何万という生き物が、ぞろぞろ神さまの所へ集まって来て、めいめい、おいい渡しを受けました。その中で、蛇は、いちばんおなかをすかしきっていて、ひょろひょろしていましたから、だれよりもおくれて、みんなのあとからのたりのたりはって行きました。すると、そのあとから、蛙がぴょんぴょん元気よくとんで来ました。蛙はずんずん蛇を追いこして、s「蛇さん、ずいぶんのろまだなあ。おいらのしりでもしゃぶるがいい。」s　と悪口をいいながら、またずんずん行ってしまいました。蛇はくやしくってたまりませんけれども、どうにもならないので、だれよりもいちばんあとにおくれて、のろのろついて行きました。蛇が神さまの前に出た時は、大抵の生き物が、それぞれ食べ物を頂いて、にこにこしながら、帰って行くところでした。神さまは、蛇がおくれて来たのをごらんになって、s「どうしてそんなに遅くなったか。」s　とお聞きになりました。そこで蛇は、おなかがへって、どうにも早く歩けなかったこと、途中で蛙があとから追いついて来て、おしりでもしゃぶれといったことを残らず訴えました。すると神さまは、大そうおおこりになって、いったん帰りかけた蛙をお呼びもどしになりました。そして、蛇に向かって、s「蛙がおしりをしゃぶれといったのならかまわない。これから、おなかのへった時には、いつでも蛙のおしりからまるのみにのんでやるがいい。」s　とおっしゃいました。そこで蛇は大そうよろこんで、いきなり蛙をつかまえて、おしりからひとのみにのんでしまいました。これで蛇の食べ物がきまったので、神さまがお帰りになろうとしますと、小さな声で、s「もし、もし。」s　と呼びながら、地の中から出て来たものがありました。それは、目の見えないみみずで、目が不自由なものですから、こんなに来るのに手間をとってしまったのです。s「もし、もし、神さま、わたくしは、何を食べたらよろしゅうございましょうか。」s　とみみずがいいました。神さまのお手には、なんにももう残ってはいませんでした。そこで、めんどうくさくなって、s「土でも食べていろ。」s　とおっしゃいました。すると、みみずは不足そうな顔をして、s「土を食べてしまったら、何を食べましょうか。」s　としつっこくたずねました。すると神さまはかんしゃくをおおこしになって、s「夏の炎天にやけて死んでしまえ。」s　とおしかりつけになりました。そこで、みみずは土を食って生き、夏の炎天に出ると、やけ死んでしまうのだそうです。s　　　　　すずめときつつきs　むかし、すずめがせっせと鏡に向かって、おはぐろをつけていますと、おかあさんが死んだという知らせが来ました。びっくりして、おはぐろを半分つけかけたまま、すずめはおかあさんの所へ駆けつけて行きました。神さまはすずめの孝行なことをおほめになって、s「すずめよ、毎年これから稲の初穂をつむことを許してやるぞ。」s　とおっしゃいました。でもおはぐろは、つけかけたまま途中でやめたので、すずめのくちばしは、いまだに下だけ黒くって、上の半分はいつまでも白いままでいるのです。s　それとはちがって、きつつきは、おかあさんの死んだ知らせが来ても、鏡に向かって紅をつけたり、おしろいをぬったり、おしゃれに夢中になっていて、とうとう親の死に目に合わなかったものですから、神さまがおおこりになって、s「お前は木の中の虫でも食べているがいい。」s　とお申し渡しになりました。それできつつきはいつも木の枝から枝を渡り歩いて、ひもじそうに虫をさがしているのです。s　　　物のいわれ（下）［＃「（下）」は縦中横］s　　　　　ふくろうと烏s　むかし、ふくろうという鳥は、染物屋でした。いろいろの鳥がふくろうの所へ来ては、赤だの、青だの、ねずみ色だの、るり色だの、黄色だの、いろいろなきれいな色に体を染めてもらいました。烏がそれを見て、うらやましがって、もともと大そうなおしゃれでしたから、いちばん美しい色に染めてもらおうと思って、ふくろうの所にやって来ました。s「ふくろうさん、ふくろうさん。わたしの体を、何かほかの鳥とまるでちがった色に染めて下さい。世界中の鳥をびっくりさせてやるのだから。」s　と、烏がいいました。s「うん、よしよし。」s　とふくろうは請け合って、さんざん首をひねって考えていましたが、やがて烏をどっぷり、真っ黒な墨のつぼにつっ込みました。s「さあ、これでほかに類のない色の鳥になった。」s　とふくろうはいいながら、烏を引き上げてやりました。烏はどんな美しい色に染まったろうと、楽しみにしながら、急いで鏡の前へ行って見ますと、まあ、驚きました、頭からしっぽの先まで真っ黒々と、目も鼻も分からないようになっているではありませんか。そこで烏は、よけい真っ黒になっておこりながら、s「何だってこんな色に染めたのだ。」s　といいますと、ふくろうは、s「だって外に類のない色といえば、これだよ。」s　といって、すましていました。烏はくやしがって、s「よしよし、ひとをこんな目に合わせて。今にきっとかたきをとってやるから。」s　とうらめしそうにいいました。s　その時から烏とふくろうとは、かたき同士になりました。そしてふくろうは烏のしかえしをこわがって、昼間はけっして姿を見せません。s　　　　　蜜蜂s　むかし、むかし、大昔、神さまがいろいろの生き物をお作りになった時に、たくさんの蜂をお作りになりました。そのたくさんの蜂の中に、蜜蜂だけが針を持っていませんでした。蜜蜂は不足そうな顔をして、神さまの所へ行って、s「ほかの蜂はみんな針を持っておりますが、わたくしだけは針がありません。どうか針をつけて下さい。」s　といいました。s「いいや、お前は人間に飼われるのだから、針はいらない。ぜひほしいというなら、針をやってもいいが、人間を刺すことはならないぞ。もし間違えて刺したら、針が折れて、命がなくなるぞ。」s　と、神さまがおっしゃいました。s「けっして刺しませんから、どうぞ針を下さい。」s　と、蜜蜂がいいました。s「それなら針をやろう。」s　と、神さまがおっしゃって、蜜蜂に針を下さいました。そこで約束のとおり、蜜蜂には針はあっても、人間を刺しません。刺せば針が折れて、命がなくなるのです。s　　　　　ひらめs　むかし、いじの悪い娘がありました。ほんとうのおかあさんは亡くなって、今のは後から来たおかあさんでした。それで何かいけないことをして、おかあさんにしかられると、おかあさんが自分をにくらしがってしかるのだと思って、いつもうらめしそうに、おかあさんをにらみつけていました。s　ところがあんまりおかあさんをにらみつけていたものですから、いつの間にか目がだんだんうしろに引っ込んで、とうとう背中の方に回ってしまいました。そして娘はひらめというお魚になってしまいました。s　そういえばなるほど、ひらめというお魚は、目が背中についています。ですから今でも、親をにらめると、平目になるといっているのです。s　　　　　ほととぎすs　むかし、二人のきょうだいがありました。弟の方は大そう気立てがやさしくて、にいさん思いでしたから、山へ行ってお芋を取って来ると、きっといちばんおいしそうなところを、にいさんに食べさせて、自分はいつもしっぽのまずいところを食べていました。けれどもにいさんは目が見えない上に、ひがみ根性が強かったものですから、「弟がきっと自分にかくしていいところばかり食べて、自分には食いあましをくれるのだろう。ひとつおなかを裂いて見てやりたい。」と思って、とうとう弟を殺してしまいました。s　けれども弟のおなかの中には、お芋のしっぽばかりしかはいっていませんでした。正直な弟を疑っていたことがわかると、にいさんは大そう後悔して、死んだ弟の体をしっかり抱きしめて、血の涙を流しながら泣いていました。s　すると、死んだ弟の体から羽が生えて、鳥になって、s「がんくう。がんくう。」s　と鳴いて、飛んで行きました。s「がんこ」というのはお芋のしっぽということです。弟は「お芋のしっぽをたべている。」ということを、「がんくう。がんくう。」といって、鳴いたのでした。s　すると兄はいよいよ弟がかわいそうになって、これも鳥になって、s「ほっちょかけたか、おっととこいし。」s　と、鳴き鳴き弟のあとを追って飛んで行きました。s　毎年うの花の咲くころになると、暗い空の中で、しぼるような悲しい声で鳴いて飛びまわっているほととぎすは、人によって「がんくう。がんくう。」と鳴いているようにも聞こえますし、「ほっちょかけたか、おっととこいし。」と鳴いているようにも聞こえます。これは鳥になったきょうだいが、やみ夜の中で、いつまでも呼び合っているのだということです。s　　　　　鳩s　鳩もむかしは親不孝で、親のいうことには、右といえば左、左といえば右と、何によらずさからうくせがありました。ですから、親鳩は子鳩に山へ行ってもらいたいと思う時には、わざと今日は畑へ出てくれといいました。畑へ下りてもらいたいと思う時には、わざと、今日は山へ行ってくれといいました。s　いよいよ親鳩が死ぬとき、死んだら山のお墓に埋めてもらいたいと思って、その時もわざと、s「わたしが死んだら、川の岸の小石と砂の中に埋めておくれ。」s　といい残しました。s　親鳩に別れると、子鳩は急に悲しくなりました。そしてこんどこそは親のいいつけにそむくまいと思って、そのとおり河原の小石と砂の中に、親のなきがらを埋めて、小さなお墓を立てました。s　ところが川のそばですから、雨がふって、水がふえて、河原に水が流れ出すたんびに、小石と砂がくずれ出して、お墓もいっしょに流れていきそうになりました。子鳩はよけい親鳩をこいしがって、ぽっほ、ぽっほといつまでも悲しそうになきました。s　せっかく孝行な子供になろうと思っても、親のいなくなったのを、鳩は今でもくやしがっているのだそうです。s底本：「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社s　　　1983（昭和58）年4月10日第1刷発行s※底本の「物のいわれ（上）」「物のいわれ（下）」をひとつにまとめました。s入力：鈴木厚司s校正：大久保ゆうs2003年9月29日作成s青空文庫作成ファイル：sこのファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（:///）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。s●表記についてこのファイルはs3s勧告s11sにそった形式で作成されています。［＃…］は、入力者による注を表す記号です。映画のお話しシリーズs　およう映画のお話しシリーズ　おようs「この海、東京さぁつながってんだべ？」s「わがんねなあ」s　母とかねよ（後のおよう）は、故郷の海をみながら逃げるように秋田を後にします。s　大正時代、藤島武二、伊藤晴雨、竹久夢二と日本を代表する３人の画家に描かれるs数奇な運命を歩んだおよう。s　数多くの恋を浮き草のように重ねながら、奔放に生きた一人の女性、おようを描くs物語。s　主人公おようを演じるのは、新人の渋谷亜希さん。はかなさの漂う風情は、竹久夢s二の美人画を思い出させ、実際のおようもこのような感じの方だったのかなあと思わsせます。s　春画　責め絵の鬼才、伊藤晴雨のモデルとなるシーンは妖艶な色香がただよいます。s　団鬼六の伊藤晴雨伝「外道の群れ」を原作のひとつとし、「極道の妻」シリーズのs関本郁夫氏がメガホンを取っているだけに、ドキドキする艶かしさは美しくもありまsす。s　このあたりは、監督、演出、撮影、照明、そして竹中直人氏演じる竹中流の個性的sな伊藤晴雨のうまさが光っています。s　日本画壇の巨匠藤島武二を里見浩太朗氏、春画の大家伊藤晴雨を竹中直人氏が演じ、sそれぞれが個性を十分活かした役づくりをする中、熊川哲也氏演じる竹久夢二は力量s的にどうしても負けてしまっていたところは残念。なかなか頑張っていたなとはおもsうのですが。およう役の渋谷亜希さん含め、話題づくりの起用といったキャスティンsグに、スクリーンをみながらアンバランスさを感じたことは否めませんでした。s　そういいながらも、竹久夢二（熊川哲也）がアトリエとしているホテルの浴場で、sおよう（渋谷亜希）と罵倒しあうシーンは、見ごたえありました。特に渋谷亜希さんsの演技は気骨を感じさせました。s　渋谷亜希さん、今までのスクリーンに現れた女優とまた違った個性を感じさせます。s　将来的にずっと映画のみで行ってほしい、そんな気がします。s　この作品に登場する大正時代の風景、ロケ地がまた見事にスクリーンにとらえられsています。エンディングのテロップをみると長野県の全面協力で、上田市、松本市、s海野宿、奈良井宿、軽井沢町、妻籠宿などでロケされたそうです。三笠ホテルも登場sします。s　公開初日、都内の封切館が少ないため私ラグが足を運んだ映画館は満員立ち見でしsた。といっても４０名弱で満杯になる小さな映画館ということもありますが。s　みえてる方は私ラグが若いほうで、年輩の方が圧倒的に多かったですね。そして女s性が多く、若い方も数名みえてましたが、皆女性でした。s　皆さん、封切りを待ちに待って来たという感じの方が多かったですね。s　この映画館がはじめてという方も多く、スクリーンが現れた時、その小ささに失笑sが漏れてましたっけ。　確かに私ラグも、映画館として上映するには限界の小ささだsと思うわけですが。s　都内にもこのくらいのスクリーンの大きさで頑張っている映画館が何館かあり、そsれぞれ独自の上映作品にけっこう魅力もあるわけで、映画ファンのためにも頑張ってs欲しいと思います。s　都内の映画館と言えば、４月１日より高田馬場にあったいわゆる名画座と言える早s稲田松竹がついに休館に追い込まれ、「売却はいたしません」という玄関前の看板だsけがかつての気概を伝えていました。s　ロードショー作品も短期間にレンタル開始される中、小規模映画館の運営は厳しいsものがあると思います。s　流されるように、はかなげに、しかし強く生きた女性おようの物語。s　大人のかた向けの作品です。s　　　　　　　　　s＊＊＊　ラグタイム安藤　2002/05/14（火）20：00　＊＊＊s注：本文章の無断転載及び引用はお断りいたします。s下の好きな項目をクリックして頂くと、それぞれの画面に移ることができます。s｜ラグタイム｜パソコンモーニングセット｜映画のお話し｜（掲示板）｜｜s()s2002s22,s2004sの前刀氏アップル、sのプレスイベントを開催今春に米のマーケティング担当副部長に就任した前刀禎明氏が、「お待たせしましたsですが、先週の家電量販店のランキングでは予約注文にもかかわらず、ナンバーワンになりました。さらにも2位、3位と続き、1〜3位独占という嬉しいニュースになった」と/sの人気ぶりをアピール。この前刀氏、ライブドアの前なんですよね。s08:22s|s|s(0)s|s(1)スラドのリーダー論スラッシュドットsジャパンs|sリーダー、何を使ってますか?s曰く、s"最近各種ニュースサイトや企業サイトなどでも採用され、その要約を効率的に遣り取りするために国内でも注目度が高まりつつある、ですが、コレを効率的に捌くために色々なリーダーが日々磨かれつつあると思います。最近自分でもを始めてみたと云うこともあり、俄然リーダーについて興味が出てきたところですが、意外と自分好みのツールに巡り会えないのが現実であったりします。そこで、/な皆さんに訊いてみたいと思うわけです。「あなたは普段、どのようなリーダーを使っていらっしゃいますか?」と。レスが面白い。見事なまでにコミュニティの特性をあらわしているというか。。s05:46s|s|s(0)s|s(0)s21,s2004sディープブルーsテンプレs開発日誌:sムービー企画第2弾、ディープ・ブルーが登場！先日のサンダーバードに引き続いてsムービー合同企画第2弾として7月17日公開予定のディープ・ブルーのデザインが加わりました。ディープ・ブルーsキター！s帰国したら見に行きますー！s09:28s|s|s(0)s|s(0)s20,s2004s-s-sのサイトにようこそ！　はオープンソースで開発されているs（ソーシャルネットワークサービス）の実装です。ソーシャルネットワークサービスとは、簡単に言えば知り合いに特化したベースのコミュニケーションツールといえるでしょう。を使えば、知り合いのみ、あるいは共通の関心を持つ人々だけが集まってコミュニケーションを取ることができるのです。既にこうしたのサービスを公開しているところとしては、や、などが有名です。今月のsに出てた。sでできてるみたいで、-sをつかってセンターサーバとほげったりする感じらしい（まだよく読んでない）。やはり同じことを考える人はいるもんだ。s12:40s|s|s(0)s|s(1)s系ベンチャーs執行役員s1977912s生s_sメルボルン熊ちゃん目つきワルーs:///s:///7東スポs:///3s()s-s-s浜崎　あゆみs-s-s69s-s(s&s)泣き虫s(幻冬舎)100億稼ぐ仕事術s(ソフトバンクパブリッシング)s―プロが使うテクニック＆ツール100選s(オライリー・ジャパン)アホでマヌケなプログラミングs(翔泳社)さまぁ〓ずの悲しいダジャレs(宝島社)!!!―さまぁーずの紙コントs(角川書店)s:s2004s2004s2004s2004s2004s2004s2004s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2003s2002s2002sの前刀氏スラドのリーダー論ディープブルーsテンプレs-s:s定期メンテ予定s-sメモ2:sゴミを削除よく聞くネットラジオs絵だよりアーチスト『言いたい放題』s(07/23s15:02)[]s(07/23s10:23)::+s(07/23s01:14)'s(07/22s15:45)夢のまほろばユマノ国：s&s(07/22s13:59)s-sのほほん日記s(07/21s00:15)s-sのほほん日記s(07/21s00:15)s(07/20s20:10)s(07/20s12:26)臨機応変？s(07/18s09:47)sオーランド講義内容華厳sバッドノウハウカンファレンスs2004s発表資料とレポートバッドノウハウカンファレンスs2004s5005_04s16s'sで再生中の曲をsにsスレッド化s百式迷惑からのインスピレーション24時間活用しているか注目を集めるインパクト！どこまでもアナログでs乗務員の空気式強制起床装置、一般販売へ日本を冷やせ！打ち水大作戦2004「ポケモン事件」の追跡調査結果が発表されるsが日本からも注文可能にリーダー、何を使ってますか?--088---010--167-001---001::このイベント行く！ドーナツ買えました〜ラングル困ったちゃんボイコット中ですロコモコ【今度は土曜だ！】実践モジュール開発【追加日程】sは7月下旬出荷かユニバーサルなフォーム認証のセッション情報をで読む-13改め(熱海)s::s-s()s20021128,s<@>s251